今日も大学の法学部では、民法や会社法、労働法に刑法が講じられている。
そこでは、「法とは何か?」、「法の支配は実現できるか?」などと考える必要はない。国会が制定したルールが法だと誰もが思っているし、裁判官や警察官は粛々と法を実現している。「なぜこれが法なのか」などと悩む学生は、よほどの変わり者だろう。
法学部法律学科の講義では、法の定義も、法の支配も自明なのだ。
ところが、学校に関わる法律問題を考えていると、「法とは何か?」、「本当に法の支配はあるのか?」という問題が深刻さを帯びる。
骨折という事故はスルー?
一例として、少し前からインターネット上で話題になっている道徳教材について検討してみよう。
広島県教育委員会は、「『児童生徒の心に響く教材の活用・開発』研究報告集」として、「心の元気」という教材を作っている。その中に、「組体操 学校行事と関連付けた取組み」という教材がある。
小学校5・6年生用の教材で、運動会の組体操での練習のストーリーが題材になっている。
その主人公、つよし君は、組体操に熱心に取り組む小学校6年生だった。そんな彼が、人間ピラミッドの練習中に事故にあう。
今日は運動会の前日。最後の練習だ。笛の合図でだんだんとピラミッドができあがっていく。二段目、三段目。とうとうぼくの番だ。手と足をいつもの場所に置き(さあ決めてやる)と思ったしゅん間、ぼくの体は安定を失い、床に転げ落ちていた。かたに痛みが走る。
ぼくはそのまま病院に運ばれた。骨折だった。
ぼくは、目の前がまっ暗になったようで何も考えられなかった。
事故の原因は、わたる君がバランスを崩したことだった。わたる君はごめんと謝るが、つよし君は許すことが出来ない。そんなつよし君に、お母さんが次のように語る。
「一番つらい思いをしているのは、つよしじゃなくてわたるくんだと思うよ。母さんだって、つよしがあんなにはりきっていたのを知っているから、運動会に出られないのはくやしいし、残念でたまらない。でも、つよしが他の人にけがさせていた方だったらもっとつらい。つよしがわたるくんを許せるのなら、体育祭に出るよりも、もっといい勉強をしたと思うよ」
つよし君の心に、「今一番つらいのはわたるくん」という言葉が強く残る。そして、「その夜、ぼくは、わたる君に電話しようと受話器をとった」という一文でこの教材は終わる。