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2018年7月7日のブックマーク (9件)

  • 災害等へのお見舞い(平成30年) - 宮内庁

    平成30年4月6日(金) 天皇皇后両陛下は,今冬期の大雪等により甚大な被害を受けた北海道,秋田県,山形県,新潟県及び福井県に対し,金一封を賜りました。 平成30年7月7日(土) 天皇皇后両陛下には,大雨等により,西日を中心に死者,行方不明者が多数に及ぶなど,広範囲にわたり甚大な被害が発生していることを大変ご案じになり,また,今後も被害の拡大が懸念され,自治体,警察,消防,自衛隊等の災害対応機関がその対応に忙殺されていることから,明日に予定されていた「ベルリンフィル12人のチェリストたち東京公演御鑑賞」及び来週9日からの静岡県行幸啓をお取りやめになりました。 また,日,ご在位中最後となる島津家ゆかりの方々の私的なお集まりである錦江会にご参加になるご予定がありましたが,ご会,ご演奏の行事はお控えになり,会員が全国から集まっていることから,ご懇談だけ短時間お出ましになりました。 両陛下には

    kanototori
    kanototori 2018/07/07
    " 天皇皇后両陛下の静岡県行幸啓等のお取りやめについて"
  • http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=446214&comment_sub_id=0&category_id=112

  • 氷上恭子『ご報告。』

    私事で恐縮ですが、このたび、ご縁がありまして俳優の橋禎之さんと入籍いたしました。ここまでのんびりゆっくり来ましたので、これからものんびり進んで行きたいと思い…

    氷上恭子『ご報告。』
  • 江川紹子氏「真相解明されていないと言ってる人は裁判記録読め。あと『精神鑑定受けないまま執行された』というのはデマ」

    Shoko Egawa @amneris84 死刑制度を廃止すべきという考えの方は、ご自身のその信念に基づいて、日の執行を批判されればよい。それぞれが信念に基づく意見を述べる自由は尊重したい。ただ、お題目のように「シンソーカイメー」を唱えるのはやめて欲しい。刑事事件としての真相は、裁判でほぼ解明されている。 Shoko Egawa @amneris84 「真相は闇の中」と言う人は、裁判やその記録をどの程度見てきたのか、と思う。念のために言っておくと、裁判というのは、麻原彰晃こと松智津夫を裁く公判だけじゃないですよ。 Shoko Egawa @amneris84 麻原彰晃こと松智津夫が、精神鑑定も受けられないまま死刑が確定し、執行されたと、気で信じている人が多くて驚く。そんなデマを誰が言いふらしたんだろう。東京高裁の決定を読んでみることをお勧めする。

    江川紹子氏「真相解明されていないと言ってる人は裁判記録読め。あと『精神鑑定受けないまま執行された』というのはデマ」
  • 7月5日からの大雨による被害等について(第7報) - 広島県

  • 北別府学『無事に宮崎到着』

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    北別府学『無事に宮崎到着』
  • えの宮公園の水害記念碑 - 環藝録

    畑賀など瀬野川流域だけでなく、府中町でも大きな水害となった。 えの宮公園内の昭和19年建立「水害記念碑」。題字は法学博士正木亮。この翌年に広島控訴院検事長となる*1。 「大正十五年九月十一日前夜半來豪雨アリ榎川其他ノ各河川氾濫シ堤防決潰三千五百間橋梁流失二十餘〜」と、当時の被害が綴られ、被害総額百萬圓を超えたとある。御内帑金の下賜・県民の労力奉仕もあって復旧が成り、「今日ノ隆昌ヲ致セリ」と讃えている。 昭和7年刊行の『藝州府中荘誌』(菅原守遍)では、「第一章 地誌」に「七、府中村水害略史」の項があり、大正15年の水害の被害と復旧について6頁ほど割かれている。その前後には天保7年と昭和5年の水害の記録がある。 「えの宮公園」は多家神社の麓の公園。榎川を挟んで歴史民俗資料館があり、それらを結ぶ陸橋から見下ろせる位置。 *1:http://www.jca-library.jp/service/m

    えの宮公園の水害記念碑 - 環藝録
  • 小屋浦(こやうら) - 環藝録

    安芸郡坂町「小屋浦一丁目〜四丁目」の住所表示は平成11年2月1日から実施された。坂町に大字は設定されていないので、「小屋浦」は小字として存在した。 町の北部に「坂浦」とその付浦「横浜浦」があり、中央に聳える天狗岩が南の「小屋浦」を隔てる。 「浦」とは、「近世では海岸に面した地域で、漁業権、網場などの権利、石高が定められ、村と同格に扱われた行政単位としての村も存在した。*1」というもの。この三つの「浦」はまとめて「坂村」という行政村に含まれるが、別々に組頭が置かれ、石高は坂・横浜で772石余、小屋浦で69石余*2といったふうに分けて集計される。 町の中心を流れるのが「天地*3川」。川を遡ると天狗岩の東の「天地峠」に至る。峠を越えると「総頭*4川」が坂浦方面に流れる。呉線が海岸沿いに通るまでは、この峠道が主な経路だった。 *1:『角川日地名大辞典34広島県』 *2:寛永15年 *3:てんち

    小屋浦(こやうら) - 環藝録
  • 水害之碑(安芸郡矢野村) - 環藝録

    安芸区矢野の中心部を流れる川は、宮下川と矢野川の二がある。 明治42年建立の「水害之碑」は、町の東部の支流を集める「矢野川」に架かる矢野橋のたもとに立っている。明治40年の水害についての記念碑。 『新修矢野町誌』には「第四章 社会生活」の「第二節 各種建造物・施設など」という項があり、記念碑や寺社・公共施設が一覧表になっている。この水害之碑については、 集落の外れにあって小高い川筋に位置したことで、死者の銘を刻んだこの碑は常に水害地付近を眺める形となり、またその碑に気付いた人々も碑同様に、生きてその付近を見通すことができたはずである と、その立地の意味合いが再確認される。 題字「水害之碑」は当時の県知事宗像政*1による。文は県の桑原事務官が黒田村長に請われて撰文、同じく県属の荒木新造による揮毫。 「又如此之災蓋属稀有之變則安可不傅之久遠乎」といった刻字は現在もくっきりと読み取れる。 *

    水害之碑(安芸郡矢野村) - 環藝録