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ブラックフライデー
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臨床ではなく、思想として 自分のラカン入門を例にして、どんな順番でラカン本を読んでいくのがいいのか考えてみた。もちろん臨床ではなく、思想としての入門。それから主要な理論についてはいくつか図解もするので、参考にしてもらえればと思う。 よく知られているように、ラカンには残念な偏見がつきまとっている。難解だと言われ続けた挙げ句に、「理解させるつもりがない」とか、構造主義やポストモダンと一緒に「もう終わってる」と言われ、そもそも精神分析自体が脳科学などの認知科学や神経生物学などに取って代わられた事実もあったりして、最終的には「ひねくれた」理論というレッテルを貼られているような状況である。 たしかにラカン自身わざと難解にしている節もあるし、そのせいで敷居も高い。またポストモダニストと共鳴している部分も往々にしてある。くわしいことは知らないが、理論としても、臨床としても、少し古くさいものなのだろう。し
最近の音源を探したり聴いたりしていたら、楽曲のリズムの構造を点と線で視覚化したカバーアートが多いことに気がついた。
東京は夜の七時。 嘘みたいに輝く街。 僕らはここで、記録メディアを所有する必要がないほど、山下達郎の「クリスマスイブ」を耳にしている。この失恋ソングは、今から30年前の1983年に発表された。 もう今では考えられないが、当時はポップカルチャーが時代を代弁していた。 1983年には『戦場のメリークリスマス』が上映され、「メリー・クリスマス、ミスター・ロレンス」の台詞とともに、ビートたけしが映画界における一歩を踏み出した。さらに映画と言えば、フジテレビが社運をかけてVangelisの音楽と白銀の世界を共演させた『南極物語』も、この年に公開されている。 音楽界では、細野晴臣主宰の¥ENレーベルから、日本で初めてとなるクリスマスのコンピレーションアルバムが発売された。もうひとつのクリスマス定番ソングであるワム!の「ラスト・クリスマス」は、リリースこそ次の年だが、タイトル通り去年(1983年)のクリ
前回に続き、アンダーグラウンド心理学の道筋を辿っていくと、その先には精神分析学の創始者ジークムント・フロイトの姿が現れる。 前回は、科学的心理学とアンダーグラウンド心理学を、科学と異端の対立図式に照らし合わせながら、二人のダーウィンの理論を追ってきた。引き続き「魂」のようなものを問題にしながら、今回は精神分析学の方へと舵を切る。まずはじめに生態心理学の方法を確認していく。 マイクロスリップと錯誤行為 デカルト以降、ある領域が科学と呼ばれるには、単体のモジュールとして扱えることが条件になった。この極めて人為的な単位は、カリキュラムとして細分化するためのアカデミックな都合でもある。生態学的(エコロジカル)な心理学と呼ばれる意味を考えた場合、科学とそれ以外からなる生態系を横断するような方法でなければならないだろう。 生態心理学の基本的なアプローチは、心理的なコンディションと身体的なメカニズムを統
上の図は、UX デザインに関連する00年代の時代背景をまとめたものである。この10年間を思い出しながら、インターネット技術の潮流、共有された思考のモード、デザインに関するキーワードをざっと並べてみた。 00年代初頭、Web サイトというメディアが成熟期に向かう過程で、インフォメーション・アーキテクチャ(IA)という分野の価値が高まっていく。IA/UX という表記の通り、この時代の UX デザインの捉えられ方は、IA の概念と表裏の関係にあった。つまり、正しい情報設計のためにユーザー中心の思想で設計を行う、といった意味合いで使われることが多かった。 00年代後半にさしかかると、今度は利用者自らがコンテンツを生成するという、ユーザー体験の変化が起きる。またモバイル端末の環境が整い、数多くの Web サービスやアプリケーションが作られた。 こうした流れは、ユーザーインターフェース(UI)の単純化
前回の「100年目のマーシャル・マクルーハン 1」の続き。 「外心の呵責」に苛まれる時代 『メディアの理解(メディア論)』で謳われた「われわれは、われわれの見ているものになる」、すなわち「われわれがメディアを形づくり、その後メディアがわれわれを形づくる」というテーゼは、ますます現実的なものになってきた。 メディアによって拡張されても、われわれは全能に近づくわけではない。前回の「感覚比率」の通り、ある感覚を拡張させれば、また別の感覚が麻痺していくだけである。 かつての身体の拡張は閉鎖体系であったが、現在の電子メディアによるネットワークは脳と神経の拡張であり、オープンな体系である。そのため、われわれは自分を拡張したものがどうゆう風に見られているか、いつも気にしなければならなくなった。この感覚をマクルーハンは「外心の呵責」と表現した。 われわれの神経系が拡張されることになった契機は、電信が発明さ
前回の「ラカン理論のインストール手順 2」の続き。基本インストールの手順は前回で終わってるので、今回は少し転回された内容のものを紹介したい。 まずは、ジジェク再び。「欲望のグラフ」の解読から始める。 イデオロギーの崇高な対象 「欲望のグラフ」とは「主体」の「欲望」を弁証法的に構造化した図のことで、57-58年のセミネール「無意識の形成物」で初出したものである。 このグラフの解読が重要だと考えている理由は、初期から中期の主要な概念やマテーム(数学素)の意味、またそれらの関連性が俯瞰できるからである。もう少し具体的に、臨床的に言うならば、自分を急き立てる「欲望」を、そのエンジンの仕組みを、理解する助けになるからである。 他のラカン理論同様、この「欲望のグラフ」にもさまざま解釈があるが、一番腑に落ちたのが、次に紹介するジジェクの『イデオロギーの崇高な対象』で説明されたヴァージョンだった。 スラヴ
フィリップ・ヒル『ラカン』 マクルーハンとか西洋哲学関連のものでおなじみの、ちくま学芸文庫「BEGINNERS」シリーズのラカン編。 こちらも前回紹介した『生き延びるためのラカン』と並んで、入門書を読む前に読むべき入門書としてオススメできる。 『生き延びるためのラカン』が社会現象やサブカルチャー全般を参照しながらラカン理論を説明しているのに対し、本書は古代ギリシャ哲学を出発点にして、他の学派と比較を交えつつ、主要な精神分析用語の再解釈に努める、オーソドックスな構成である。 またラカンの人となりの紹介にもページを割いており、ラカンが無神論者だったことなど、本書で初めて知ったこともあった。年表とブックガイドも充実していて使える。 図解のある入門書のよさは、文脈が目で見て取れるところ。本書もテキストだけで構成されたものに比べると、立ち返る場所が参照されやすいだろう。 『ラカン(FOR BEGIN
最近「何が正しいのかわからない」という話をよく聞く。たしかに2011年だけを考えても、いろんなことがあった。だがこれはどうも、身の回りの情報が増え、価値観が多様になったというような、単純な理由じゃないような気がする。 2011年の”Do The Right Thing” ビン・ラディン殺害の件なんかがそう。テロルとの戦いにおけるピリオドとしてはわかりやすいシナリオだけど、国による仇討ちが「正しさ」として成立してしまってよいのだろうかという疑問が残る。今回のビン・ラディンは4代目だなんて噂もあり、情報の不確実さがそれを助長している。 それからウィキリークスについても意見が分かれるところだろう。ただ彼らの場合、急進派にとってのヒーローであり、保守派にとっての鼻つまみ者なので、構図はわかりやすい。「公共の益になる情報を開示するためのプラットフォーム」というアイデンティティに、「パブリッシングの透
『論理哲学論考』第2階層までのリスト ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』 1. 世界は成立していることがらの総体である。 1-1. 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。 1-2. 世界は諸事実へと分解される。 2. 成立していることがら、すなわち事実とは、諸事態の成立である。 2-01. 事態とは諸事態(もの)の結合である。 2-1. われわれは事実の像を作る。 2-2. 像は写像されるものと写像の論理形式を共有する。 3. 事実の論理像が思考である。 3-01. 真なる思考の総体が世界の像である。 3-1. 思考は命題において知覚可能な形で表される。 3-2. 思考は命題で表現される。そのさい、思考に含まれる諸対象に命題記号の諸要素が対応する。 3-3. 命題のみが意味内容をもつ。名は、ただ命題という脈略の中でのみ、指示対象をもつ。 3-4. 命題は論理空間の中に一つの領域を規
WebサイトのUI設計のアナロジーとして、建築家クリストファー・アレグザンダーのパターン・ランゲージについて考えてみたい。 ツリー構造とセミ・ラティス構造 まずはアレグザンダーの最初の気付きから。 長い年月にわたりともかく自然に出来上がった都市を<自然都市>、又デザイナーやプランナーによって慎重に計画された都市やその部分を<人工都市>と呼びます。(中略)今では多くの人々がなにか本質的なものが<人工都市>には欠けていると感じている。 クリストファー・アレグザンダー「都市はツリーではない」 アレグザンダーは人工都市と自然都市の差異、そして人工都市のあり方を考えた末に、引用元のタイトルでもある「都市はツリーではない」という結論に至る。そして人工都市をツリー構造として計画してしまう問題を次のように考察している。 我々がツリーを考えているときは、デザイナー、都市計画家、行政当局、開発業者だけに適合の
〈ブランディング〉は、マーケティングに比べて結果が見えにくく、 効果も測定しづらい中長期的な投資です。 これは〈ブランディング〉が事業を直接ドライブさせるものではなく、 正しく成長するための足場として機能するからです。 つまり、経営やマーケティングの課題に集中するためには、 先に適切な〈ブランディング〉をおこなうことが重要になってきます。 SERVICES RECENT PROJECTS
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