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*山野井泰史に関するmayumiuraのブックマーク (4)

  • 山野井通信 | EVERNEW

    奥多摩生活28年 2020年2月17日 奥多摩での生活も28年になる。凍傷の傷が癒えていないと富士山での骨折で松葉杖姿の僕は家を探し回った。運よく渓谷沿いの小さな家を… 60周年の行事 2019年10月4日 所属している山岳会の60周年の行事に参加した。来ならば三度イタリアに行く予定だったが諸事情により中止、悶々とした気分のなか… この岩のために半年以上集中してトレーニングしてきた 2019年7月2日 昔から登れなかったからといって、再度挑戦することは稀だった。それは他の山域にも素晴らしい魅力的な… 静かなハング 2019年5月14日 山梨県甲府市の渓谷、2年程前、散々探して見つからなかった岩が、クラックエリアと言うクライマーが時々訪れる岩から、僅か3分の場所に… 3か月ぶり(笑) 2019年3月18日 3ヶ月以上書いていないだろう。友人からは更新しないのと時々聞かれる。正直にネタ無い

  • dohjoh.com - dohjoh リソースおよび情報

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    mayumiura
    mayumiura 2010/06/20
    "これは、中学2年生の巧樹くんが宿題のレポートのために行ったインタビューの記録である。"
  • 山野井泰史(クライマー) 指失っても単独登山 - asahi.com : スポーツ : コラム

    2年前の秋、ヒマラヤ登山で手足の指10を失いました。それでも、高峰大岩壁への単独挑戦をあきらめていません。 ――2年前、ギャチュンカン(7952メートル)北壁登頂成功後、奇跡の脱出をされました。 ベースキャンプにたどり着いた時は、凍傷になった指が鉛筆の芯みたいに黒く炭化していて、これは切るなとすぐわかりました。でも、自分の中ではすごく充実してました。オレはあそこまで力を発揮できたんだな、と。スポーツマンとしては喜びでした。 ――喜びですか。 標高7000メートルで雪崩の衝撃で目が見えなくなったんですね。それでもハーケンを打つ角度とか、瞬時に判断している自分に感動していました。それを何十時間も続け、手足が凍っても乱れずに下りるわけですよね。充実感はあって、生き残るぞ、という力みはなかったですね。目が見えないからハーケンを打ち込む岩の割れ目がわからないんですよ。じゃあ素手で探ってみよう、どの

    mayumiura
    mayumiura 2010/06/20
    ”でも、自分の中ではすごく充実してました。オレはあそこまで力を発揮できたんだな、と。スポーツマンとしては喜びでした。 ”
  • そのときできることを淡々とやっていた/山野井泰史: We See

    mayumiura
    mayumiura 2010/06/20
    "雑誌の対談から(OUTWARD June 2010 No48/登山家山野井泰史×モンベル代表辰野勇対談)、その一部を引用紹介します。"
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