9月10日に、北海道大停電について、泊発電所の稼働問題は無関係であって、泊が動いてい「れば」「たら」論は、完全に無関係且つ無意味であると指摘しましたところ、たいへんな反響となり、100万PV超となっただけでなく様々な方から内容についてお問い合わせ頂きました。(参照:『北海道胆振東部地震「泊原発が動いていれば停電はなかった」論はなぜ「完全に間違い」なのか』) 前回、高校卒業程度の知識で理解できるように執筆しましたところ、たいへんに分かりやすかったと言うお褒めの言葉を頂く一方で、隔靴掻痒であり、もっと説明して欲しいと言うお言葉も頂きました。また、なぜか全く理解できない方、読まずにご批判される方もお見かけしました。なかには、私に見えないようにした上で誹謗中傷行為に及ぶ随分ご立派な経歴の方も見受けられ、たいへんに驚きました。幸か不幸か、複数の知人がすべてを記録して提供してくださっていますので、その
ことし3月31日と4月1日、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で出されていた福島県内の避難指示が、4つの町村の広い範囲で一斉に解除されました。これまで避難を余儀なくされていた3万人余りの住民がふるさとに戻って、生活を再開できるようになったのです。住民の帰還は少しずつ始まっています。 しかし、6年間の空白が町を大きく変え、住民たちには、思いもよらなかった新たな課題が突きつけられました。 原発事故以来の「桜まつり」が開かれた富岡町。 ふるさとの桜を一目みたいと8500人が集まり、「やはりわが家はいい」「桜を見ただけで涙が出る」と喜びを口にしていました。 そうした住民の前に現れたのはキツネでした。人を恐れる様子もなく、堂々と道を横切っていきました。 同じ日、浪江町の中心部で、取材班はある動物と遭遇しました。 重さ100キロを超えるとみられる巨大なイノシシです。本来は警戒心が強い動物ですが、
国の試算の3倍以上に費用が膨らむ可能性も まず、国による22兆円という事故処理費用の試算で最も明らかな疑問点は、放射性廃棄物の問題だ。 除染により生じた汚染土などは、焼却による減容化の後でも2200万立方メートルにも上ると推計されている。だが、福島第1原発の近隣の中間貯蔵施設(福島県双葉町、大熊町)で最大30年間保管された後の最終処分方法も決まっていない。さらに、原発内から出る放射性廃棄物はその発生量の予測すらついていない。 小林氏は、青森県の六ヶ所低レベル放射性廃棄物埋設センターでコンクリートピットによる埋設で汚染土を処分すると仮定。除染費用は6兆円から30兆円に膨らむと計算した。 原発内の廃棄物については、メルトダウン(炉心溶融)を起こした1~3号機は全て放射性廃棄物になるとすれば、廃炉費用は8兆円には収まらず、最低でも11兆円はかかるとの考えだ。 最終処分が決まってない汚染物質はまだ
平成28年12月21日 日本原子力研究開発機構 理事長 児玉敏雄 「もんじゅ」の取扱いに関する政府方針等の決定を受けて 本日の原子力関係閣僚会議において「もんじゅ」の廃止措置が決定されたことについて、これまで「もんじゅ」へのご理解とご支援をいただいてきた地元の皆様をはじめとする関係者の皆様、そして国民の皆様に対し、先ずは心よりお詫び申し上げます。 今回の閣僚会議の決定は、「もんじゅ」における過去のトラブルなどの経緯や、東日本大震災以降の新たな規制対応などの最近の情勢の変化などを総合的に勘案して、国として判断された結果であると承知しています。 しかしながら、「もんじゅ」の重要性を訴え、職員一丸となって運転再開を目指して改革活動を進めてきた当機構としては、所期の目標を達成できず、また、地元の期待に応えられず、誠に残念と言わざるを得ません。 「もんじゅ」は、今後、国内外の先行知見を有効に活用しな
「もんじゅ勧告」のすごい内容 原子力機構をコテンパンに。勧告は「答えのない問い」か? 竹内敬二 元朝日新聞編集委員 エネルギー戦略研究所シニアフェロー 原子力規制委員会(田中俊一委員長)が文部科学大臣に出した勧告が原子力界を揺るがせている。日本原子力研究開発機構(原子力機構)にはもんじゅの安全管理能力がないので、「運転するなら他の組織を探すこと(つくること)」を命じたのだ。役所仕事として考えれば、組織の名前変更が頭に浮かぶが、それには「看板の掛け替えはダメだ」とクギをさしている。勧告の全文を読むと、その厳しい表現におどろく。政府内の仲間である役所同士の文書としてはちょっと見たことがない書きっぷりだ。 止まっているもんじゅの安全管理さえできない 勧告はまず「一連の経緯と問題点」として、原子力機構は、旧原子力安全・保安院時代から規制当局による再三の指導を受けていたが、「結果的に具体的な成果を上
大学1年の時だったから1995年のことだと思う。先輩の下宿に訪ね、偶然一冊の本を手にした。とてもおもしろかったので帰宅途中に書店に立ち寄った。日本人作家の塩野七生氏が書いた韓国版の『ローマ人の物語』の第1巻だった。 その後は自然に彼女のファンになった。2巻目で彼女が描写した「カンナエの戦い」についての説明、4~5巻に出てくるカエサルの描写はあまりに魅力的で何度も繰り返し読んだ。後日。『わが友マキアヴェッリ』、『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』など他の著作も読みふけった。彼女の歴史記述の方法について「英雄中心的史観」とか「全体主義的色彩がある」という批判もあったが、20代の私にはどうでも良かった。今でもソウルの自宅の本棚には、彼女の本が20冊以上(『ローマ人の物語』は15巻の大作だ!)置かれている。 27日、バラク・オバマ大統領の広島訪問を控えて、私の心も忙しなかった。恐れを知ら
昨今国内の原発再稼動を巡って色々あるわけですが、ちょっと見受けられる言葉がチョイチョイ引っかかるので意見を述べておきます。 アレな反原発派がイヤになったので反原発をやめた 時々こんなことのたまわる方が現れますよね。いわく、そんなことだから反原発活動は支持を失う、みたいなことです。しかし、こんな言葉を相手にするのは馬鹿げています。 なぜ、反原発の考えを反原発派の好悪で決めたりするのでしょう?原発問題はチェルノブイリや福島が示すように極めて広域にわたり多くの人々の生活に影響を与えます。その問題と真摯に向き合おうとするならば、反原発派、とやらへの賛否くらいでその決心が揺らぐはずもありません。別に反原発派に属する必要などありません。自身のものとして、原発問題に取り組めばいいだけです。私も特にどこかへ所属しているわけではありません。自身の判断として反原発に取り組んできましたし、これからも反原発であり
いまさら「核燃料そのものが危険だから、運転を停止しても安全にならない」と言い出すのは何事だろうか。 件の原発擁護主張では、仲間内で誰かが思いついたことを皆でオウム返しにする傾向がある。ここ1-2日でも誰かが思いついだだろう屁理屈を再生産している。「原発が操業停止しても、核燃料は崩壊熱を出し続けるから危険なことは変わらない」として「だから川内を止める必要はない」がそれだ。 オウム返しの好例は、これだ。五年前から原発擁護のポップであるRyoko174さんの発言である。 ryoko174@ryoko174 福島原発事故からもう5年が経つのに、下記のような「新たな安全神話」から抜けられない人が目立つことは残念なことです。 ・原発停止さえすれば核燃料があっても安全 ・そのためには災害時の電力不足リスクも無視していい ・原発に関する法律やルールは破ってもよし https://twitter.com/
3・11を忘れるな! 被災地と原発の現実 優木まおみ、岸博幸も…復活した原発広告に文化人や芸能人がまたぞろ登場! 500万円の高額ギャラも 3.11から5年──。安倍政権による原発再稼働政策と連動するように、電力関連会社による“原発広告”が完全に大復活している。 たとえば最近、読売新聞16年2月28日付朝刊に、「資源なき経済大国 どうする? どうなる? 日本のエネルギー」なるタイトルの全面記事広告がうたれた。 表向きは、経済評論家の勝間和代、元総務大臣で現野村総研顧問の増田寛也、最近は“ママタレ”として活躍する元グラドル・優木まおみが、橋本五郎・読売新聞特別編集委員をコーディネーターにして「これからのエネルギー」について語るという体裁になっているが、実際は完全に、電力業界の司令塔・電力事業連合会(電事連)の広告である。内容は、こんな感じだ。 〈勝間 原発が停止して電源構成の約9割を火力発電
まえがき 解説 原子力安全委員会の役割 原子力の基礎 避難のあり方 官邸などでの体験 そもそもの失敗は 自分の役割が何かを理解せずに・・・ 総理視察同行の理由 総理が現地に行くべきだったか・・・ 総理の質問あれこれ 総理への説明役として同行することを・・・ ◇◇の一つ覚え 少しはわかるのかなぁ・・・ ◇◇は理解できない これには参りました・・・ マッカーサー気取り マッカーサーの真似をしたかった・・・ 皆に挨拶もせずに あのとき免震重要棟の皆に挨拶してれば・・・ 帰りのヘリの中で 帰りのヘリの中ではみな爆睡してました・・・ 官邸で迷子になって 官邸でいきなり放り出されて私はどうすれば・・・ 経産官僚の悪口 保安院が消滅していたのでその代わりを務め・・・ 見解は正確に? 見解をなるべく正確に伝えようとすると・・・ 再臨界は核爆発? 再臨界すなわち核爆発と考えるなん
ビキニ環礁の水爆実験から60年 今も戻れない住民 東京から南東方向へ約4千キロ。太平洋のほぼ真ん中、見渡す限り真っ青な海が広がる眼下に、ビキニ環礁が姿を現した。サンゴが隆起しててできた23の島が首飾りのように連なる。島々はヤシの木々の緑に覆われている。その環礁の北西角に、ぽっかりと開いたくぼみが見えた。周りの明るい色と違い、海の青さは濃く深い。 Keystone-France via Getty ImagesUNITED STATES - JULY 24: On July 24, 1946, The American Army Dropped The 5Th Atomic Bomb Above Bikini Atoll In The Pacific Ocea, Off The Coast Of The Marshall Islands. The Row Of Ships In The Ba
中東から研究者を日本に招聘すると、多くの場合「広島、長崎に行きたい」と言う。日本に来たからには被爆地を見ないことには、という人は、少なくない。 「第二次大戦でアメリカに核攻撃された日本、その敗戦から立ち上がった日本」は、中東諸国で長く「いいイメージ」として定着してきた。イスラエルやアメリカの圧倒的な軍事力の前にねじ伏せられてきた、というアラブ諸国の思いが、戦争の被害者としての日本への共感として寄せられる。「平和主義の日本」、あるいは植民地支配した西欧諸国やイスラエルを支援するアメリカのようには、「アラブ諸国に悪さをしてこなかった日本」といったイメージを、政府も企業も、さらにはNGOなど援助団体も、最大限に利用してきた。 しかし、そのイメージは、ある意味でアラブ側が勝手に作り上げた日本に対する夢を、日本側が適当に利用してきただけではないか、とも思える。彼らが抱く日本像に対して日本の立ち位置を
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