かつて物書きになりたかった僕は、書き手としてどう世界に関わるかについて悩みがあった。それは結局のところ物書きにとっての成果物とは何だろうかという問いである。大学が決まってITライターとして駆け出しの頃、この業界で稼ぐには「文化的雪かき」の如く情報を右から左に流していくしかないように感じた。僕が渇望していたのはそうではなく、自分にとって社会的価値があると考えられる、現実を動かす営為だった。 ここで私は、「知的生産力は、『人が思わないことを、人に届ける』能力」と書いた。あくまで「思わない」であり「思いつかない」ではない。そして「人に届ける」であって「自ら思いつく」ではない。 (略) 徹底的に考え抜くのは楽しいことだし、衝突と再発明を繰り返していれば、人はいやでもそうなっていく。しかし考え抜くことそのものは、知的な行為であっても知的生産ではないのである。誰にも語られぬ熟考は、はっきり言ってしまえ