村上春樹関連の評論を読んでいて「日常性からの逸脱」という言葉を目にしました。また「パラレル・ワールド」という言葉も見かけました。要するに「平凡な日常を流されるままに何となく生きてきた主人公がフトしたことで別世界のなかに入り込み・・」という感覚だと言いたいのだろうと思います。まあそういう読み方も確かにあると思いますが、吉之助は日常と異なる「非日常」が別に存在するというのではなく、「この世界はもともと歪んでおり一定ではなく絶えず揺れており・ある瞬間において世界はまったく別の様相に見える」というのが村上ワールドであると思いますが、そうではないのですかねえ。吉之助は黙阿弥も同じだと思います。黙阿弥の「十六夜清心・百本杭」で清心は何をやってもドジばかり・人を誤って殺してしまうわ・死のうとして川に飛び込んでも死ねないわ。その清心が短刀を腹に構えたまま、「・・・しかし、待てよ。人間わずか五十年、首尾よ