民放ラジオ局と博報堂DYメディアパートナーズが2017年1月末、番組配信サービス「ラジオクラウド」を立ち上げた。ラジオで放送した番組の一部をスマホアプリで再配信する仕組みで、サーバー負荷の高さなどから撤退の動きも出ているPodcastの後継サービスと言える。
ビジネスの文脈から見た同サービスの最大の特徴は、リスナーの好みに応じて広告の流し分けが可能であること。リスナーが番組の再生ボタンを押すと、アプリがブラウザーの閲覧履歴などを参照し、お酒好きならウイスキーのCM、おしゃれ好きならアパレルのCMなどと、それぞれのリスナーにあった広告を流す。ネット時代には誰でも体験したことのあるいわゆるターゲティング型広告に過ぎないが、番組と広告をパッケージとして放送・配信するラジオ業界ではこれまで実現が難しかった。
今回、音声コンテンツでもターゲティング型広告が有効であることが実証できれば、将来的にはラジオ放送をネット経由で同時配信する「radiko(ラジコ)」でも広告の流し分けが視野に入る。全国のリスナーが同じ時間に同じ番組を聞いていても、広告部分だけはそれぞれ別の音声が流れるという未来だ。
番組制作力という「レガシーメディア」ならではの強みと、広告配信の柔軟さというネットメディアの優位性の良いとこ取りは実現するのか。2001年8月以降、15年半にわたって首都圏の個人聴取率トップを誇る業界の盟主、TBSラジオの入江清彦社長に聞いた。
ラジオクラウドの提供開始から1カ月が経ちました。滑り出しはいかがですか。
入江:2017年1月30日から2月18日までで、全体で200万回の再生がありました。「当初は1カ月で100万回くらいかな」と想定していたので、幸先良いスタートといえるでしょう。まず試行期間という位置づけでしたが、3月からは広告の販売も正式に始めました。
スマホアプリのダウンロード数は。
入江:公表していません。ただ、私たちとしてはダウンロード数より再生数を重視しています。広告主が気にするのは広告が流れた回数です。どんなにダウンロードされても再生されたかどうか分からなかったPodcast時代とは、評価の尺度が異なるのです。
ラジオ各社は2000年代半ばに相次ぎPodcastの配信を始めました。2010年には放送をリアルタイムでネット配信するradikoも立ち上がりました。業界としてネット対応には早くから熱心という印象ですが、今回は何が違うのでしょうか。
入江:しっかり広告料をいただける新メディアとしてスタートさせているのが、これまでとは違う点です。
広告料をもらえる「新事業」
どういうことでしょうか。
入江:これまでの「ネット対応」は、新事業というより消費者サービスに近い性格がありました。
Podcastは、若い世代にラジオを知ってもらう目的のほか、ラジオ放送の対象エリア外に住んでいたり、会社勤めで深夜番組は聞けなかったりというリスナーにも聴取機会を提供する狙いがありました。
ラジオ番組って3回くらい聞き逃してしまうと、もうそれ以上聞かなくなってしまうんです。番組のオープニングだけでもいいから聞き返せるようにして「ああ全部聞きたかったな」って思ってもらい、本放送に興味を持ち続けてもらいたかったのです。
私も東北出身で、上京するまではTBSラジオも文化放送もニッポン放送も直接は聞いたことがありませんでした。ただ地元にいながらPodcastでラジオの面白さを知り、いまではradiko経由で毎日ラジオ番組に耳を傾けています。
入江:それは、まさにPodcastで新しいリスナーにリーチできたということですね。radikoも、当初の狙いは新たなリスナーと接触機会を持つこと。なかでも高層ビルが立ち並んで電波の届きにくい都市部でもラジオを聞いてもらいたいと始めたサービスでした。
radikoの開始意義は大きかったですよ。「若者のラジオ離れ」とよく言われますが、これって「若者がラジオを聞かなくなった」のではなくて「若者がラジオの存在自体を知らなくなった」のだと思うのです。私たちがどんなに「ラジオを聞いてください」と呼びかけても、そもそも「ラジオって何?」というのが最近の若い世代の本音ではないでしょうか。
そういう意味で、radikoがアプリの一つとしてスマホ画面に入り込んだことで、少なくともラジオの存在そのものは認知されるようになりました。これで「さあ、聞いてもらえる番組を作れるかどうか」というスタートラインには立てたのです。
2016年秋には「タイムフリー」という機能も追加しました。過去1週間の放送を自由に聞き返せるというもので、気に入ったコンテンツはSNS経由でシェアすることもできます。我々の世代は好きな番組をカセットテープに録音して次の日学校で貸し借りしていましたが、そういったいわゆる「ラジオの楽しみかた」を、現代のネットの文脈に合わせるようにしたのです。
なるほど。
入江:しかし、radikoはあくまで「本放送で流したコンテンツをネットでも」という性格のものでした。ラジオ放送で流れた広告がradiko経由でもそのまま流れるわけですから、スポンサー企業から別枠で広告料をいただくことはありませんでした。ラジオクラウドでは、ネット配信専用の広告枠を初めて本格的に販売することになりました。
消費者サービスではなくて、きちんとした「事業」として独り立ちさせていくということですね。
入江:そういうことです。
「ターゲティング型」は広告本数あってこそ
「日経ビジネス」のような雑誌を含めどんなレガシーメディアにも共通の課題があります。それはネット対応にはカニバリ(食い合い)のリスクが付きまとうことです。ネット配信が便利になればなるほど、AMやFMを通じた本放送を聞いてもらえなくなる恐れがあるのではないですか。いくら広告料が減ったとはいっても、売り上げ規模としては本放送のほうが大きいですよね。
入江:それはもちろんそうです。ただ、radikoのタイムフリー機能でリスナーが減ったかというと、そういうことは決して無かったんです。私たちも心配はしましたが、リアルタイムで聞いている人の数はそのままで、そこにタイムフリー経由のリスナー数が15%くらい上乗せされました。これまで放送時間が合わないとか色々な理由で聞けなかった人が、新たに聞いてくれたのです。
リスナーが増えたのなら、あとはいかに収益につなげるか、ですね。
入江:はい。ラジオクラウドでターゲティング型の音声広告がうまくいくかどうかを検証し、今後はradikoでの導入も業界をあげて検討することになると思います。もちろん課題は多いですよ。ターゲティング型の広告っていうのは、リスナーの属性に合わせて流し分けるわけですから、そもそも広告の種類や本数が揃っていないとあまり意味がない。残念ながら、現時点ではそれだけの広告を出稿していただけていません。
ネット活用において、テレビよりラジオが先行するのはどうしてですか。
入江:やはり身軽なんですよ。権利処理も何もかも。それから、ラジオは業界が団結しないとメディア間の競争に勝っていけないとの危機感がある。テレビはまだそれぞれ立派なメディアとして成立していますが、ラジオはもうとにかく全員が心を一つにしなければ生き残れないんです。
これまで広告の話がほとんでしたが、お金を払って聞くという、有料配信モデルを採用する選択肢はないのでしょうか。
入江:それはいまのところ無いですね。radikoでは自分の住むエリア外の放送を聞ける「エリアフリー」という機能があって、これは月額350円をいただいています。けれど、これは特別な権利処理が必要になるからであって、ラジオ事業の基本的な姿としては、いまは広告モデルしか考えていません。
なぜですか。
入江:どうしてでしょう……。まあ正直に言えば「いままでやったことがないから」という面はあります。それに音楽を含め、そもそも音声コンテンツの有料配信って上手くいっている例があまりないですよね。
最初から有料じゃなくても、たとえば「10時間までは無料、それ以降は月額500円」などフリーミアムの事業モデルもあり得るのでは。
入江:いまはまったく議論に出ていませんが、ありえる話だとは思います。入り口だけ無料にしておいて、一定以上の利用でお金をいただくアプリというのは結構多いですよね。そのあたりの応用にはなると思いますが……やはり広告主にお金をいただき、リスナーには無料でお聞きいただくのが基本にはなると思います。
TBSと聞くとテレビのイメージが強いですが、入江社長は入社以来、一貫してラジオ事業に携わってきました。業界を代表する一人として、ラジオの「いま」についてどのような認識をお持ちですか。
入江:なんといっても「ラジオ離れ」ですよね。けど、これはもう十何年も前から言われていることです。下手をすると30年くらい前から言われていることかもしれません。ラジオにとって強力なライバルが次々出現しているのに、なかなか有効な手立てを打ててきませんでした。
「ラジオが苦しんでいる」という構図は、入江社長の入社以来ずっと変わっていないということですね。
入江:はい。やはり若い世代が新しいリスナーとして入ってこないのが辛いです。TBSラジオは2001年以降、15年と6カ月間にわたって(首都圏で)個人聴取率トップという評価をいただいています。ただラジオの聴取率調査というのは69歳以下を対象としていますから、今後その年齢を超えるリスナーにどんなに聞いていただいても、聴取率は上がらなくなります。
最近では広告を出してくださるスポンサー企業の広告担当者でも、あるいはスポンサーとの関係を取り持ってくれる広告会社の営業担当者でも、ラジオを身近に感じていない方が増えているように思います。ご担当なのに「ラジオってそもそもどうやって聞くの?」という段階から始めるわけですから、ラジオで広告を打つことのメリットを実感としてイメージしてもらえていません。
テレビとはすみ分けができていた
テレビとネットメディアでは、どちらもラジオにとって強敵だと思います。両者にはどんな違いがあるのでしょうか。
入江:これはご高齢の方しか記憶にないと思いますが、ラジオにもかつて、メディアの主役として家族が集まる茶の間のど真ん中に鎮座した時代がありました。決まった時刻になると全員で集まって、ラジオドラマを聞いていたような時代です。でも、茶の間の主役はすぐにテレビになりました。
ただし茶の間こそ奪われても、ラジオは個人で楽しむメディアとして生き残りました。ラジオの再生機というのはテレビよりは安価ですから、家族一人ひとりがラジオを一台ずつ自分の部屋に置くことができたのです。家族で見るのはテレビ、個人で聞くのはラジオ、というふうに、すみ分けができたのです。
それがネットの登場、もっといえばスマートフォンの普及により、ラジオは個人が部屋で過ごす時間までも完全に奪われてしまうことになりました。
茶の間だけではなく、部屋の中まで奪われた。これがテレビとネットとの違いということですね。
入江:はい。最近タクシーに乗ってもラジオが流れていることが減ったと思いませんか。たまにごく小さな音量でニュースが流れていることはありますが、運転手さんにこちらからお願いしないと、音量を上げてくれません。お客さん第一ということで、タクシー会社は車内で流さないように指導しているようです。
「お客さん第一」を考えた結果が「ラジオを流さない」なんですね。
入江:市民権を失ったとまでは言いませんが、最近は車内の過ごし方が多様化したということなのでしょう。昔はクルマに乗ったらラジオくらいしか楽しむものはありませんでした。今ではイヤフォンを付けて自分の音楽プレーヤーで好みの曲を聞く人もいれば、ゲームで遊ぶ人もいる。パソコンやスマホがあれば仕事のメールも確認できます。
TBSラジオの業績をみると、この10年だけで売上高が50億円、全体のうち3割が消失しました。落ち込みの要因は何でしょうか。
入江:ほとんどが広告収入です。電通がまとめている「日本の広告費」によると、ラジオ業界全体の広告収入は、ピークだった1991年で2400億円を超えていました。それが、いまは半分の1200億円強まで落ち込んでいます。TBSラジオは下げ幅こそ全体より緩やかですが、それでもやはり苦戦は間違いありません。
現在の売り上げ100億円強のうち、大部分が放送収入という認識で良いのでしょうか? 住宅展示場の「TBSハウジング」は、TBSラジオの多角化事業ですよね。放送以外の事業は、どれくらいの規模があるのでしょうか。
入江:そこそこあります。
数十億円の単位で。
入江:数十億までいかないけど、4分の1くらいはありますかね。ただ、そちらはどちらかというと増収基調にあります。
すると50億円の減収はやはり、放送収入の落ち込みによるということですね。
入江:そうですね。
●TBSラジオの売上高と営業損益の推移(単位億円、16年度は予想)
売り上げは減りましたが、営業損益を見てみると、売上高が今より5割多かった2006年前後と遜色ないレベルにまで戻しています。
入江:それは筋肉質になるべく、費用コントロールを頑張っていますから。
リーマンショック直後は赤字になりました。
入江:そこだけは下期から急激に(広告需要が)落ちこんだので、対応できなかったのです。製造業のように「売れないなら作らない」とできればいいのですが、放送は広告がつかなくても流し続けないといけないので……。
下がって良いわけではないが、上向くわけでもない
今後、事業としては現状を維持していくのでしょうか。それとも、もう一度、右肩上がりの時代がやってくるのでしょうか。
入江:それはまだこれからの話ですから、なんとも言えません。でも、このままで良いとも思っていません。ちなみにラジオ業界の放送収入については、民放連が中長期の予想を出しています。そこで予測されている未来は、あまり明るいものではありません。
つまり売上高が100億円を割るのもやむなし、というような認識なのでしょうか。
入江:もちろん下がっても良いという話ではありません。ただ、民放連の予測でもどこかでぐっと上がっていくという話にはなっていないということです。
当面は、いかに維持していくか、と。
入江:それはそうですね。TBSラジオだけではなくて、各社とも厳しい放送収入の中でどうやりくりしていくかだと思います。少なくとも、私たちに今できることは経営を筋肉質にして、利益率を上げていくという地道な作業です。
ラジオ業界としては、いま経営課題の順番を決めていこうとしているところです。まずは媒体価値を上げるというのが基本。ただ若い世代でもラジオ番組を聞けるようなインフラは整いつつある。そのうえでマネタイズをどうするか。これから考えていくことになります。
まあ、でも、ターゲティング型広告が本当にうまく機能するようになったら、ラジオはもう劇的に変わると思いますよ。リスナーに聞いていただける番組が、素直に、そのまま媒体としての価値を生むわけですから。
リスナーに聞いていただける番組……ですか。結局はコンテンツの良し悪しが大切ということですね。当然といえば当然ですが……。
入江:はい。
ネットで自由に聞き返せるとか、自分の住んでいない地域の放送も聞けるとか、ここ数年で新たな聴取方法が登場したことにより、番組づくりが変わってきた事例はあるのでしょうか。
入江:いや、大きくは変わっていないと思いますよ。まだやはり普通のラジオで聞いてくださっているリスナーのほうが母数としては多いですから。「radikoで聞くから」「ラジオクラウドで聞くから」という理由で全面的に企画・編成を変えた例は、まだ目立ったものはないです。
ただ、やりようによっては面白いことが色々できるかもしれないとは思います。放送後も繰り返し聞けるわけですから、たとえば1回聞くだけでは分からないけど、2回じっくり聞くと面白いみたいな番組は良いかもしれません。難解なラジオドラマとか、凝った番組が出てきても良い。番組づくりというのはお金も手間もかかりますから、今までのように1回しか放送しない前提では作れないけれど、これからはそうじゃない、難しくても理解してもらえるということを意識したコンテンツが生まれる可能性はあります。
ラジオから、リアルタイムの要素は減っていくのでしょうか。
入江:いえ、リスナーと同じ時間軸を共有するのはラジオの基本ですので、それはそれで絶対に残すべきだし、それがなくなると、たぶんラジオ的なポータブルなメディアは生き残れないと思います。ただし、その中の一部として、聞き返せる機能を面白がった企画が要素として入ってくる可能性はあるということです。
「心に刺さる」音声コンテンツの強み
ラジオがスマホのアプリの一つになって存在が認知されるようになった、というお話がありました。けれどスマホにはニュースアプリもあれば動画アプリも入っている。ゲームだって楽しめます。ラジオのライバルがかつてなく増えるなか、改めて、音声メディアの強みはどこにあるとお考えですか。
入江:やはりラジオが基本的にはマンツーマンのメディアであるということに尽きます。深く、心の中、気持ちの中に浸透するメディアであるということです。
どういうことですか。
入江:テレビ番組では司会の人が「みなさん」って呼びかけますよね。ラジオは「あなた」とか、あるいはハンドルネームで個人に話しかける。リスナーのみなさんも、パーソナリティーが自分に話しかけているような感覚になっているのではないでしょうか。
これは科学的に何か言えることがあるわけではありませんが、やっぱり声がもつ情報量ってかなり多いと思うんです。たとえばアニメというのは、登場人物でも背景でも、絵は作りものであっても違和感なく理解できます。けれど声というのはまだまだ生身の人間が声優を務めないと成り立ちません。
声は情報量が多く、気持ちにダイレクトに訴えかけてくる存在。だからこそ、ラジオというのは一旦ハマると皆さんに愛してもらえるメディアだと思うのです。だから見てくれは古くさいかもしれませんが、付き合うと良いヤツ、みたいな。ネット時代だからこそのラジオの価値を探っていきたいと考えています。
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