備之後州芦田郡府中住広瀬隆重作之/ 嘉永元(1848)年戌申八月吉祥日願主伯州日野郡多里宿川上屋彦次郎 赤羽刀 昭和20(1945)年9月、当時日本を占領していた連合国軍(GHQ)は、日本の武装解除の一環として全国に刀剣など武器類の提出を命じました。 こうして接収された数十万口の刀剣類は、当時赤羽(東京都北区)にあったアメリカ軍の兵器倉庫に集積されました。これらは,のちに日本に返還されましたが、関係者のあいだでは「赤羽刀」と総称されて、長らく公開が切望されていた刀剣類です。 さて,その赤羽刀は昭和22(1947)年、関係者の努力によって、美術的価値の高いもの約5500口が日本に返還されました。その後、元所有者への返還が始まりましたが、4500口を越える刀剣類が所有者不明のまま東京国立博物館の収蔵庫で保管されてきました。 ところが戦後50年にあたる平成7(1995)年、「