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和坂(かにがさか)に関するsrgyのブックマーク (5)

  • 生き物供養碑 topic map

  • 『(テレビネタ)まさかの坂と、空中の坂?』

    おたまじゃくしのひだまり日記。 ご訪問ありがとうございます! 手工芸と日々の徒然事、 昔ばなし、ドリフなど、昭和好きの独り言です。 高校時代はアニ研部。 学生時代に音楽の教員免許取得。 ブロ友さんをきっかけにピアノを再開。 よろしくお願い致します(^^)

    『(テレビネタ)まさかの坂と、空中の坂?』
  • 和坂 大蟹伝説 – 明石民間救急

    当事業所の地名である和坂(わさか)を『かにがさか』とよんでいた時がありました。当事業所辺りは坂になっています。昔、この坂には大蟹が住み、旅人を悩ませていました。そこへ通りかかった弘法大師が法力で退治し、池の中の塚に封じ込めたという大蟹伝説が今でも伝えられています。近くの公園には蟹塚がひっそり立っています。 時は平安時代初期、この辺りには『二つ池』という池がありました。その池には大きな岩があり大蟹が住んでいました。その大蟹が、行きかう人々を襲って苦しめていたそうです。そこへ諸国を巡礼していた弘法大師が大蟹の事を知り、その岩に大蟹を封じ込めたそうです。それ以来、この村は『蟹和坂』(かにがさか)と云われるようになりました。後に『蟹』の文字が略されて『和坂』(かにがさか)になり、読み方も変わって『わさか』になりました。

  • 明石の民話「かにがさか」

    国道175号線を北に上がり、明石市バスを左折した周辺のお話です。 ときは平安時代?かな。老いた狐がいて我が物顔に辺りを駆け回っていました。 坂の下には大池があって、そこには年老いた大蟹が住んでいました。 狐と蟹は仲が悪く、坂の所有をめぐってケンカばかり。 そこで決着をつけるのに、坂の下から上まで駆け比べをすることになりました。 蟹は考えました。ヨーイドンとそのとき、蟹は狐の尻尾にはさみつきました。 気づいていない狐はたちまち上まで駆け上がり、「蟹はまだ1メートルも進んでないだろう」と 後ろを振り返りました。後ろを振り返ると「おい。なにを見てる。俺はとっくに着いているぞ」と 蟹は一言。狐はびっくり!坂は蟹のものになりました。 それからというものの蟹は悪さをし放題。そのとき坂をとおりかかったのが弘法大師さん。 法力で蟹は退治されてしまいました。 それからこの坂は安心して通れるようになり「かにが

  • 和坂(かにがさか) - 野々池周辺散策

    今年(2020)の1月6日、神戸新聞明石版に明石市和坂の名前の呼び方が特集してあった。 「和坂」と書いて一般的には「わさか」と読むが、昔は、この辺一帯を「和坂」と書いて「かにがさか」と読んでいた時期があることを知っている。入社当初、工場のあった和坂を何て呼ぶのか分からず聞くと先輩諸氏から「かにがさか」と言うと聞いて、なんでこの名を「かにがさか」と読めるのか分からずのままだった。その後、工場は「和坂」から「川崎町」へと町名変更した。その後、近くに大型マンションが新しく建設され、たまたま社宅を出る時期に重なったこともあり、(45,6年ほど前だと思うが、今の神戸市に移り住む前の事)この大型マンションに引っ越した。自転車で、工場迄数分で駆け付けられるので、すごく便利だった。引っ越した当時の「和坂」は既に「わさか」と読んでおり、マンションすぐ下が神戸市との境界で、和坂1丁目となっていた。引っ越した当

    和坂(かにがさか) - 野々池周辺散策
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