慰安婦問題は、まずは、日本軍の海外駐兵が拡大するに伴い当時日本の国内(本土・朝鮮・台湾)から海外に派遣された慰安婦問題として、1980年代後半に日韓関係の文脈で提起された。議論が進む中で、軍が進駐した現地の女性による慰安所の問題も併せ議論されるようになった。概ね三つの見方が成立した。 一つは、慰安婦は、軍が海外進駐にともなって連れて行った公娼であるとする「公娼派」の見方だった。もう一つは、この対極にある見方で、これら女性は物理的な強制を含む本人の意思に反する形で慰安所に連れてこられ、その本質は、強姦であるとする「制度的レイプ派」の見方だった。 その中間に、1993年の河野談話とこれを基礎として1995年に発足活動したアジア女性基金の考え方があり、女性たちが強いられた生活は苦しく悲惨なものであり、日本政府としてその責任を認め、謝罪し、償いのための行動をとるというものであった。「河野談話派」と