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数カ月ぶりに、CoCo壱番屋の北谷(ちゃたん)国体道路店を訪れた。相変わらず、昼時は軍人だらけだ。目を凝らすと将校クラスの上官らしき人物が2名、窓を背に店を見渡せる席にすわっている。それを知らずに店に入ってきた若い白人兵たちは、大きな声を出すのを急にやめ、身の置き所のない様子で離れた席にすわる。カレーショップではなく、基地内のメスホール(簡易食堂)の光景が、そのまま展開されているかのようだ。 誰もがみな、既に食べるものを決めてきたかのように、迅速に注文する。なかにはメニューすら見ない者もいる。そして言葉を区切ることなく、ひとつながりの英語で注文を口にする。耳が慣れていないと、何かの呪文のようにも聞こえるだろう。 食べ方は、まさにアメリカ人そのものだ。まずはカレーソースをスプーンですくい、トッピングの載ったライスに、いかにも不器用な手つきでまわしかけてゆく。そして全体を丹念に混ぜあわせ、
たまいこ・あきひろ 1976年、神奈川県生まれ。フリーランスの編集・ライター。大学卒業後、出版社に勤務。退社後は大東亜戦争中のベトナムに存在した日本の外地校「南洋学院」に注目し、「仏印・ベトナムと日本のかかわり」をテーマに取材を続ける。2005年、ホーチミン市(旧サイゴン)に移住。現在は「ベトナム残留日本兵」への聞き取りにも力を注ぐ。
大分以前のことになるが、日蘭修好四百周年記念の年(2000年)に、オランダ戦争資料研究所の企画・主催する「オランダ人、日本人、インドネシア人——日本のオランダ領東インド占領の記憶——」展がオランダと日本で開催された。その展示会を巡って、東京外国語大学の佐藤弘幸教授は氏の論文『操作された記憶——戦勝国民の記憶「オランダ戦争展」をめぐって——』の中で、当戦争展が日本軍占領の約三年半だけをカバーしていることを指摘してこう述べている。「このように……期間を限定することは、最初から展示の内容を大きく制約することになる。なぜなら、この期間日本人は占領軍として強大な権力を振ってきたのに対して、オランダ人は強制収容所の中で全く自由を奪われていて、日本人とオランダ人の力関係は圧倒的に日本人の方に優位に傾いていたからである。……オランダ人がこの期間の記憶をもとに展示を構成しようとすれば、当然日本人の加害者性を
資料を読み誤れば歴史は隠され続ける。近現代史に関わった人々の日記、自伝などから、書かれたことの意味、あえて書かれなかった事実、取り繕われた嘘を読み解く!
“文”と“武”、最近私は“武”のほうでなく、“文”において強くあることの難しさを痛切に感じる。私がそんなことを感じるということは社会が嫌な方に向かって動いているということなのだろうが、そういう「大きな」話はいまは置いておくことにする。きっかけはささいなことだった。 ある青年と知り合った。彼は高校を卒業したあと定職に就かずに親と一緒に住んでいる。そんな知り合いは私には昔から何人どころか何十人単位でいるから、定職に就いていないことなど何も気にせずに話し相手になっていたのだが、彼だけは私のいままで会ってきた人たちと違っている。 彼は体が大きく私より頭半分くらい背が高いから180センチくらいはあるだろう。第一印象では目つきも鋭く人と簡単には打ちとけないような表情を崩さず、襟にボアのついた革ジャンなんかを着ている姿を見ると、会うたびに私だって緊張してしまうくらいだ。しかも高校時代は空手をやってい
*今回の内容は、2006年11月23日更新の第4回「オタクの自意識~竹熊健太郎氏との対話(2)」に続くものです。 ―――だから、一時僕と竹熊さんは、「エヴァ」において狂った人という風に一部の人たちから認定されてたわけでしょう。(注:このインタビューは劇場版新作発表より1年ほど前に行われたものです) 竹熊 まあそう思われてたわけですよ。テレビシリーズ終了後、監督の庵野さんが積極的にマスコミに出て「オタク批判」をぶっていた。僕や大泉さんはあくまで『エヴァ』を擁護したわけだけど、われわれのインタビュー内でも彼のオタク=アニメファン批判が強く噴出していたわけだよね。で、あの作品を擁護していた聞き役の我々までもが庵野憎しのあまり彼らからは「敵」認定されてしまった。でも、それは次元のまったく違う話だよね。庵野さんが何であんな最終回を作らざるを得なかったか。最終回が非難されたら、なぜオタク批判まで露
70年代、日本の文学はどうだったのか? 私は69年中学入学、72年高校入学、75年大学入学なので、まずはそれを前提として読んでもらいたい。しかも中学のあいだ私は本というものをほとんど読まなかった。 子どもにとって世界は家庭と学校だけで、社会は世界に含まれない、というか世界の外にある。家庭と学校は基本的に価値観が一緒で、勉強していい成績をとって、勉強にさしつかえない程度に遊ぶ。子どもはそういう閉じられた世界の中で充足していて難しいことは考えないわけだが、私の場合、中学2年の秋にロックを聴くようになってから、世界の扉が開かれた。 ロックを聴くためにロック雑誌を買うようになったり、新曲を聴くためにラジオを聴くようになったりして、家庭と学校だけで充足していた世界がどんどん小さなものに思えてくるようになった。私にとって読書は完全にその延長としてやってきた。 読書経験なしにほとんどいきなり、安
以前、外見オタク内面少女、という話を書いたことがある。 ある投稿から、いわゆる萌えヲタ(萌え系オタク)と呼ばれる人たちの中には「自分の中には少女が住んでいる」という人がいると紹介した。たしかに、店の萌え系諸氏とつきあっていると、非常に神経が細やかで優しく、何くれとなく気を配ってくれることが多い。ある意味で、いまどき珍しい気配りのできる青年たちなのである。どんな男性にも女性的な側面というのはあるものだが、それが非常に発達している、という言い方もできる。したがって昨今のオタク文化は、彼らの発達した女性性と深くかかわっているに違いない云々、というようなことを書いた。で、このことに関連して最近聞いた話がちょっと衝撃的だったので、まずはそれについて。 話してくれたのは店の後輩のT君である。22歳。彼は萌え系については造詣が深く、アニメ、ゲーム、マンガ、なんでもござれである。180を超える長身であ
先日、高田馬場にある早稲田松竹に行った。20何年ぶり、ほとんど30年ぶりにあの映画館に入ったと言っても大げさではない。“三番館”のあの早稲田松竹の変わりように驚いた。と言っても、私の記憶は、新宿昭和館だの大井武蔵野館だの、東京中のあちこちにあった“三番館”の記憶がいろいろ混じり合っているのだが。 映画はまずロードショーで公開され、次に地方都市などいろいろな町にある映画館で半年遅れぐらいで公開される。これが“二番館”。そして最後に、公開された時期に関係なく何年たってもある程度の客が集められると評価された映画が、早稲田松竹などでくり返し上映される。だから“三番館”で、これらは“名画座”とも言われた。 70年代後半、三番館の入場料はだいたい500円くらいだったから、 「夕方の待ち合わせまで2時間空いちゃったから、ちょっと映画でも観て時間つぶしするか。」 という感じで気楽に入っていた(映画
このところ、一つの小説について考えている。Gさんが書いた作品のサイド・ストーリーとして、僕の中で目覚めつつある『地球最後の図書委員』という小説である。 なんのひねりもなくて恐縮だが、タイトルどおり、主人公は女子高生で図書委員、当然のように図書室を巣としている。設定として彼女はアンドロイドでも宇宙人でもクローン人間でも何でもいいのだが、まったく先入観のない目で地球人を調べるという命令を負っており、したがって地球人的な常識に汚されていない。キャラ設定としては当然僕の好みからいって、無口、冷静、無表情という「綾波-長門」ラインとなる。このあたり、実にステロタイプ。 彼女の目に、この図書館にやってくるオタクがどう映るのか。僕の興味はもっぱらこの一点に向かっている。 むろん、どのような認識主体も完全な白紙ということはありえない。したがって彼女の価値判断は、おおむね、彼女の命令者である地球外存在
日本は1951年、サンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰した。これを受け、東南アジア外交においては最初に「賠償」の問題に直面した。この賠償とは、同条約第14条により発生した義務で、「日本が太平洋戦争で相手国に与えた損害および苦痛に対して支払」われるべき(『東南アジアを知る事典』)ものだった。 だが賠償が途上国である受償国のインフラ整備に大きく貢献したことを考えれば、賠償という言葉にまとわりつく「罪の償い」というマイナスイメージに寄りかかって「日本の旧悪」へと思考を進めることが、必ずしも正しい姿勢とは言えないだろう。 こと対ベトナム賠償に関しても事情は同様であり、否定的になり過ぎるべきではない。むしろ賠償にあたり、戦中に日本人が築いた人脈が機能し、独立間もない国のインフラ整備に貢献したという、積極的な面を見てみる必要があるだろう。 1954年、南ベトナム(当時ベトナム国、のちベトナム
地下鉄千石駅の階段を上がり、不忍通りを北東に進むと、右手から高層マンションが視界にかぶさってきた。ビル風に顔を押される。 東京文京区本駒込、緑したたる六義園から指呼の間にマンション二棟、オフィス棟、商業ビルが配された文京グリーンコートが拡がっている。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎が「科学者の自由な楽園」と評した「財団法人 理化学研究所(理研)」のなごりは、もうここには見当たらない。ベンチが置かれた一隅に、辛うじて大正時代の完成後間のない1号館と3号館のモノクロ写真を収めたプレートが立っているばかりだ。 昼下がり、足早にビルへ入ろうとするビジネスマンにふと声をかけてみたくなる。 「田中角栄さんが、ここで試験管を洗っていたのを知っていますか」 真偽はともかく、そんな伝説が現在は埼玉県和光市に移転した理研に残されている。田中角栄と「科学者の自由な楽園」。ふたつを想像の糸で結ぼうとす
こんにちは。 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』を観てまいりました。 実はこの日から「大泉がオタクでないことは証明された」と笑っているのである。まあいきなりそんなことを言われてもわけがわからないですよね。実は今月はイベントが多くて、その度に「オタクと強度」という問題を考えさせられたのであるが、その一発目がエヴァだった。いやいや、これじゃあますますわかりませんな。 9月1日のことである(封切日だと言いたいだけです)。 店の有志と映画館の前で待ち合わせていた。すると時々アニメについての意見を交換する近所の中学生の女の子が、前の回が終わって出てきたところだった。おおうとお互い驚いたわけだが、彼女は開口一番「庵野さんのサイン、やっぱりいりません」と言い放ったのである。これはどういうことかというと、彼女はエヴァファンで、僕が以前仕事で何度か庵野秀明監督に会ったことがあるのを知り「今度会ったらサイン
ドイモイ(刷新)政策による経済成長を謳歌するベトナム。2006年、同国のグエン・タン・ズン首相と日本の安倍晋三首相の相互訪問を機に、両国は「戦略的パートナーシップ」を構築することを発表した。経済交流が加速し、両国の関係強化は着々と進んでいる。 近い過去を振り返れば第二次世界大戦に先立ち、通称「仏印進駐」を行い、日本はこのベトナムにも軍を進めていた。そして戦後、隣国中国と同じく共産党一党独裁の体制となった。だが現在ベトナムにおいては、中国や韓国のようなヒステリックな反日運動が起こったり、「歴史認識」が取りざたされたりすることはきわめて稀だ。 日本軍の仏印(ベトナム)進駐とその結果は、これまでに日本国内で「日本軍によるベトナムにおける200万人餓死」なる事件により、批判にさらされることがあった。これは、駐屯する日本軍が米を徴発したことを主な原因として、200万人ものベトナム民衆が餓死したと
そろそろ文学のことを書かなければならない。しかし、いま日本で使われている「現代文学」という言葉の「現代」は、“現代音楽”“現代美術”という概念を指すときの“現代”ではなく、たんに「いま」を意味する「現代」でしかない。 いま書かれたり作られたりするもののすべてが“現代”でないことは言うまでもなく、韓流ドラマなんかは時代でいったら「現代」の作品だが、手法も内容も思いっきり古くさい。しかし韓流ドラマの監督のインタビューをこの前テレビで見たら、彼には「古くさい」という意識がどうもないみたいなのだ。彼は演出やカメラの手法として「これこそがすばらしいドラマを作る手法である」と信じているみたいだし、ドラマの内容も「不滅のテーマであるがゆえに現代的だ」と思っているみたいだった(「不滅」というのはいつも怪しい)。 古くささというのは、作り手がその古くささを自覚していないことが最大の原因になる。しかし韓流
こまざわ・としき 1961年東京生まれ。雑誌「SWITCH」で編集者、取材記者を務めた後、現在はフリー。著書に『地球を抱いて眠る』『街を離れて森のなかへ』『ミシシッピは月まで狂っている』、翻訳書に『空から光が降りてくる』他。2004年、初の小説『夜はもう明けている』を上梓。最新刊に『語るに足る、ささやかな人生──アメリカの小さな町で』
——はじめにちょっと「水五訓」の話のつづき。 前回おわりに、さいたま市の名尾良泰さんが、源田實『海軍航空隊、発進』に「水五則」が出てくると御教示くださったことを書いた。そこには、昭和四年ごろの雑誌『キング』に「水五則」が掲載されていた、とあった。 するとたちまち、京都市の堀部功夫さんが、『キング』昭和四年二月号のコピーをお送りくださった。よくこんなにすぐ現物が見つかったものだ。 一ページだけのコラムである。右に水車小屋の絵があり、左に文章がある。内容は現在おこなわれているものとおなじだが、これが原型だと思われるので、極力忠実にしもにうつします。 繪入教訓 水(みづ)五則(そく) ◇ 自(みづか)ら活動(くわつどう)して他(た)を働(はたら)かしむるは水(○)なり ◇ 常(つね)に自己(じこ)の進路(しんろ)を求(もと)めて止(や)まざるは水(○)なり ◇ 障害(しやうがい)に
このところ、思い悩んでいることがある。 相変わらず、オタクな日々が続いている。夕方店に行って、30分の休み時間には先輩方の撮りためている深夜アニメを見る(このところ『らき☆すた』(*1)である)。深夜の1時ごろ仕事が終わると、近所のコンビニでカップ焼きそばなどを買い、車の中で数分を費やして適当に空腹を満たし、そのままコンビニの駐車場の片隅で朝まで『モンスターハンター』。夜中の2時3時に、1台の車に3人も4人もの男が集まりあって、全員がPSPを手にじっとうつむき、時にはウヒウヒと笑いながら脳内物質全開になっているのであるから、はたから見たら実に怪しい光景であろう。 ある時は喜びのハイタッチ、そして別の時は、「あああ、死ぬ死ぬ、マジで死ぬ」という絶叫、まあ確かに怪しい。 店の休みにはヲタカラオケ。最近吸収したアニソンを歌うこともあれば、懐かしさにかられて『宇宙戦艦ヤマト』だの『マジンガー
70年代後半に大学生だった私は、70年代を停滞の時期とあきらめ、80年代が来るのを待っていた。80年代というのはふたたびやってくる政治の時代であり、政治の時代になれば音楽・演劇・美術・文学・映画……etc.の芸術全般にふたたび新しいムーブメントが起こる。いや、芸術全般に新しいムーブメントが起こるから政治の時代になるのか、どちらが先だとか主役だとかいうよりも、政治と芸術全般は不即不離の同じものだと思っていた。 では何故、政治の時代や芸術全般の新しいムーブメントが待望されたのか? といえば、この世界とは前へ向かって進むものであるということが、無条件に信じられていたからだ。現実には70年代後半に元号法制化だとか国民総背番号制(これは後に住民基本台帳法として実現)への動きだとか、政治や社会での動きは時代の逆行であったり現在の管理社会につながるものであったりすることの方が多かったのだが、能天気な大
新聞が縦書きの文章のなかに算用数字をまぜるのは、いまではすっかりふつうのことになった。しかし依然として見苦しい。 その前には、漢数字の単位抜き表示をやっていた時期がある。「四十五」を単位の十を抜いて「四五」と書く方式である。これになじんだ人にかかると「それから二三年後」を「それから二十三年後」とよまれかねない。 なお、「二三年後」の二と三のあいだに点を入れて「二、三年後」と書く人もあるが、これはいけない。点は、そこで一呼吸おく符号である。「二三年後」は一口に言うことばである。「二」で一拍おいて「三年後」と言うのではない。 「子供四五人」が「子供四十五人」と解されてはぐあいがわるい。 そこで小生、毎日新聞が算用数字を採用した時に「漢数字単位抜きよりは誤解がないだけましだ」と言ったことがある。しかし見苦しいことはいつまでたっても見苦しい。新聞以外のふつうの文章が模倣すべきことではないが
前回にひきつづいて“現代”のことなのだが、予告に反して文学に話題をしぼらず、もっと漠然とした時代の気分みたいなことを書かないと、“現代”というものがどういうことなのか、わからないのではないかと思う。 といっても、私が中学生になったのは1969年だから、私自身の実感として知っているのは、時代が最も“現代”だった60年代ではなくて70年代なのだが、70年代の前半はまだじゅうぶんに“現代”で、時代の変化の速度がいまよりずっと速かった。 たとえばいまでも忘れられないのだが、69年の春に大ヒットした、いしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』という歌があった。「街の灯りがとてもきれいねヨコハマ、ブルーライト・ヨコハマ〜」という、40歳以上の人ならたぶん知らない人は一人もいないという曲なのだが、あの頃はいったんヒットチャートから姿を消してしまえば、その歌がテレビやラジオでかかることはほとんどなく、も
〈1.常に己の進路を求めて止まざるは水なり 〈1.障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり 〈1.自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり 〈1.洋々として大洋を充し発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霞と化し凝っては玲瓏たる鏡となり而も基性を失はざるは水なり〉 「水五則」とも言うらしい。俗流人生訓である。 これがその本文なのであれば、これは黒田官兵衛どころではない。江戸のものでも明治のものでもない。昭和、それも戦後のものである。 「障害に【あい:傍点】」「汚れを【洗い:傍点】」と戦後かなづかいが二か所ある。「【失は:傍点】ざるは」と正かなづかいが一か所ある。ゴチャマゼである。この本文によるかぎり、筆者は戦後の人で、ただし新かな育ちではなく、時に正かなもまじる世代の人である。 なお、言うまでもないことだが、王陽明という説があるそうだからつけくわえてお
現代音楽・現代美術・現代演劇・現代文学……などと言われるときの「現代」とはどういうことなのか? を書こうと思う。といっても、私は美術史や音楽史の専門家では全然ないし、現代美術全般に関することを体系立って教わったこともなく、ただ実際の作品に接し、いくつかそれに伴う論理を読んだことがあるだけなので、細部の正確さは保証できないが、その精神だけはちゃんと理解しているというか、いわゆる理解を超えて、体でわかっているというか、考えと感覚の全体でわかっているというか、とにかくそういう自負はある。 “現代”というのは、ただ時間的な「いま」を指しているわけではない。英語の辞書を調べると、「現代」にはmodernとcontemporaryの2つの言葉があるが、現代芸術というときの“現代”は「近代」全般を指すmodernの方ではなく、contemporaryの方で、「同時代」とも訳される。 そこには近代に対
毎週日曜日に近くの町の図書館で話をしている。お客さんは十人くらい。大部分が固定客——つまりいつも話を聞きに来てくださるありがたいお客さまである。 先日は、漱石の大学予備門時代の親友中村是公の話をした。——「是公」のよみはコレキミだのヨシコトだのとやかましい話もあるが、ゼコウでよい。漱石ら友だち仲間はみな「ゼコウ」と呼んでいたのだし、それに日本人の名乗りを音(おん)で呼ぶのは何ら不都合はないのだから——。その話はさきにくわしくいたしました。 是公は、広島出身、学生時代は柴野是公、のちに満鉄の総裁になって漱石を満洲へ招待してくれることになるのだが、学生のころは仲間うちでもヒョウキンな男で、言わば道化役であった。みんなで江の島へ遠足した時、風になびく樹を見て「どうだ、あの樹を見ろ、戦々兢々(せんせんきょうきょう)としているじゃないか」と言った。それから当分のあいだはみんなが是公のことを「戦々
とあった。 なぜ、〈連日「いじめ自殺」が報道されている〉であってはいけないのか。なぜ「のように」がつくのか。 「毎日」ならば、「毎日のように」という言いかたはごくふつうにある。 「毎日」は文字どおり毎日、「毎日のように」は、毎日ではないがほとんど毎日と感じられるくらいひんぱんに、の意である。 いやなやつが一週間にわたって毎日おしかけてきたら「毎日おしかけてきた」であり、一日だけ来なかったもののそのほかの日は毎日来てうんざりさせられたのなら「毎日のようにおしかけてきた」である。 「連日」は「毎日」とおなじだが、「毎日のように」をも包含している。一週間のうち一日だけ来ない日があったもののそれ以外は毎日来たのも「連日おしかけてきた」でよい。 それだけではない。「連日」というかたい字音語と、「のように」というやさしい和語とはそぐわない。「連日のようにおしかけてきた」では語の勢いがたるむ
※本連載の第1回~第5回、第7回、第10回、第11回は公開を終了しました。加筆・修正のうえ、絶賛発売中『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』に収録されています。
オタク店員見習いの大泉は、店の諸先輩方に誘われてカラオケ(忘年会)に行ってまいりました。 取材者としてはたいへんありがたい展開ではあるが、何せオタク系カラオケの経験がまるでないので、どのように振る舞っていいのか見当もつかない。みんな車で出かけるので、酒はどうするのかと思ったら誰も飲まないという。飲まずにカラオケをやるなんて考えたこともなく、45を過ぎて新たな体験をすることになった。みんなフリードリンクのクリームソーダなどをガツガツと飲んでおり、酒の代わりに糖分に酔うという感じ。ハチミツで酔ったようになっていたアフリカの先住民とか、刑務所の中で支給される貴重な甘いものに酔っていた花輪和一などの体験を思い出した。 『プロジェクトA』のテーマで始まり『ふたりはプリキュア Max Heart』で締めるという展開で、朝6時近くまでみんなで歌いまくった。僕自身、2004年に『萌えの研究』のためこの
たかしま・としお 1937年生れ。兵庫県相生市出身。中国文学者。主な著書に『李白と杜甫』(講談社学術文庫)、『水滸伝の世界』(大修館書店)、『水滸伝と日本人』(大修館書店、第5回大衆文学研究賞)、『水滸伝人物事典』(講談社)、『三国志 きらめく群像』(ちくま文庫)、『中国の大盗賊』(講談社現代新書)、『中国関係名著案内』(東方書店)、『三国志人物縦横談』(大修館書店)、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(大和書房、第11回講談社エッセイ賞)、『寝言も本のはなし』(大和書房)、『お言葉ですが…』(文藝春秋、【1】〜【10】)、『漱石の夏やすみ』(朔北社)、『メルヘン誕生』(いそっぷ社)、『漢字と日本人』(文春新書)、『本と中国と日本人と』(ちくま文庫)、『お言葉ですが…』(連合出版、【11】)など多数。
たかはし・ひでみね 1961年神奈川県横浜市生まれ。ノンフィクション作家。東京外国語大学モンゴル語学科卒業後、テレビ番組制作会社を経て、フリーに。著書に『からくり民主主義』(小社刊)、『トラウマの国』(新潮社)、『センチメンタルダイエット』(アスペクト)などがある。
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