東日本大震災6年 福島/避難者覆う無理解、不寛容 国が敷いた復興のレールを逸脱するのは、それほどまでに許されないことなのか。 事故を起こした東京電力福島第1原発にほど近い福島県富岡町。町の第2次復興計画が、土壇場で変容した事実を知る人は少ない。計画策定に携わった人々は、今もやり場のない怒りを抱えている。 全町避難という混乱の中で策定された第1次計画は、有り体に言えば、とりあえず国庫補助事業を獲得するための起案書の性格が強かった。 その後の避難の長期化、町民要望の多様化を踏まえて編み直したのが、2015年7月発表の第2次計画だ。 町職員は当時「事故は経済優先の結果。路線を改めないと日本が破滅する」と意気込みを語っている。町民と一緒に全国を巡った避難者意向調査は、ほぼ1年に及んだ。 こうしてできた第2次計画は町と町民が「国にあらがうための根拠」となることを目指し、「早期帰還以外の選択」に重きを