意識戻らず…無念 松田直樹選手 家族に看取られ死去
印刷 プロ野球のロッテ、阪神や米大リーグのヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝さん(42)が27日、自宅のあるカリフォルニア州ロサンゼルス近郊で亡くなっていることがわかった。ロサンゼルス捜査当局によると、伊良部さんは自宅で首をつった状態で見つかっており、死因は自殺と見られている。 伊良部さんは、1987年のドラフト1位指名で尽誠学園高(香川)からロッテに入団。1997年から大リーグのヤンキース、エクスポズ、レンジャーズでプレーし、2003年に阪神に入団。03年を最後にプレーをしていなかった。通算成績は、日本のプロ野球は72勝69敗11セーブ、大リーグは34勝35敗16セーブ。(ニューヨーク=村上尚史)
サムエル・ワンジル選手 2008年北京五輪の男子マラソンで金メダルを獲得したケニアのサムエル・ワンジル選手(24)が15日、ケニアの自宅バルコニーから転落死した。ロイター通信が16日、報じた。同通信によると、現地の警察が飛び降りた原因について調べているという。 ワンジル選手は2002年から宮城・仙台育英高校に留学。同高の全国高校駅伝2連覇に貢献するなど、素質が開花した。 高校卒業後はトヨタ自動車九州に入社、2007年12月の福岡国際では初マラソンながら優勝を飾り、翌年8月の北京五輪で金メダルに輝いた。北京五輪後は主にケニアに拠点を置いて、シカゴマラソンを2連覇するなど活躍していた。ケニアでの報道によると、昨年12月に妻と家政婦を脅迫したとして告訴されていたという。
2日に行われたプロ野球・広島―巨人戦(マツダスタジアム広島)の試合前にくも膜下出血で倒れ、広島市内の病院に入院していた読売巨人軍の木村拓也内野手守備走塁コーチが7日午前3時22分、亡くなった。37歳だった。通夜、告別式の日程は未定だが、同市内で行われる予定。 木村コーチは2日の試合直前、シートノック中にグラウンドで倒れ、球場で心臓マッサージなどの応急処置を受けた後、同市内の病院に運ばれていた。球団関係者によると、倒れた直後から危篤状態で意識が戻ることはなかったという。 宮崎南高から1990年ドラフト外で日本ハムに入団。94年オフに広島、2006年途中から巨人に移籍した。もともとは捕手だが、内、外野をこなし、打者としてはスイッチヒッターに転向。プロ19年間で投手以外のすべてのポジションを守るなど、球界を代表するユーティリティープレーヤーとしてアテネ五輪にも出場し、銅メダル獲得に貢献した。09
ラグビーの元日本代表フランカー(FL)で3大会連続でW杯に出場、08年度シーズン終了後に引退した渡辺泰憲氏=東芝=が急死したことが4日、明らかになった。35歳だった。3日夜にJR横須賀線の鎌倉駅で電車にはねられた。鎌倉署や複数の関係者の証言を総合すると、遺書は見つかっておらず、事故の可能性が高いという。宮崎合宿2日目を迎えた日本代表戦士は深い悲しみを胸に、練習に取り組んだ。 穏やかな春の陽気に包まれた、日本代表の宮崎合宿に衝撃の悲報が届いた。ジョン・カーワン・ヘッドコーチ(HC)率いる代表合宿2日目。07年W杯フランス大会で、同HCのもと大きな外国人選手にひるまず体を張り、日本代表の頼れる「アニキ」として若手を鼓舞した渡辺さんが、早すぎる死を迎えてしまった。 鎌倉署や複数の関係者によると、現役引退後の09年4月から本社(東京・港区)で営業職に専念していた渡辺さんは3日、神奈川県内で行われた
5日午前11時40分ごろ、沖縄県宮古島市のホテル・ブリーズベイマリーナから「男性が血を流して倒れている」と119番通報があった。宮古島市消防本部の隊員が駆けつけたところ、空調施設などが入る2階建て建物の屋上で男性が仰向けに倒れており、すでに死亡していた。同ホテルに滞在中のプロ野球オリックスには小瀬浩之外野手(24)が死亡したとの連絡が入っていることから、この男性は小瀬選手とみられる。同球団は1日から宮古島でキャンプを行っていて、5日は初めての休養日だった。 小瀬外野手は2007年の大学・社会人ドラフト3位で近大からオリックスに入団。09年には規定打席に達しなかったものの、78試合出場で打率3割3厘の記録を残した。
1960年代を代表するマラソンランナーの一人で、監督、指導者としては宗茂・猛兄弟ら多くの名選手を育て、男女の実業団駅伝で計9度の全国制覇を果たした広島日出国(ひろしま・ひでくに)さんが23日、肺炎のため宮崎市内の病院で亡くなった。71歳。葬儀は25日正午、宮崎市錦町6の11のセレモニー宮崎メモリードホール。喪主は妻希代子(きよこ)さん。 宮崎県北郷村(現美郷町)生まれ。マラソンの日本最高記録を持っていた叔父の故・庫夫さんの影響で中学卒業後、農業をしながら一人でトレーニングに励み、18歳の時に初出場した九州一周駅伝で三つの区間賞。スカウトされ、21歳で旭化成に入社し、65年の朝日国際(現・福岡国際)マラソンで初優勝した。 72年に現役を引退し、77年から旭化成監督。宗兄弟や児玉泰介、谷口浩美らトップ選手を育成し、全日本実業団駅伝6連覇を果たした。 88年に女子の沖電気宮崎監督に転身。96、9
古橋広之進さん47年8月、全日本選手権水上競技大会の男子400メートル自由形決勝で、世界新記録(当時)を出した古橋広之進さんの泳ぎ日本が不参加のロンドン五輪が開催された48年8月6日、東京・神宮プールでの全日本選手権1500メートル自由形で18分37秒0の世界記録をつくった古橋氏47年8月9日、東京・神宮プールでの全日本選手権男子400メートル自由形で、前日記録した世界記録をさらに更新する4分38秒4の世界新記録を樹立し、控室で祝福を受ける古橋氏 戦後まもなく「フジヤマのトビウオ」と称賛された世界的な競泳選手で、日本オリンピック委員会(JOC)や日本水泳連盟の会長を務めた古橋広之進(ふるはし・ひろのしん)さんが2日、世界水泳のため滞在していたローマで死去した。80歳だった。 28年、静岡県浜名郡雄踏町(現・浜松市)生まれ。幼いころから水泳が得意だった。45年に日大へ進学、終戦を迎えてか
日本女子マラソンのパイオニア的存在で、1984年のロサンゼルス五輪代表の永田(旧姓・佐々木)七恵さんが27日に直腸がんで亡くなっていたことが29日、分かった。53歳だった。 日体大時代まで中距離選手だった永田さんは、大学卒業後にマラソンに転向。瀬古利彦の師匠である中村清監督に指導を受け、81年のボストンマラソンで当時の日本最高となる2時間40分56秒を記録。その後、伸び悩みなどもあり、岩手での教員を辞職し、ヱスビー食品に入りして本格的に中村監督に師事した。厳しい指導もあり、83年の東京国際女子マラソンで初優勝を飾り、翌年のロス五輪に出場した。結果は19位だったが、その走り方から同時期にヒットしたテレビドラマにちなみ「おしん走法」と称された。 五輪後の結婚を機に引退、2人の子供にも恵まれた。91年からヱスビー食品陸上部のコーチ、96年から顧問を務めた。 ライバルだった増田明美さんは「昨年11
83年の第5回東京国際女子マラソンで優勝し、中村清監督(故人)に頭を下げる永田七恵さん83年の東京国際女子マラソンを制した永田七恵さん永田七恵さん 84年ロサンゼルス五輪女子マラソン代表で、日本の女子マラソンの先駆者的存在だった永田七恵(ながた・ななえ=旧姓・佐々木)さんが27日、直腸がんで死去した。53歳だった。葬儀は親族のみで行う。 岩手県出身。日体大までは中距離選手で、卒業後に郷里に戻って教員生活のかたわらマラソンに挑戦。ロス五輪で女子マラソンが正式種目として採用されることが決まったのを機に、瀬古利彦選手を育てた中村清氏(故人)の指導を受けるため盛岡一高を退職し、82年にエスビー食品に入社。83年、5年連続で挑戦した東京国際女子マラソンを2時間37分9秒で制し、大会初の日本人女王となった。84年ロス五輪では19位。 85年3月、引退レースと決めて臨んだ名古屋国際女子マラソンを2
【三沢さん急死】 最後の試合でバックドロップを放った斎藤選手、三沢さんの遺影に涙の土下座 1 名前: オウレン(福島県):2009/06/14(日) 19:49:27.51 ID:/mQ7FFTa ?2BP 13日の試合中に頭を強打し、46歳で亡くなった人気プロレスラー三沢光晴さんが所属したプロレス団体「ノア」の興行が14日、福岡市の博多スターレーンで予定通り行われ、ファンが早すぎる死を悼んだ。 満員の会場では第1試合の前に追悼のゴングが鳴らされ、三沢さんの入場曲とともに観客は一斉に「ミサワ」コールを送った。福岡県遠賀町から訪れた鹿野利恵さん(39)は会場に設けられた献花台に花を手向け「三沢さんの試合を楽しみにしていたのに。三沢さんがいたからプロレスを好きになった」と大粒の涙を流して合掌した。 三沢さん最後の試合で対戦相手の一人だった斎藤彰俊選手(43)はこの日の試合後、リングサイドに飾ら
13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の県立総合体育館で行われていたプロレスリング・ノア広島大会で、試合中に男性プロレスラーが倒れ、救急搬送された。広島市消防局によると、男性は、心肺停止状態という。 大会関係者によると、男性はプロレスリング・ノア社長の三沢光晴さん(46)という。 午後8時半ごろ、三沢さんは対戦相手にバックドロップをかけられ頭を打ち、心肺停止状態になった。観客の医師が蘇生を試みたという。三沢さんは2代目タイガーマスクとして人気を集めた。
フランスアルプス(French Alps)のVarsで行われたフランス五輪代表のトレーニング・セッションに参加したカリーヌ・ルビ。(2006年2月2日撮影)(c)AFP/BORIS HORVAT 【5月30日 AFP】(一部訂正)フランス警察は29日、長野五輪の女子スノーボード大回転で金メダルを獲得したカリーヌ・ルビ(Karine Ruby、フランス)が、アルプス(Alps)山脈のモンブラン(Mont Blanc)で転落し、遺体で発見されたと発表した。 1998年の長野五輪で金メダル、2002年のソルトレーク五輪では銀メダルを獲得したルビは、地元当局によるとモンブランのクレバス(氷河などの深い割れ目)で発見された。ルビは世界選手権で6度優勝し、W杯では通算65勝を挙げている。 警察はルビと他2人は氷河を越えようとしてクレバスに転落したと発表。同伴した2人のうち1人は死亡、もう1人はジュネー
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