しかし今年の4月頃から、父三郎そして兄健斗も家にいるようになり奈津美は家で歌うことができなくなっていった。
そんな中、ついこないだの或る日の夜、
母はいつものように仕事、
そして父は、前の勤務先、倒産した会社の元上司と飲み会、
兄も珍しく友だちの家に泊まりに行って、
家に奈津美ひとりという状況が出来上がった。
奈津美はその時、自分の部屋で、いま一番のお気に入りの曲、
ミニー・リパートンの「ラヴィン・ユー」を歌い、
それをラジカセでカセットテープに録音した。
奈津美はそのカセットテープを宝物のように大事にしていて、学校でも制服のスカートのポケットの中に入れて肌身離さず持っている。
高く透き通った奈津美の声が、静かな部屋をつつみこむ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
発売日 2000年 アルバム「MARVELOUS」に収録
〜この物語のあらすじ〜
妻子と別居中、小説家志望の中年男性[桐原健介]と、学校ではいじめを受け、複雑な家庭環境に身を置く、天性の美しい歌声を秘めた女子中学生[藤倉奈津美]。この全く面識のない二人の、それぞれのライフが、ある日、一瞬だけすれ違う。そしてそのあと二人のライフは新たな章へと展開してゆく。