タイトル名 をクリックすると各執筆者の時評・短評がご覧になれます。 文中、傍点は黒太字に、ルビは対応本文とルビに下線、ルビは[ ]で囲みました。 ルビ:例)日本の言説[ディスクール]空間においては 欧文特殊文字は日本語文と併用して表示することができないため、英字で代用しました。
横浜トリエンナーレがいよいよ9月に開幕する。3年に一度の現代芸術の祭典のスタートとあって、関係者は盛り上がっているようだが、一般の関心は必ずしも高くないというのが実情だろう。芸術が前衛として時代の先端を切り開き、岡本太郎のような前衛芸術家が大衆的なスターになる――そんな時代はとっくに終わっていたのかもしれない。 横浜トリエンナーレ自体の内容については始まってみなければわからないが、いまのところそれよりも目立っているのが、横浜美術館で開かれている奈良美智展であり、東京都現代美術館で開かれている村上隆展である。さらに原美術館で開かれている森村泰昌展を加えれば、「自虐アート」の勢揃いといったところではないか。 そう、かつて彦坂尚嘉が指摘した通り、一種自虐的な戦略で世界のアート・シーンを制覇したのが、80年代の森村泰昌であり、90年代の村上隆であった。倒錯した日本、しかも、アニメのように空っぽで表
大学闘争の渦中で山口昌男を読み、「イデオロギー」の時代から「イコノロジー」の時代への転換を予感した――高山宏がかつてそんなことを言っていた。イコノロジー? いや、イコノグラフィーと言っておけば十分だ。いずれにせよ、危険な政治からは身を引き、無害な図像学ごっこで楽しもう、というわけである。 さて、その山口昌男の弟子筋にあたる坪内祐三の『靖国』が文庫化された(新潮文庫)。靖国神社をイデオロギー的に裁断するのではなく、図像学的なものも含めたさまざまな資料から多角的に見直してみる。そうすると、軍国主義のイデオロギー装置としての性格を強化される前――少なくとも明治末年ぐらいまでは、靖国神社もいわば遊園地のように楽しい場所だったこと、そういう記憶はいまもどこかに残っていることがわかる。そのような記憶の襞を丁寧に解きほぐしていくことではじめて、イデオロギー的な裁断の届かない庶民の心情の奥底にまで分け入る
キム・ウチャン教授と知り合ったのは、一九八〇年代アメリカにおいてであった。以後、アメリカと韓国で何度もお会いしている。韓国の雑誌で対談をしたこともあり、一緒に講演をしたこともある。私が最も印象づけられたのは、キム教授の東洋的な学問への深い造詣であった。たとえば、私がカリフォルニア大学ロサンジェルス校で教えていたとき、キム教授は同アーヴァイン校で儒教について講義されていた。英文学者でこんなことができる人は日本にはいない。というより、日本の知識人に(専門家を別にして)、こんな人はいない。さすがに韓国きっての知識人だな、と思ったことがある。 ネットで読んだ新聞のインタビューで、先生は、韓国では人がすぐに激しいデモや抗議に奔ることを批判しておられた。それを読んだとき、私とはまるで違うなと思った。私は日本で、むやみやたらにデモをするように説いてきた。なぜなら、日本にはデモも抗議活動もないからだ。原発
■18世紀欧州に発する「否定」を批判 今日世界のいたるところに「反米」の風潮がある。本書はその原因を現代の世界状況に見るかわりに、反米という観念の源泉に遡(さかのぼ)って考える。いいかえれば、否定的なシンボルとしての「アメリカ」がいつどこでいかにして形成されてきたかを見る。それはまず18世紀ヨーロッパの知的言説に発している。アメリカではすべての生命体が退化する、犬まで啼(な)かなくなる、ということがまことしやかに説かれたのである。これはアメリカに向かって大量の移民が出たことに危機感を覚えたヨーロッパ知識人が、当時先端の自然史学を利用して創(つく)った「アメリカ」のイメージである。 以後、「アメリカ」は未開の自然状態から、最も発達した産業資本主義、大衆民主主義、消費社会を象徴するものとなっていく。ヘーゲル、ハイデガー、コジェーブにいたるまで、ヨーロッパの哲学者は、人類社会がとる究極の頽落(た
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