東京・浅草の小さな遊園地「浅草花やしき」。ここを拠点とする「花やしき少女歌劇団」にかつて、小児がんで右足を失いながらもセンターで歌う少女がいた。 少女の名は木村唯さん。 私は2014年秋、初めて彼女の存在を知った。東京・築地にある国立がん研究センター中央病院の院内学級の取材で、闘病中だった唯さんの歌声を聞いたのだ。「ママ、産んでくれてありがとう」。抜群の歌唱力と、歌に込められたメッセージに強く心を揺さぶられた。 いつか唯さんのことを書きたいと思いながら果たせずにいた。15年秋に亡くなったことを知ったのは半年以上たった後。足跡をたどる取材が始まった。 小学3年生で地域アイドルグループの「花やしき少女歌劇団」に入団。歌手で作曲家の故・平尾昌晃さんに歌の才能を見いだされ、3人組ユニットでプロデビューする話も持ち上がった。 その矢先の中学3年の夏、唯さんは右足の痛みに襲われる。診断は小児がんの一種
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