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むかし後輩女子からいきなり「きらきらしい人は苦手です」と言われたことがあります。どうやら私は「きらきら」してるらしいのです。 先輩女子からは「かわいいー」としょっちゅう言われていました。同年代とかからは「悩みなさそうでいいよね」が、もう当然のデフォルト表現として喰らいます。 そんな自分の様子を見て、部活の先輩男子とかが絶対に絡んでくる。「お前いい気になんなよ」「可愛がられてるからって調子にのんなよ」攻撃を喰らいます。「いい気」にもなってないし「調子に乗って」もいませんが、そう見られます。 こうして私は「ホモ・ソーシャルから常に排除」されていました。排除されてたら居場所がないですから、可愛がられてる女子の集団と親しくなりますわ。そうするとますます「あいつは女とデレデレしやがって」と来る。まあ何をやっても気に食わないらしいです。 私はココでずっと「業界ミソジニー」のことを書いてました。そして業
響けユーフォニアムから、自分の吹奏楽時代のことをいろいろ掘って考えてくうち「戦慄のトラウマ」を思い出してしまい、ひとりで「ああああ」となっている心理状態で書き連ねた雑感。*1 というわけで「空手女子アンドロイドと正しいピッチ*2教」の話です。 なんで僕が、一時期そういう「偏った考え(正しいピッチ教)」になってしまったのか。その根本の理由を思い出してしまったのです!すっかり忘れてたんやね…。というか「忘れたかったから脳の奥に仕舞ってしまった」のだろう。 細かく書くと辛いから簡単に書きますと、長崎にツアーでやって来た「マリエさん」という歌手との出会いだったのだ。 …もっと言うと「マリエさんを巡る周りの対応と僕に起こった出来事」が、その後の僕の「長崎に対する悪感情へ繋がっていった」のだった。全てはそこが始まりだった。そこまでは楽しくやっていた*3。 「マリエさん」との出会いは衝撃的だった。 彼女
響けユーフォニアムというアニメが放映され、世の吹奏楽な人々が盛り上がっていた2015年。私もそれに感化され、自分の高校時代の吹部活動を振り返ることになりました。だがしかし、それは辛く暗い黒歴史でもあったと。そんな思いを4ヶ月間に渡って書き続けたハイク記事をココでまとめます。これも長いので覚悟せよ。(前編はこちら→)*1 近所の中学の吹奏楽部の音がする。 うちの近所は中高がたくさんあり、どこでも吹奏楽の音がする。未だに盛んなんですなあ。感慨深いです。 僕の「楽しい」吹奏楽の思い出というと、やっぱり中学になる。ブリキやバルブオイルの匂い、金色の楽器とか、どれもキラキラした思い出ばかりだった。その頃は完全に娯楽だったもんね。コンクールも出たけど、参加しただけ。もちろん努力はしたけど、無理しようなんて思ってなかった。だから、全員が友達だったし、恋愛模様もあったし、お互いに認め合ってたし、青春だった
★「空手女子との確執 そして 独裁指導者と部員兵隊とは」 高校の部活時代に同期だった女子が、最近になって妙な音楽活動を開始、あちこちに顔を出すようになり、それが非常に目障りで、そこから、彼女と関わった高校時代の部活(吹奏楽部)当時のことを考察し始め、結局、吹奏楽における「楽器演奏隊」というのは、ただのロボット(アンドロイド化もしくはヴォーカロイド化)人間ではないか、というところから、コラボとは?ヴォーカリストとは?という考察まで至った話をまとめたものです。この壮大連載をハイクに書いてる途中から、奇しくも吹奏楽アニメ「響けユーフォニアム」が開始され、その半年間、これについて考え続けることになります。「前・後編」プラス「派生編」が 2本、そしてプロローグ1本の 計 5部作「大感動」巨編となっております*1。 高校時代の部活同期で、吹奏楽を 6年間やったあと空手部に転向した女子が居た*2。 この
3年間に渡ってハイクで書き続けたピチカート・ファイヴ考察。これを書き始めたきっかけはピチカート・ファイヴのUSリリースアルバムを全部 iPodのプレイリストにぶっ込んで「全曲リピート再生し続ける」という作戦を開始したことである。 実はピチカート・ファイヴのUS(海外版)アルバムは、日本版とは選曲が全く異なっており、また日本でのいくつかのシングル曲などが未リリースであるなど、キュレーション的にかなり興味深いのである。その辺の探求から「小西康陽の音楽とは一体何だったのか」を考察した超マラソン連載のマトメがこの記事である。 さて。 高浪慶太郎さんインタビューから4年*1。当時は小西氏との作風と分離するため、ピチカート曲から、あえて高浪さん曲のみ抽出して聴いていましたが、そのような作戦もそろそろ終わり、次は、彼脱退後の小西氏の真髄は何なのか急に知りたくなった。とはいえ小西氏のことである、そうは簡単
さて。今度は1957年。北海道釧路を舞台にした映画「挽歌」ではどうでしょうか。今回のお相手は森雅之さん。これまた色男なのですが…。個人的にはこちらには然程エロさを感じないのです。元々がダブル不倫をテーマにした内容で、久我美子さんも「試し行動の多い」屈折した女子という役柄なので、会話や態度が突っ掛かり気味で、あんまりロマンティックではない感じがします。 とりあえず最初から行ってみます! 久我さんが憎まれ口を叩いたため森さんが怒る。そして…。 口封じでいきなりの接吻。ちょっと強引。 これがキッカケで交際(と言っても不倫なんだけど)が始まり。温泉へ行く。 乞えたり甘えたり。 ココはちょっと甘美な接吻。ふたりとも素敵です。 出張先の札幌まで訪ねていきます。 よしよし。甘えられるのはオジサマ相手ならでは。 そして場末のラブホテル。 こんな場所じゃ嫌!と言うのをまたも無理くり。 こんな感じですのね。コ
このジャケ、見覚えある方もおいででしょうか。窓ガラス越しのキスで有名な映画「また逢う日まで」。このお二人は岡田英次さんと久我美子さんです。1950年の映画。戦後まだ5年です。ですので映画で過激なシーンなど禁物。だからソフトに「ガラス越し」となったわけですね。きゃーロマンティックだわ! …などと思ったあなた!いえ。私もなんですが、なんとこの映画!本編後半に入りますと、ガラス越しどころか!本物の!口と口の!熱烈な接吻シーンがこれでもかと出て来て、腰が抜けるほどビックラしました!そしてこれがまた「エロい!」んです。久我美子さんエロい!なんだこれは。 ちなみに私の持論。「セックスでいちばんエロいのは接吻」と常日頃から言っておりますが、まさにこれこそが「それ!」です。 じゃあ。惜しみなく行きます!みんなも行っちゃってくださいね! 戦時中。ほんの束の間の逢い引き。 帰り道、空襲に襲われ逃げ惑いながら抱
ああ6月か。 はてな市民になるくらいまでは書かないとな。特に意味はないけども。 仕事の関係で地方にお邪魔することが多くなった。深く掘り下げたわけでなく、あくまで第一印象であるが、感じたこと、そこで話題に出たことなどをちょっと書いてみることにした。 バリアフリー的都会。 けっこう他人に冷たいのでびっくりした。>地方都市。旅行者には親切だけどネイティヴには…。簡単に切り捨てられそうで怖い。東京って意外に暖かく進んでるんだなと少し見直した。 しかし、あんな大量の階段とかも地方にはない東京だけのものだろうな。そう考えると、あんなに歩き回ってるんだから東京に肥満の人なんて居ない気がするんだけど、実際は居るんだよなあ…。それ以上に食ってるってことでしょう?健康に良いわけないな。車社会の地方も同じようなもんかな。 地方の価値観。 これ総攻撃くらいそうだが、東京と20年くらいずれてる気がした。例えば。九州
Terrapin - Syd Barrett - YouTube シドバレット。 ピンクフロイドの元リーダーで精神的に逝ってしまった方。 この表現は例えではなく、リアルにそうなってしまった方です。 実姉が語ったところによるとアスペルガーだと診断されれたとのコト。 なぜいきなりこんな動画を紹介したか、というと、まあ、自分はこうもなれない、というコンプレックスやな。ともかく自分は半端もんなので毎日がつまらないという、ためにならないお話やった。 私、音楽しようと思って東京に出てから、本当に本当にいろんな人と会いました。気が合うヒトもたまに居ましたけど、ほとんどは、散々書いた様に、旧社会的価値観のうざい人々だったりしました。そういう中でも、少しでも良心がありそうな先輩を探して、ナントカ付き合ってきました。そういうことは、そうすることで回避出来ましたが、回避できなかったものがあります。それは、真性で
今の僕の信条として「肉体的反射を最優先する」というのがあります。以前も長々と書いた覚えがありますが、もう一度、そこの考えに至った経緯を、ろくでなし子さんの事件と合わせながら振り返ってみたいと思います。 常々、90年代が僕にとっての青春だった、と言っているけども、いろんな理由やきっかけがあってそうなったんだけど、一番の大きな理由は、引越しで環境や人間関係が変わったことじゃないかって思ってる。考え方や見方も変わるし、話す相手が変われば(いなくなれば)、思考のパターンが変わるんだよね。街の外れに一人で一軒家住まい、というのは、思考を邪魔する相手がいないから、ゆっくり熟成できる。ということ。そんなときに出会ったのが、この本。 「快の打ち出の小槌 〜日本人の精神分析講義〜」佐々木孝次+伊丹十三・著(1980年) いまではトンデモ科学な感じもするけど、当時はこういうことを「ちゃんと」言う人が居なかった
7年間住んでいた長崎。最初の1年だけ、事情があって、市内ではなく三和という山奥に住んでいた。交通手段はバスしかない。だらだら40分〜50分ほど乗る。お陰で iPod大活躍であった。 市内から三和方面に行くバスは、いくつか種類があったが、その内のひとつに「ダイヤランド経由」というのがあった。初めて聴いた時、不思議な名称だなと思い、何かの娯楽施設とかなのかなと思ったが、実際に通ってみると、ただの団地だった。そのバスに乗ると、途中からメインの通りを外れて曲がり、どんどん急坂を登って山の上に行く。そんな、仙石原みたいな高台のてっぺんに住宅地が開発されていたのだった。最初は名前が覚えられず「ダイヤモンド・ランド」などと言っていた。高台だし夜になると夜景が綺麗そうだな、なるほどキラキラ光るからダイヤモンドなんだろうか、などと呑気なことを思ったものだ。 そんな話を彼女さんにすると大いに笑われ、「バカじゃ
椎名林檎のサードアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』収録曲をライブバージョンで聴く特集。 2度目のライブ披露は、いよいよバンドによる演奏が炸裂!初の武道館ライブ「雙六エクスタシー」です。このバンドは後にそのまま東京事変となりました。 前回も言ったとおり、僕は「カルキ」をビーチボーイズのスマイルのようなものだと認識してます。個人的には楽しい作品と思うし名盤と思うのですが、サウンドコラージュや音世界が混沌としてるため、一般的にはあまり受け入れられず、それを残念に思っていました。 ライブバージョンというのは楽曲のエネルギーや本質を、直球でオーディエンスに伝えるため、とても分かりやすいのではないかと考え、また、アルバムを、その形態でしか創りえないようにカッチリ作った後、それのライブ解釈として、または翻訳という形で再提示する、という方法論は、これも素晴らしいものだと思います。 前回の九段のライブは、ビッ
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