ドゥオモ広場にあるフィボナッチの像 レオナルド=フィボナッチ(Leonardo Fibonacci, Leonardo Pisano, 1170年頃 - 1250年頃)は、中世で最も才能があったと評価されるイタリアの数学者である[2]。本名はレオナルド・ダ・ピサ(ピサのレオナルド)という。フィボナッチは「ボナッチの息子」を意味する愛称だが、19世紀の数学史家リブリが誤って作った名前でもある。 フィボナッチは、近代では主に次の業績で知られている[3]。 13世紀初頭に、『算盤の書』の出版を通じてアラビア数学のシステムをヨーロッパに導入した。 自身で発見したわけではないが、『算盤の書』の中で例として紹介したことで、「フィボナッチ数列」に名前を残した[4]。 レオナルドはイタリアのピサで商人の子として生まれた[5]。父親のグリエルモ(Guglielmo)はイタリア語で「単純」という意味のボナッチ