小説を書くことは罪深いことだと思っています。この小説はそのことを特に意識した作品になりました。それは、被災者ではない私が震災を題材にし、それも一人称で書いたからです。 実際、私は被災地に行ったことは一度もありません。とても臆病で、なにもかもが怖く、当時はとても遠くの東京の下宿から、布をかぶってテレビを見ていたのです。現実が恐ろしくてしかたがなかったのです。あまりにも大勢の被災者たちの喪失を想像することが恐ろしかったのです。また恐ろしさは、自分が思考の止まった人間であることを自覚させられることにもありました。あまりにも自分のキャパを超えてしまった現実に対して、どう考えていいのかわからなくなりました。私にとって思考することは私そのものでありましたから、なにか大事なものを取り上げられてしまった虚しさに襲われたのです。私は自分がいったいどうしたいのかもわからず、悶々と、事態が静まるまで時間を稼いで