第二の柱を確立、飛躍を遂げる 「焼肉のたれ」の発売から1975(昭和50)年までの7年間で、当社の売上高は約55億円にまで伸び、急成長を遂げました。1972(昭和47)年には神奈川県伊勢原市に工場を新設して量産体制を整えるとともに、一部の商品は協力工場で生産を開始。また、名古屋・仙台・広島・福岡・大阪・札幌など全国に支店を開設し、販売体制を確立しました。さらに、本社も横浜市神奈川区の松見町から沢渡に移転します。 「焼肉のたれ」がヒットしたのを契機に、他社の新規参入が続き、焼肉のたれの市場が形成されていきました。その市場は、折からの高度経済成長によって所得が増加した消費者の洋食志向、食肉志向の波に乗って拡大を遂げます。また、飼料の改良や流通システムの発達により、おいしい牛肉が手軽に手に入るようになると、消費者の嗜好は、"安い肉をおいしく"というものから"おいしい肉をよりおいしく"に変化してい