先日、行われたノーベル賞の授賞式で日本人の研究者3人に物理学賞が贈られ、改めて注目される青色LED。今、さまざまな分野に活用されていますが、20年前に登場した信号機もそのひとつです。 中村修二さんが当時勤務していた徳島県のメーカーと、地元の警察がLEDを交通事故の防止につなげたいと開発したものです。 今では当たり前になりつつあるLEDの信号機。その開発と普及には多くの苦労がありました。 (徳島放送局 前原亜由美記者) LED信号機の第1号は徳島 今や全世界に広く設置されているLEDで光る信号機。その1号機※が、徳島市の中心部にある県警察本部前に設置された信号機です。 平成6年に設置され、その後、20年間の間、1度も交換することなく正常に稼働しています。日本人3人のノーベル物理学賞の受賞を受け、先月には「発祥の地」として、記念のプレートも設置されました。 青色LEDを開発した中村修二さんも、
生命の起源の解明を目指す小惑星への旅に、はやぶさ2が出発しました。はやぶさ2の先輩にあたる初号機はやぶさが地球へ帰還したのは4年半前。はやぶさの波瀾(はらん)万丈の旅から、はやぶさ2は多くのことを学んだとされています。はやぶさの旅を振り返り、はやぶさ2の今後の大航海に思いをはせてみましょう。 はやぶさ2の「先輩」探査機、はやぶさは2003年5月、鹿児島県肝付町の内之浦宇宙空間観測所のロケット発射場から、M5ロケットに搭載して打ち上げられました。 はやぶさの構想が生まれたのは1985年。当時、文部省宇宙科学研究所の小さな研究会の場でした。そこで「小惑星に無人の探査機を送り込み、小惑星の物質を採取して、地球へ持ち帰る」という野心的なプランが提案されたのです。しかし、その頃の日本は、地球周回軌道から天文観測をする科学衛星をようやく打ち上げられるようになった時期で、惑星の探査、それも往復するという
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く