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青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

2024年度 年末のご挨拶

ご無沙汰しております(前回と同様な書き出しですね 笑)。

 

久しぶりのブログ更新が、本年の終わりのご挨拶です(笑)

 

枯草も風情があって良いものです

 

もう、前回の記事で書いた通り、夏の終わりからずっと体調が悪く、忙しさもあってガタガタです。ブログにまとめたいことも無い訳ではなかったですが、しんどさに勝てず…ずるずると年末まできてしまいました。

 

お陰様で、なんとかやっております。体調低下のポンコツ状態で、年末は旅行に行く予定です。無事に帰宅したら(…(ㅅ*> <)祈)、そのことはブログに書きたいです。

 

今年も、ブックサンタに参加しましたよ~

 

今年はくまざわ書店錦糸町を利用

 

選んでいて、自分が読みたいくらいでした。江戸川乱歩入れたのは、新しい性癖に目覚めるきっかけになるか、読んだ子が「自分だけじゃないんだ」と思ってくれるかと、ささやかな願いをこめて、です。

 

色々とりまぜてみました

 

自分の読書は、ゆっくりめながらしておりました。

 

最近読んだ本

 

 

ケーキ食べながらこの本を読んでいたら、「(そんな本読みながらケーキなんて食べて)どんな味がする?」と聞かれました。甘かったですよ?

 

今年、拙ブログへご訪問くださった皆様におかれましては、良き年末年始を過ごされることをお祈りいたします。来年は、もうちょっと更新できたらなぁ…と思っております。

 

今年もありがとうございました。

 

晴れた冬の日は結構好きです



それでは、また!

体力ガタ落ちな今日この頃です(›´ω`‹ )

ご無沙汰しております(›´ω`‹ )。

 

さて、先月の9月~今までのかつてない体調不良について簡単にご報告です。

 

9月に咲いていた百日紅

 

あの超ノロノロ移動していた台風10号(今年8月末に鹿児島へ上陸、ノロノロ移動しながら9月1日に熱帯低気圧に変化した)のもたらした、酷い蒸し暑さと、その後9月始めの急な気温の低下が元で、久しぶりに風邪をひいてしまったのが9月上旬。

 

ホント、勘弁して欲しいノロノロ台風

 

自分はコロナ禍のお陰?で、うがい手洗いを習慣づけていたせいか、この3年ほどは普通の風邪をひくことはありませんでした(コロナには罹患しましたが)。

 

今回の風邪は酷かったです。コロナやインフルでなかったのは感謝すべきかと思いますが、発熱・咳・鼻水が酷く、しかも皆様ご存じの通り、今年の9月は中々秋らしくならず、しつこく続く蒸し暑さのせいで、「温めて治す」ことが難しく…

 

痰が出始めてからも、咳と痰とおさらばすることはなく、実は今でも(風邪を発症してから約1ヵ月経過しても)痰が少し出ています。しつこい…

年齢的に、更年期に入っているのかな?とも思いますが、とにかくこの慢性的な体調不良にはまいりました。9月後半は、「もう大丈夫かな?」とちょこっと出かけてはゴホゴホいうのを繰り返し…これまで多少長引いても、せいぜい2週間が最長だったのに。

 

免疫力が落ちているようです…(´・ω・`)

 

免疫力ガタ落ち

 

8月いっぱいまでコツコツ続けていた英会話レッスンや英語学習も中断してしまい、9月後半から細々再開しましたが、予定していたスケジュール消化には程遠い状態でした。

 

また今年は、8月31日から約1ヵ月、渋谷のユーロスペースで『ジョージア映画祭2024』というイベントが開催されておりました。当初の予定を延長して、先の10月4日まででしたが、結局数本鑑賞しただけに留まったのが悲しいなぁ…という心境です。エルダル・シェンゲラヤ監督『サマニシヴィリ家の継母』『ムラヴァルジャミエル 追悼三部作』、ギオルギ・シェンゲラヤ監督『ピロスマニ』『アラヴェルディの祭』、テンギズ・アブラゼ監督『祈り』を今回観られました。

 

主催のはらだたけひで氏の大著『ジョージア映画全史』も購入して、スタンバっていたのに、もう。

 

上映作品についての記述もあります

 

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

そんなこんなで(気候変動のせいもあるかもしれませんが)もうエアコン買い換えた方が良いかもしれないな…とこの7~9月の酷暑で痛感しました。自分の寝室の奴、稼働はしてくれているけれどもう購入してから14、5年は経つのでもっと電気効率の良い除湿機能も最新のものに変えた方が良くないかな?…と。機器や購入時期は今後、色々調査が必要ですが、来年の夏に備えて(命がかかっていますし)。

 

後、細々と自宅でも筋トレやストレッチを習慣づけようとしているところです。更年期?かもしれませんが、この体力低下はヤバいと思っております(9月はジムにも1回行けただけでしたし)。

 

そうこうする内に、今年も後 3ヵ月足らずとなってしまいましたね。早いものです。今、また英語の勉強を再開して、日常のペースを作り出しているところです。拙ブログを読んでいただいている皆様も、くれぐれもご自愛ください。

 

まだ芙蓉の花、咲いています

 

それでは、また!

2024年8月 上田・別所温泉旅行(東御市も少し)

随分とブログを放置していて申し訳ございません。

 

先月は、長野県(上田市東御市)へ夏休みの旅行へ行っていました。

北国街道 海野宿

 

素敵な美術館や、長野での手仕事に接する旅となりました。

 

無言館

無言館前庭にて。「記憶のパレット」

無言館近隣にある、KAITA EPITAPH 残照館

 

KAITA EPITAPH 残照館の庇を借りるような形で、「豆cafe enjyu」が」営業中でした。残照館開館に合わせて営業(基本土・日・月)ですが、ここは予約していった方が良いです。何せ、この辺り、営業している飲食店が他に全くないので(自販機すらない)。

 

カフェからのロケーションは抜群、提供される料理やスイーツ、コーヒーは絶品。

 

前菜のサラダ

地元産のフルーツを使ったチェーが(゚д゚)ウマー

 

無言館の第2展示館「傷ついた画布のドーム」

静かな時間

青葉~

 

信州は涼しいかな…?と期待していったら、首都圏とあまり変わらない暑さで参りました。

 

千曲川

 

古い宿場の町並みが残っている海野宿は、しなの鉄道線大屋駅から徒歩で25分位。熱中症になりかけました。

 

立派な卯建(うだつ)がある海野宿

古い町並みが残っています

人があまりいなかったけれど、風情がありました

馬が塩を舐めるため用意された石

長野なので、蕎麦は美味しかったです

 

別所温泉では、温泉でのんびりしました。

 

別所温泉駅

8月でも蓮の花が!

宿のそばのアースワークスギャラリー前にて

 

たまたま宿に画集があった、「水野 朝」という名古屋の画家の方の作品が、もう昔の自分が描いた絵みたいで(おこがましいですが)!他人とは思えませんでした。

 

中村正義の弟子だったそう

 

上田の町も、素敵なところでした。丁度よいサイズ感。

 

宿の近くのちいさな神社

現役の映画館、上田映劇

ちゃんと現役で嬉しい

お土産は勿論…!

 

上田の町で、偶然、「農民美術」というものを知りました。上田での宿でも、農民美術の本が…!

 

帰宅後注文

 

上田市立美術館でも、「農民美術」運動を始めた画家山本鼎(画家村山槐多のいとこ!)の部屋があって、勿論こちらも訪問。

 

上田市立美術館

チケット!

 

農民美術、木っ端人形って、家にもあったなあ。何とも言えない味わい。

 

山本鼎コレクション展より

 

上田市内の、アライ工芸さんの、2階の展示室が凄かったです。懐かしの昭和テイスト。そう、こんな感じのお土産品が各地にありました。

※以下写真は、許可を得て撮影しております。

 

ふちの装飾が素朴でイイ感じ

これも良いなあ、今は作れない感じ

長野なので、お蚕様

ハガキ入れ。まるで書籍のような体裁…

これもハガキ入れ

良いなあ、ホント全てが

当時の観光地の風俗が伺えて面白い絵

アイヌっぽい浮彫絵?

 

実は、別の農民芸術のお店でも、アイヌっぽい模様のお盆が(昭和30年頃と伺った)展示されていたのですが、それは、北海道で売られていたお土産品の「下請け」で制作された品だそうです。え~?アイヌが作っていない(北海道で作られてもいない)のに?と微妙な気持になりましたが、当時は沢山!作って納品していたそうです。

なんか大きな闇を垣間見た気が…(;´・ω・)

 

さて(と強引に話を戻す)農民芸術は元々、農家の方々が、農閑期に作って収入源とされていたようですが、現在は専業の作り手さんが多いようです。

 

私も、旅の記念に洋風な感じのボンボニエールを購入しました。下の写真ですが、一緒に映っているのは、家にあった、登山の木っ端人形です(小さくて分かりにくいでしょうが)。

 

青い器が、木製のボンボニエール

 

梅野記念絵画館内から、浅間連山を望む

 

それでは、また!

ネスレや持続可能性、CSVなどについて―そして野口健

今朝受講した、オンライン英会話の先生、合いませんでした…(›´ω`‹ ) ゲッソリ

 

さて、最近、持続可能性、CSVについて調べたり感じたことをいくつか記録します。  

かなり古い本ですが

 

【目次】

 

なんとなく好きではなかった「持続可能性」etc.

(盛り上がっているのは日本だけ?なんて噂も聞きますが)今、SDGsやら持続可能性やら、ESGやらCSRやらCSVやらが社会的に良く耳にするようになりました。かく言う私の勤め先でも、そういったことを推奨する空気となっております。

 

自分は、これらの空気に対して、ふわーんとした理解のみなくせに、うっすらとなんとなく好きではないな、という(ありがちな)スタンスでいました。

しかし、会社がこれを推進すると言っているので、ある程度知識を持っていた方が良いのかな…と自社で策定された持続可能性に関するメッセージをまず読み、薄~くですが読書やネットサーフィンなどでもそもそお勉強を始めておりました。

 

ネスレマイケル・E・ポーター教授、CSVについて

そんな中、ブログでつながりのあるくま坊 (id:kumabou2016)さんが、スイスの食品・飲料会社であるネスレや同社に関係がある経済学者マイケル・E・ポーター教授について書かれた過去記事に今になってやっと注目していたのですが…

 

www.kumabou.com

 

上記記事のとおり、マイケル・E・ポーターさんが提唱し、ネスレが早くから経営に取り入れていた(2000年前後から!SDGs採択より15年も前の話です)という、「社会的価値と経済的価値の両立、社会的課題を解決することで、企業価値を高める」こと…出来たら良いけど、そんなこと実現出来るの?という不安が記事を拝読していて若干ありました。

 

ネスレ野口健氏との関係

さて、話は変わりますが、今年の初夏頃に『さよなら、野口健』という書籍をやっと読み終わりました(※2022年刊行)。

 

強烈な本でした

 

 

”登山家”野口健氏は、毀誉褒貶がかなり激しい人物かと思いますが、この方の真価は(登山家の世界で評価される登山活動よりも)、着眼点や新しい枠組みを作ってしまうパイオニアの面と、そして一旦「これをやる」と決めたが最後(”やりたい”止まりではなく)、多くの人々や組織を巻き込んで本当に実現してしまう面で、その凄まじさが上記の本で書かれているのですが。

主な実績を上げると「七大陸最高峰登頂最年少記録」「エベレスト清掃登山」「富士山清掃登山」「シェルパ基金(ヒマラヤ高所登山で亡くなったシェルパ族の遺児の学業・自立までをサポートする基金)」、その他、熊本地震や今年初めの能登地震に関する救援活動など、色々あり、これらで実際に助かっている人々もいるのを見ると、一概に否定はできないな…と読んでいて感じました。

 

被災地のテント村とか、貢献度が凄い

まあ、光有れば影ありで、マネージャーなど側近へのモラハラパワハラはホントいかんと思いますが。

 

話を戻しますが、野口氏がぶち上げ・実行してしまった「エベレスト清掃登山」隊活動、これは大変なことです。エベレストの(ベースキャンプより上の)山域に入るのには、1人1万ドルの入山料をネパール政府に支払わなくてはならないそうですが、そこまでして登頂を目指さず、本当に過去の登山隊が遺棄していったゴミを拾って回収する…

しかも、8000mもの高所では、当然空気は希薄だし天候急変や雪崩の危険もある、そんな中で重い荷物(回収したゴミ)を持って下山する…当時かなり批判があったようですが(ヒマラヤでゴミ拾いするために大量の化石燃料を燃やして大勢ネパールへ行くわけですし、環境負荷を考えたらそんなに良い活動か?とか)、環境問題への提言であり、社会的なインパクトも大きかったようです。

 

さて、それが評価されたのか、2000年に野口氏はネスカフェゴールドブレンドのCMに出演されました(つまりネスレが野口氏を広告塔に起用した訳です)。

 

ダバダ~♪

 

このくだりと、くま坊(id:kumabou2016)さんのブログにあった、「ネスレが2000年前後から社会価値を経済価値に置き換える経営を進めている」…という内容が私の脳内で結びつき、「ああ~!?そういうこと?」と大興奮になりました。

勿論妄想にすぎませんし、スイスのネスレ本社が各国のネスカフェCMの出演者にどれだけ口を出しているかは分かりません。むしろ、当時のネスレのCEOであった、ピーター・ブラベック=レッツマット氏が、かなりの登山ガチ勢(南米最高峰のアコンカグア(6960.8 m)にトライするレベル)であったことが大きい気もしますしね…結局、推測止まりです。

 

ところで、野口健氏は、コーヒーが飲めないそうです。CMでは赤ワイン飲んで、CGで湯気を付けたものを放映していたそうです(笑)

 

論文『Creating Shared Value』を読む

くま坊さんの記事でご紹介があった、マイケル・E・ポーター教授の論文『Creating Shared Value』も読みました。Kindleで495円だから、読めなかったら途中でやめよ、と思いつつ。

 

 

それが、この論文、私にはとってもワクワクして読めました。特にロケーションの再評価やクラスターについての下り(企業の拠点がある地域への補完的な投資の重要性)とか、サプライチェーンの大々的な見直しの下りが。私は『コンテナ物語 世界を変えたのは「箱」の発明だった 増補改訂版』という本が好きなのですが(物流業界にいますし)、コンテナリゼーションがグローバルサプライチェーンを作り上げた、その後に世界が「こう変化してきたのか!」と歴史的興味から、読んでいて非常に(*´Д`)ハァハァしてしまいました。

 

 

そう、私がビジネス書などを読むのは、ビジネスだ経済だ、というより、歴史としての興味なのです。人間ドラマの側面がないと心惹かれないといいますか。

 

倫理的判断ではない

とは言え、私は末端の人間なので、実際に会社の中でCSVを実現していくなんてことは分かりません。その辺りは、「上」の方々の役目ですし。

後、ポーター教授の論文にも通じますが、『知られざる競争優位―――ネスレはなぜCSVに挑戦するのか』という本の中(ピーター・ブラベック氏へのインタビュー)で、「私たちが会社を健康企業に位置づけし直しているの(※CSVの実現)は、倫理的な判断からではなく、商売上の判断です」と明言されているのにはスッキリしました。

 

 

ポーター教授もブラベック氏も、資本主義下での競争を否定していないのです。共通価値の創造(CSV)によって、自社の事業に他社との競争上の優位を産む(水をあける)。そこがキモなのだと思います。

そうですよね、SDGsの採択だって、利己的な判断でなされている、そう考えて良いと思います。あたかも「倫理的に良いこと」みたいに世の中で宣伝されているから、もやぁっときていたんだな…と。

 

安心しました。その方がずっと信用できます(笑)

 

花~

 

それでは、また!

人は正しさだけでは動かない

「人間が一番地球環境に害をなす存在(`・ω・´)早く人間を(ry)」と思う今日この頃。

さて、今日は畜産(主に牛)についての短文です。

 

肉。

 

いきなりで済みませんが、皆様肉は好きですか?

 

私は肉が好きです。牛肉は高いですし健康上の理由から、たまにしか食べません(※だいたい国産牛)が、食べると元気になるのが良いです。乳製品も大好きです。


昔『ある精肉店のはなし』というドキュメンタリー映画(良い作品でした)で、昔ながらの方法で牛が屠畜される過程を視聴→終映後に焼肉屋に直行→「牛と生産者様に感謝してこれからも肉を食べよう。美味しいなあ」…ともぐもぐ肉をいただいたこともあります。 

 

良い映画でした


そう言えば、鶏を絞めて解体していただくワークショップに参加したこともありましたね(絞めたのは私ではないですが…それが心残りです)。私の力で殺せるのは鶏がせいぜいでしょうから、また参加できる機会があったらトライしてみたいです。昆虫食?遠慮いたします。

 

また、亡父の「子供の頃はウサギを家で(食用に)飼っていた」という話をもっと詳しく聞いておけば良かった…と悔いています(父よ…レシピは?)。

 

(遥か昔の)学生時代、肉を食べない友人に理由を聞いたら、「牛1頭を育てるのに、これこれの広さの農地で育てた穀物が必要で、それならその穀物を人間が食べた方がコスト的にも環境に良い…云々」と講釈を受けたことがあります。当時そういった意見は少数派でした。

 

牛~


それが、現在はあちこちで「牛1頭で自動車1.7台相当の環境負荷「牛用の飼料を生産する位なら飢えている人間に回せ」「牛のげっぷ(メタン=CH4;温室効果ガスの一つ)の排出量が膨大」と、世界的に畜産も牛もすっかり悪者扱いです。

 

しかし、それで「牛肉を食べないようにしよう」「牛を減らせ」と考えるのはちょっと待ってください。少なくとも日本では令和4年度の食料自給率(重量ベース)では牛肉が約39%(※農林水産省より)。むしろ国産品は食べて応援したい位です。そして、この国で最大のメタン排出元は水田です(メタンは嫌気性の微生物が発生源の一つ)。勿論、対応策を各研究機関が模索しているところですが、あなたはこれを聞いて、いきなりご飯(米)をやめられますか?

 

稲作~

 

確かに今、世界的に牛は多すぎると思います。スーパーにはいつも溢れんばかりにお肉(牛肉に限らず)が売られていますし、食品ロスの問題を鑑みても、本当にこれだけの頭数が必要か?と思います。それに、牛に濃厚飼料(穀物が主)を与えているのは肉牛の肥育や乳牛の生産効率のため、つまり人間側の都合にすぎません。そもそも、牛は本来草だけで生きられる動物です(※だからといって、いきなり濃厚飼料抜きにしろ!と言うのは乱暴ですが)。

 

ステーキ!たまに食べたくなります


そう、牛の頭数を増加させたのも、飼料の問題も完全に人間の責任です(牛が勝手に増えた訳ではないのです)。そうして自分たちに都合が悪くなったら今度は厄介者扱いする。人類を1万年に渡り支えてきてくれた“恩獣”に対して、この態度。素晴らしいと思いませんか?

 

ただ、各国も手をこまねいている訳ではありません。先日読んだ本『ウシのげっぷを退治しろ―地球温暖化ストップ大作戦』(旬報社 大谷智通 著 小林泰男 研修)によると、世界中の約15億頭もの牛たちが放出するメタンを減らそうと、現状、科学者たちが様々な研究を続けているそうです。ガンバレ。

 

若い世代向けに書かれたようです

 

 

私は、人間の“欲望”と“弱さ”を軽視すべきではないと思っています。自制心と意志の強さを発揮できる方はそう多くない(そういう人は“そうすることが好き”ですしね)。“欲しい”という気持は大きな原動力で、物流や人流もこれ無くしては…


大体「正しさ」だけでは人は中々動きませんよ。未来を見据えた行動とその継続には、我慢ではなく、楽しさやモチベーションとなるものがないと。食生活から肉や乳製品が失われたら、私のQOLは間違いなく低下します。

 

牛は人類の恩獣

 

昔、地元の県内で循環型農業(酪農・稲作)を実践している牧場に見学に行ったことがあります。牛たちがとても大きくて美しかったですが、広大な敷地内にある、牛の糞尿から堆肥・液肥を製造する設備や、その肥料を活用した田んぼも見事でした。何より代表の方が牛や牛飼いの仕事をとても愛して、打ち込んでおられることが伝わってきました。


最近、自分の行動範囲近辺に、この牧場直営のジェラートショップがあると知り、先日行ってみました。ジェラートも、これも牧場で製造されたチーズも(テイクアウトしました)、とても美味しかったです。

 

また行きます

 

こういった営みが途絶えて欲しくない、と個人的には思っています(これも私の“欲”から出た気持です)。

そして、それとは別に、培養肉の可能性にも興味津々です。私が生きているうちに口にできる日が来ないかと、楽しみです。

 

ンモォ~~

 

それでは、また!

DMM英会話レッスン_開始後1ヵ月経過の所感

今年も半分過ぎてしまうのだ、と思うとびっくりです。

 

さて、この6月頭からオンライン英会話のレッスン受講を「DMM英会話」にて開始したので、1ヵ月経過をしたところでその所感を記録します。

 

DMM英会話 公式サイトより引用

 

開始して半月経過時点での記録は以下記事

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

現時点での所感としては、流石に挨拶や、基本的なレッスンの流れ(お決まりの聞かれること、聞くことなどのフレーズ含め)を呑み込めてきた…ということでしょうか。自分用に、下画像のように良く使用するフレーズのカンニングペーパー(もはや紙芝居なサイズ)も作りましたし。

 

この程度でも咄嗟に出てこないので

 

現状は「そちらの天気はどうですか?」という程度でも、想定外のことを聞かれたりすると、あたふたしてするレベルですが(;´Д`)それは仕方がない…

 

またレッスン受講のペースですが…レッスン開始時期は比較的暇だったのですが、6月後半から主に仕事が忙しくなってしまい…結局この6月は(毎日1レッスンのプランで)総受講回数は14レッスンに留まりました…特に最後の週は週に1レッスンとなってしまいました(›´ω`‹ ) ゲッソリ

 

そして、様々な事情を鑑みて、7月からは一旦、毎月8レッスン上限のプランに変更とすることに決めました。

 

DMM英会話 公式サイトより引用

 

仕方ないですよね。仕事と健康優先ですから、レッスンの予習時間も確保しないといけませんし。7月後半からは、また時間に余裕が出てくる見通し(…のはず)です。

 

上記の「様々な事情」には、DMM英会話とは別に、英会話の通信教育(受講期限あり)もスタートする、ということも含まれます。そちらも合わせて様子見…といったところです。また可能でしたら、毎日1レッスンプランに戻すかもしれません。

 

通信教育は教材・アプリ仕様らしい…です

 

嫌になって止めてしまうことが無いように、細く短く、コツコツと続ける所存です。

 

他にも、フィリピン人講師について、など書きたかったですが…疲れ気味なので本記事はこれにて失礼します。

 

先日の、夏至の早朝の空

 

それでは、また!

『ダロウェイ夫人』ヴァージニア・ウルフ 著 感想

googleアナリティクス 4 への移行(このブログへの設定)を何とかすませた…かもしれません(出来ていないかもしれません…)

 

さて、この6月に、時期的にぴったりの小説『ダロウェイ夫人』を読了したのでその感想です。

 

素敵な小説でした

 

【目次】

 

あらすじ

現在と過去を自在に行き来し、青春時代を回想する「意識の流れ」の文体で、クラリッサ・ダロウェイの1923年6月、第一次大戦の傷跡残るロンドンのある一日を描く。モダニズムの代表作。

Amazon公式サイトよりの引用)

 

上記にまとめられている通りです。初夏の瑞々しく溌溂とした空気のロンドンを舞台に、タイトルになっている「ダロウェイ夫人」こと、保守系政治家の妻であり、裕福な家庭の夫人でもある51歳のクラリッサ・ダロウェイ視点だと「自宅でパーティーを開いた。懐かしい人々と再会して、偉いお客さんも来てくれて、無事終わった(終盤、少しばかり影がさすけれど)」…だけの話です。これで文庫本にして340ページ位の長さ。

 

ロンドンに梅雨はないでしょうね

 

独特の語り口

拙ブログで小説の感想記事は、久しぶりですね。小説に書かれた6月中に何とか読み終わろうとしていましたが、終盤では読み終わるのが惜しくなりました。

とても魅力的な小説でした。この小説は、基本全てを統括するような語り手(3人称)がいるのですが、いつの間にかクラリッサ・ダロウェイをはじめとした登場人物達が語り手となって(1人称)、その時の語り手が見聞きしたことや思ったこと、過去の記憶と、人の意識の移り変わりをそのまま描き出す手法をとっています。こういう手法を「意識の流れ」というそうです。

 

花屋~

 

例えば、クラリッサが自宅でのパーティーに飾るための花を花屋に買いに行くと、その花屋の店員に語り手が移り、その人の主観で見えている人・ものが描写されます。そんな風に、クラリッサに仕えるメイドや元カレのピーター、夫であるリチャード、そればかりかすれ違っただけの人、その場に居合わせた人、そういった赤の他人がまたすれ違っただけの人…と沢山の人が語り手となっていきます。

人間の意識なので、その時の語り手が意識する人やもの、注意の対象、感情が目まぐるしくくるくると移り変わっていく様も面白いです。「今この時・この場所(小説の本来の舞台である6月のある水曜日のロンドン)」に留まらず、何十年もの過去の記憶や、それにつながる場所を思い出したり、またその時の関係者と「今」会って話したり…1日の出来事を描いた話なのに、何十年もの時の流れの中を往還する描き方が楽しいです。

 

“私”はあらゆる場所に存在する

そして、家族や友人知人のみか、たまたま同じ場所に居合わせ、すれ違うだけの者同士があたかも揃って交響楽を奏でているかのような描写。まるで個々が世界という大きな歌の一節であるかのように。これが流れるような美しい文章でつづられていきます(原文も良いのでしょうが、丹治 愛氏の訳文がおそらく素晴らしい)。

 

公園とか~

 

…突然彼は目を閉じ、よいしょとばかりに片手をあげ、葉巻の重い吸い殻を投げ棄てる音、歩き過ぎる人びと、高まったり低まったりする往来のざわめきを掃き去った。下へ下へと彼は沈んでゆく。眠りの羽毛のなかへと沈んでゆき、ついにその羽毛に覆われてしまう。

ピーター・ウォルシュが陽のあたっているベンチでいびきをかきはじめたとき、隣りにすわっていたグレーの服の子守女はふたたび編み物をとりあげた。グレーの服を着、一心不乱にしかし静かに両手を動かしている彼女は、あたかも眠る者たちの権利を護る闘士のようであり、また空と木々の枝からなる薄明の森の世界に立ちあらわれる霊的存在のひとつのようでもあった。小径をたずね、羊歯の群生をかき乱し、大きな毒人参の草を踏みにじる孤独な旅人は、空を見あげると、不意に騎馬道の果てに巨大な人影を認める。(以下略)

 

…「どこにいるんですか?」とヒュー・ウィットブレッドはつぶやくように言った。と、たちまち、日がな一日レイディ・ブルートンのまわりに打ち寄せる奉仕の灰色の潮に、ひとつのさざ波が生じた。その潮は高まり、遮断しつつ、彼女をきめの細かい薄織物で包み、そうすることで衝撃を消し、妨害を和らげ、ブルック・ストリートの屋敷のまわりに目の細かい網を広げていた。その網にはいろいろなものがかかっていたが、三十年にわたってレイディ・ブルートンに仕えている白髪頭のパーキンズは、そのなかから正確に即座に必要な情報を拾いあげ、ピーター・ウォルシュの滞在先を書きとめ、それをミスタ・ウィットブレッドに渡した…

(以上、どちらも集英社文庫版『ダロウェイ夫人』より引用)

 

本作で結構重要なポジションにいるビッグ・ベン

 

このことは、娘時代の以下のクラリッサの言葉に端的に表されている気がします。

「自分があらゆる場所に存在している感じがするの」「あらゆる場所に」「わたしはあれ全部なのよ。だからわたしなり誰かなりを知るためにはその人を完成させている人たちを、そしてその人を完成させている場所も、見つけださなければならないのよ。一度も話しかけたこともない人、たとえば通りを歩いている女やレジに立っている男にも、私は奇妙な親近感を感じる。木々や納屋にさえ。」

 

作中で、ビッグベンが打つ時の音も、何らかの役割を負わされている気がします。

 

見え隠れする闇

上記のクラリッサの世界観?で言うと、この小説で彼女と対になる存在と言えるセプティマス・ウォレン・スミスとも、つながりがあるといえるかもしれません。

とはいえ、小説の設定では彼はクラリッサとは赤の他人と言って良い存在です(間接的に薄~いつながりはあるといえばある)。『ダロウェイ夫人』はセプティマスのある1日を描いた話とも言えます。

セプティマスは第一次世界大戦(1914年~1918年)に志願して出征し、仲の良かった上官を戦争で亡くたこともありシェルショック(PTSDのようなもの)を負っています。病んでいるので、不思議なヴィジョンを見たりします(これは神経衰弱を患っていた作者のウルフが実際に見聞きした幻覚が元になっているそうです)。

 

このように、『ダロウェイ夫人』では、初夏の瑞々しいロンドンの空気を生き生きと描写していますが、随所に戦争の傷跡、クラリッサが過去にスペイン風邪に罹患したこと、彼女の老いや死を意識する描写もあり、このことが小説を味わい深いものにしています。

 

無関係と見えていたセプティマスとクラリッサの物語は、この小説(で描かれる一日の)最後に、ほんのうっすらと交錯します。さて、それはどういった形?

これは、実際に読んでいただいてのお楽しみです…

 

薔薇~

 

『ダロウェイ夫人』は、読んでいて現世の瞬間ごとの煌めきと闇とを堪能できる、奥深く美しい小説でした。

 

初夏~

 

それでは、また!