■出口汪 水王舎代表/広島女学院大学客員教授 小林秀雄が「昭和27年」という文章の中で、孔子の中庸をこう解釈している。 《中庸は右や左という極端を避け、その中間を行くことではない、中庸とは、自分で考える精神の復権であり、これほど過激で困難なことはない》と。 一見、中庸と似たものに、日和見主義がある。自分でものを考えずに、勝ち馬に乗ろうとじっと世の中の流れを眺めている輩である。 この日和見主義者が増えたときに、世の中は大混乱に陥る。 権力闘争はいつだって上部のほんの一握りの人たちの中で行われる。権力者は貪欲(どんよく)な獣であり、その食欲は際限がない。彼らは自分の欲望を正当化するために、思想とやらを巧みに利用する。 権力基盤が安定しているときは、日和見主義者は時の権力に荷担(かたん)する。権力者は教育によって国民を思考停止状態にすればいいだけである。 だが、上部での権力闘争の結果、権力がほん