面倒臭いのでここにまとめるけど、「どう見えようと自由意思」とか「ジェンダーアイデンティティ」とか個人レベルのことを言っているのではなく、あまたある服装・キャラの中で、ある一つがアイコンとして公的機関に選択された時、それは公的なメッ… https://t.co/DSC6JfoxRZ
特集:小さな「助けて」を社会へ 社会のさまざまな場所に、困難な状況に置かれながら、そのことを他者に打ち明けることなく、抱え込んでいる人たちがいます。外側から見れば、困っているのであれば誰かに頼ればいい、支援団体や行政窓口などに相談すればいいと言いたくなるかもしれません。しかし、困難を抱える当事者がみずからSOSを出すことは、決して簡単なことではありません。どのようにすれば、大きな声にはなりづらい「助けて」を、社会にひらくことができるでしょうか。複数のフィールドから考えます。 援助希求できなかった「彼ら」 2015年初夏に脳梗塞を起こし、高次脳機能障害の当事者となった。それ以前と以後で、「援助希求」(当事者が他者に救いを求める声を上げること)について思うことは僕の中で大きく変化した。 病前の僕は取材記者だったが、そのテーマは子どもや女性、若者の貧困問題であり、とくに「援助希求できない弱者」が
snjpn.net松本人志は作品作りについて薬物使用を「ドーピング」としたらしい。 www.sponichi.co.jp太田光は「良い面と悪い面」と言ったらしい。 このあたりの価値判断、基準というものは、とりあえず置いておく。おれもまだよくわかってないので。 しかし、いずれにせよ、ドラッグを決めたら決めたで影響がある、という認識は共通している。 すなわち、それはオラフ、違う、シラフではないということだ。そこには、ナチュラルな人間がいろいろな表現、芸術をするべきだ、あるいはするに越したことがない、という志向がある。 だが、素面の人間、ナチュラルな人間とはなんだろうか。おれにはそこが気になる。 これは、おれの身体というものから思うに至ったことである。おれは、双極性障害を患っている。オランザピン(ジプレキサ)を飲まなければ、一方で酷い抑うつ状態、身体がまったく動かないほどの鉛様麻痺、スローモーシ
高橋秀樹[放送作家/日本自閉症協会・日本自閉症スペクトラム学会・日本社会臨床学会各会員] *** 自閉症スペクトラム者は(以下ASD:Autism Spectrum Disorder)がある人はは社会性に困難があり、共感性が乏しいと考えられてきた。しかし、この「共感の乏しさがすべての他者に対するものか?」の研究はこれまで行われてこなかった。 昨年2014年11月、京都大学と福井大学が共同で行った研究で、画期的な事実が判明した。その論文の題目は「自閉スペクトラム症がある方々による、自閉スペクトラム症がある方々に対する共感」(2014年11月06日)である。 研究者からのコメントは、以下の様なものである。 「これまで、ASDがある方は共感性が乏しいと考えられてきましたが、本研究において、ASDがある方はASDの行動パターンをする他者に対して、よく共感できるということが示されました。臨床場面への
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