相撲が曲がり角に来ている。外国人力士が上位を占める中で、朝青龍が登場し横綱の品位が地に落ちた。国技の定義も難しくなってきている。 名横綱の双葉山が、相撲界の歴史に残る69連勝を成し遂げたのは昭和11(1936)年の春場所から、14年の春場所までの3年間である。 当時、相撲人気は現代では想像もつかないほどの盛り上がりを見せていた。早朝から見物客が入場券を求めて国技館を一周するほど並び、各新聞は「相撲の黄金時代到来」と書き立てた。雑誌『相撲』が創刊され、尾崎士郎、舟橋聖一、上司小剣、小島政二郎といった文士たちが筆を競った。 それは日本軍が満州から中国大陸にかけて、日露戦争で得た権益を守る戦いを続けていた時期とまさに一致する。国技を愛する人々は、また日本の国力を誇りに思い、双葉山はその精神の象徴でもあったのだ。 思いがけない新鋭、安芸ノ海の出現で、双葉山の連勝はストップしたが、そのために双葉山は