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yamashiroに関するrokujyouhitomaのブックマーク (107)

  • ymsrを送別した話 - 矢野勉のはてなブログ

    2014-02-16 ymsrを送別した話 死ぬかと思った— やましろ (@yamashiro) 2013, 11月 29 昨年12月初めにyamashiroが事故で亡くなったと教えてもらった。私も彼も親しい人からの連絡だったのでジョークではないことはすぐわかった。でも上記のポストは関係ないらしい。 今回、送別会をやるということで、京都から行ってきました。きれいな河辺のレストランで、花火が上がったり、LTやったりで大盛り上がりの、「らしい」送別会だった。 東京から引っ越して1年経つと、東京の人と会う機会は少なくなり、逆に会ってない状況が普通になってしまう(年に数回とかしか会わなかったりする)ので、なんとなく、私の中でいまだにリアリティがない。単に半年会ってないだけだ、みたいな。 私が東京で参加してきたプログラマの集まりでは、大半は彼は幹事をやっていたので、今回の彼の送別会ですら、なにか現場

  • やましろのこと

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    やましろのこと
  • 山城さん - uzzuさんのだいこんおいしい…

    訳あっていけなかったので 行けなかったので外野から献杯 #ymsr— 宮永さん (@uzzu) 2014, 2月 15 してたんだけど、なんかもう昨日の朝起きたら糞みたいに枕元が濡れてて、なんかやはりけじめというか区切りを付けないと何も手に付かない。ので書く。 職場は同じだったけど、同じチームで働くことはなかった。当時も今も変わらず自分は技術力はペーペーだし人見知り激しくてあんまりコミュニティとかそういうのに属すのができないのだけれど、なんかまあ山城さんとは一緒にガキ使を見ながら鍋をつついて年を越したり、酒を飲んだり、忘年会で馬鹿騒ぎしたり、雪山に行ったり、勉強会情報を流してもらったり、転職活動時に励ましの言葉を頂いたりした。プライベートないざこざもあった。面倒臭かった。渋谷以降のだめだめな山城さんも見ていた。嫌な面も沢山見てきた。それでも憧れの気持ちが上回っている。自分にはないコミュ力、

    山城さん - uzzuさんのだいこんおいしい…
  • naoya on Twitter: "お葬式、なんで人が死んでるってのにみんな集まってきて酒飲んで騒いで帰っていくんだって若い頃にはおもっていたけど、昨日今日と流れてくるとある方の送別会にまつわるあれこれをみていて、ああなるほど、そうやって区切りをつけるというので必要なことなんだなと改めて思った"

    お葬式、なんで人が死んでるってのにみんな集まってきて酒飲んで騒いで帰っていくんだって若い頃にはおもっていたけど、昨日今日と流れてくるとある方の送別会にまつわるあれこれをみていて、ああなるほど、そうやって区切りをつけるというので必要なことなんだなと改めて思った

    naoya on Twitter: "お葬式、なんで人が死んでるってのにみんな集まってきて酒飲んで騒いで帰っていくんだって若い頃にはおもっていたけど、昨日今日と流れてくるとある方の送別会にまつわるあれこれをみていて、ああなるほど、そうやって区切りをつけるというので必要なことなんだなと改めて思った"
  • 山城の話 - 神社

    推敲とかする気はない。思いついたまま書いてそのまま公開しておわる。故人の話の上不謹慎だが、気にわない人も読んでよい。 昨日は山城の送別会だったので、送別してきた。 いろいろ悩んで、俺は会社を辞める友人の送別会くらいの気分で、参加することにした。俺は、もう十分皆悲しんだのだから、今度は笑わないといけないと、すごく強く思っていて、笑い飛ばして終わるために必死で笑っていた。ちょっと必死すぎてキモいくらい必死だったと思う。 今ここで笑わないと、次笑えない気がした。俺は今後も楽しく彼の思い出話をしたいのだ。苦い思い出になるのは、まっぴらごめんだった。 何人か泣いて、たくさんの人が笑って、あーやっと終わったぞ、これで俺はこれで山城を笑い話に出来るぞ、大丈夫だぞ。多分こうでいいんだ、もうこれ以上泣くと次はないぞ、だめだぞ、と思って、あー、うん、終わった。 送別会の後半、好きにマイクを奪って好きなことを

    山城の話 - 神社
  • ymsr送別会 - じゅんいち☆かとうの技術日誌

    第一回チキチキjava-ja ymsr送別会 に参加してきたよ。 最後の餞として花火を送った。 山城花火! #ymsr pic.twitter.com/oY9dvAQBwY— (λ_ → かとじゅん) (@j5ik2o) February 15, 2014 ついろぐで@を送った相手を調べてみたら、山城が一番多かったな。 そのツイートを調べたがほとんど中身がないなと思ったら、Facebookメッセンジャーで結構話してた。 山城との最初の出会いは、たぶんSeasar Conferenceの懇親会だったと思う。彼もScalaが好きということで2011年5月ぐらいから話すことが多くなった気がする。同年8月には彼の紹介でドワンゴ社に転職した。彼を通してドワンゴ社内の人間関係を作ったといってもいいかもしれない。 ドワンゴに入社してしばらくして、Scalaを使うことができる新規案件をゲットした。チームに

    ymsr送別会 - じゅんいち☆かとうの技術日誌
  • ymsrさんの送別会 - ほげほげふがふがもぐもぐ。

    一年くらい前に、とりあえずとっておいたはてなブログを初めてきちんと書く。 去年末のこと。至るところで書かれてるけれど、昨日はymsrさんの送別会だった。最初に報せを聞いたのは、仕事中で後輩からのIMだった。現実感が全然なくて、でも、その報せは社内で所縁のあった方々に回っていっていて、こんなにも突然で、こんなにも人生って非情なのかー、と思った。帰宅して、周りの所縁のあった方々がネット上で悲しんでるのを見て、ちょっとずつ現実感が湧いてきて、「ああ、もういないんだ」ととても悲しくなったのを覚えている。 思い出。当時自分がインフラを担当していたシステムのメンバーとしてアサインされてからいくらか経った頃だったか、その前だったか今となっては記憶があやふやだけれど、彼から誘われて囲まれる飲み会に行ったのが、なんやかんやと彼と飲むきっかけだったと思う。 それから色々とIRCでくだらない話をしたり、ちょいち

    ymsrさんの送別会 - ほげほげふがふがもぐもぐ。
  • ymsrさんに捧ぐ - 実はhokkai7go

    送別会には行ってないけど、僕もやっぱりお別れが言いたくてblogを書いた。 誰にも言ったことがなかったけど、艦これやってて山城という戦艦を見かける度に思い出してる。 ymsrさんに会ったのは、java-ja.jojo #2が初めてだったと思う。 その次が、Kuniaki.rb(main):001:0> - Kuniaki.rbだった。 訃報を聞いた時に、なんだか信じられなくて Kuniaki.rbで会った時に、LTをしていた姿がずっと脳内ループしていた。 joker1007さんが言ってるけど、僕も当に同じことを思った。 人の死に触れたことが無いわけじゃないけど、自分より少し年上ぐらいの人間が死ぬなんて事はまだまだ遠い話だと思っていました。今でも良く分からない。 http://d.hatena.ne.jp/joker1007/20140215/1392482953 気持ちばかり先行して、う

    ymsrさんに捧ぐ - 実はhokkai7go
  • ymsr送別会を終えて - joker1007’s diary

    年末のjava-ja忘年会に出た時にyamashiroさんの訃報を聞いて、訳の分からないまま飲み明かした日から1ヶ月半、今日はyamashiroさんの送別会に参加してきました。 その送別会でyamashiroさんを送るための花火が上がりました。 自分がいきなりこの世から居なくなった時に、花火を上げてまで馬鹿騒ぎしてくれる友人が居る彼を心から尊敬します。 今日LTしていた皆さんほどyamashiroさんと付き合いがあったわけではなく、ちゃんと話をする機会があったのは2013年になってからでした。何度か勉強会の懇親会で喋って、やっと顔見知りぐらいになったぐらいです。 多分、最後に会ったのはこわいscala勉強会の受付の時だったかな。 あの時、体調が良くなかったので、編が終わった後にすぐ帰ってしまったのが悔やまれます。 java-jaの忘年会の日、訃報を聞いて何が何だか良く分かりませんでした。

    ymsr送別会を終えて - joker1007’s diary
  • Ymsrの壮大な送別会 - おおたに6号機blog

    ブログ書くまでがなんとやらで。遅くなりますた。 さてYmsrの送別会に逝ってきた。いろんな人が色々書いているので詳細は書かないけど、花火もあがり、MBAで包丁もしたし、ベルギービールではれてMBAも破壊して、これでみんな前向けるんじゃないかなと。というかそのための会だったと思いたい。太一、よしおり、Mesoたん、他幹事みなさん当にお疲れさまでした。とても良い会だった。 山城と僕は実はそんなに親しい関係というわけじゃない。ただちょっとアレがアレな感じでwww、お互い意識せざるを得ない関係であった事は間違いないw 一時期は確実に一歩ひかれていた。「おー、山城元気」(山城一歩あとずさりする)、みたいな。しかし、このネタ、当の人がこの世を去ったあたでもまだ引っ張るのかと思いつつ、まあそれはそれで関係があってうれしい気もする。まさかお別れの会でもこのゲスいネタをやるとは思いもしなんだよ。。。 正

    Ymsrの壮大な送別会 - おおたに6号機blog
  • 山城さんの送別会に行って来た - futoase

  • ymsrがいなかったら今の自分はないと思った話 - GoTheDistance

    僕のところにymsrの訃報が飛び込んだのは、12/4のjava-ja忘年会の夜にymsrを通じて友人となった@loveatからの電話だった。不慮の事故で死んだって聞いたけどマジかっていう確認の電話を僕にくれた。電話をくれた彼の声も、震えていた。 その時、僕は仕事の帰りで名神高速道路を走行していた。「いや、俺のところにはそんな話来てない。ごめんな。」で電話を切ったあと、あまりの話に驚いて直ぐに最寄りのSAに車を停めた。悪い冗談で確認電話が来ることもない。そういうことなんだろう。とにかく落ち着きたくてタリーズに駆け込んでコーヒーを飲んだ。で、facebookを見た。主語は隠されているけど多方面から似たような雰囲気のPOSTがあって、なんだよこれはっていう複雑な気持ちを一掃したくて一気に珈琲を飲み干したことを覚えている。 僕は2003年からブログを始めて、2006年にはてなダイアリーに移行した。

    ymsrがいなかったら今の自分はないと思った話 - GoTheDistance
  • ymsr送別会 #ymsr

    Ymsr送別会 #Ymsr Sun, Feb 16, 2014 One-minute readこのエントリは #ymsr というハッシュタグについて書かれている。なんのことかわからない人はタブをそっ閉じしてね。 メッセで済まない用件はだいたいロクでもない山城という男が死んだ。去年の12月のことだ。交通事故だったらしい。 仕事してたら、 @regtan からFBで「電話していい?」ってメッセージが入った。メッセで済まない用件はだいたいロクでもないものだってことはよく知ってる。対衝撃姿勢で覚悟を決めて「さあこい」と電話に出たら、この話。 人間心底びっくりすると「・・・まじで?」としか言えないもんだな、と改めて思い知らされた。 またよりにもよって、その日はjava-ja.忘年会2013の当日。 @meso が急遽幹事を引き継いだので、俺も勝手に手伝うことにして受付係をやっていた。近くのコンビニに

    ymsr送別会 #ymsr
  • 山城とお別れをした

    人間は死ぬ 身近な友人が死ぬというのは人生初めての経験だった。送別会は悲しい一方で最高に楽しかったのは事実で、印象的だったのは参加者がくちぐちに「気持ちに区切りがついた」と言っていた事だ。自分は一昨日まで葬儀の存在意義がわからず、葬式など必要無いと考えていたのだが、それは死者のためでは無く、生き残った人々のためにあるというのが理解できた。弔いの儀式は人類が古くに編み出した文化的な行為であると。 Bye Bye Yamashiro. この様なバカ騒ぎをしながら氏を偲ぶのはjava-jaに必要な儀式なのだ。 俺と山城 彼とは職場が一緒になった事は無いが、java-ja.jsというイベントを一緒にやったりしていた。歯に衣を着せぬ物言いをしてくれる貴重な友人でもあった。 最後にちゃんと話をしたのは、同じビルで働いていた時に、職場の近くでランチをした時だ。彼は「Google AnalyticsをGo

    山城とお別れをした
  • ymsr名言STREAMS

    ymsr名言STREAMS ゲーム紹介:ストリームス / STREAMS

  • 山城さんについて思い返す - rokujyouhitoma's blog

    第一回チキチキjava-ja ymsr送別会に行ってきた。 先日、知人の山城さんが亡くなった。山城さんについて思い返す。 初めて会ったのはjava-jaが新宿で開催されてた時の懇親会か、BBQやった時のどちらか。間違いなく神奈川のBBQで会ったのは覚えてる。山城さんは子供と遊んでいたのを鮮明に覚えてる。 技術的な懇親会で一緒に飲む機会があった。Rubykaigiの懇親会、渋谷で知人数人で飲んだりもした。 会った記憶で一番鮮明なのは近年行われたjava-ja.childrenとクルーザー貸切東京湾花火大会。 人に打ち解けられない私だけど、私のことを山城さんは名前を覚えてくれてて、会うと話しかけてくれた。「ろくじょー。最近どう?」とか。最近だと「人生荒波にもまれている俺」について語ってくれたり、「不格好経営読み終わったしあげよか?」と気を使ってくれていた。 私の結婚祝いに『プログラミング言語の

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  • ymsr送別会へ行ってきた - 虎塚

    土曜日、ymsr送別会へ行ってきた。 やましろさんがその場にいる皆に愛されていたことが分かるイベントだった。送別会の概念が自分の中で覆るくらい、あるいは一周してしっくりくるくらい盛り上がっていた。参加した人から、「これ絶対頭おかしいですよね」と何度か確認された。(特に、遺品を奪い合うゲーム大会の後、景品のMacBook Airでスイカを割って、皆で故人を偲ぼうとしたあたりで) 思い出 やましろさんと初めてTwitterで絡んだのは2009年だった。やましろさんが「深夜だし、好きだったAV女優挙げていこうぜ」とか言っていて、「古都ひかるとか好きでした」とリプライしたのが最初だった。 初めて対面で話したのは、あるイベントの懇親会で、今回の送別会の二次会と同じ店だった。当時同じ会社にいた[twitter:@shot6]さんが、やましろさんに「これ、うちの後輩」と自分を紹介してくれた。「えっ。とい

    ymsr送別会へ行ってきた - 虎塚
  • 山城の死に寄せて - すこしふしぎ

    山城のことを書くとなると必然的に長くなる。そういうのは面倒だからこの一ヶ月ほど、書き出してみては消すことを繰り返していた。とはいえ昨日の送別会でご親族から背中を押されもしたので、長すぎて読めないタグ覚悟で書けるだけ書いておこうと思う。あの世からもはてなブログは読めるだろう。なんせそっちには、しなもん会長だっているんだろ? 山城の訃報を知ったとき、ああ彼の番が来たのか、と考えた。ずいぶん早いじゃないか、と。それから、ひどく動揺した。訃報AWSのセミナーを受けていたときにDMで受け取ったのだが、その後の受講内容はまったく覚えていない。動揺してしまった。どうせ人は死ぬ、だから誰が死んでも、それがたとえ自分であっても冷静でいようと決めていたのに、結局うまくいかなかった。 だって死んだのは山城だ。 山城との関係を語るのは、私には少し難しい。親しい友人というほど近い距離にいたわけではないし、おそらく

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  • 山城が死んだ - masarakki's blog

    飯田橋のカフェを貸し切って山城のお別れ会。 LTしたり、花火打ち上げたり、カネ貸したまま返ってこない暴露話をしたり、 山城の恥ずかしいツイートを見ながら遺品山分けゲーム大会したり、 MBAでスイカ割ったり、MBAにベルギービール飲ましたり、 クズが集まってクズなどんちゃん騒ぎをして最高に楽しかった。 ただ、 楽しい場所には必ずいるはずの奴がいない。 いつも輪の中心で延々イジられ続けてるはずの奴がいない。 哀しい。 いたのかもしれないけど生きてる人間には見れない。 哀しい。 つーか死んでんじゃねえよバカ あと俺が死んだ時もLT大会で盛大に送ってほしいと思った

  • ymsr送別会で山城さんと酒飲んできた - YAMAGUCHI::weblog

    はじめに 技術的でもなんでもない、俺がymsr送別会に行ってきたという話。区切りを付けるために書く。 ymsr送別会 | Peatix 俺と山城さんが初めて会った日 前からTwitterではフォローしてたし、もしかするとどこかの勉強会で会ってるはずなんだけど、ちゃんと面と向かって話したのはjava-ja温泉だったと思う。1日目の夕の時間に、芳泉閣の例のご飯部屋で自己紹介タイムになった時に、幹事だった山城さんが「では自己紹介で、名前、id、何をやりたいか、そして童貞かどうかを話してください」と高らかに合図をして、のっけからやばいと思った記憶がある。 それから リアルに会ったのは、他のjava-ja勢から比べたらほんとに少ないし、飲み会なんかでは自分も酒飲んでバグってたから、正直何話したか細かい内容は結構覚えてない。ただ、ついさっきまでゲスい話をしていた10秒後に真面目にエンジニアの生き方み

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