ミクロス@2日目 東N52b @micross_ インド料理屋で働いてるネパール人が作ったカレーを食べに行くときは、いつもラッシーを飲むんですけど、美味すぎてウチでも飲みたいからレシピ教えてもらって作ったよ。 ヨーグルト250g 牛乳250ml 砂糖大さじ2 レモン果汁小さじ2 これを混ぜるだけで神の飲み物が精製された。 pic.twitter.com/4HoiitqbaQ

昔からずっと「私は何者にもなれない」と思い続けていた。 幼少期を欧米で暮らし、親も周囲もなんでも褒めてくれる環境で育った。 就学前に文字を読めば天才と呼ばれ、絵を描けば画家になれると言われ、笑えば「こんなに可愛い子は見たことがない」と言われ、仏頂面でいても「この子は哲学者だね」と言ってもらえた。(どんな子どもにもそうやって接する文化なのだ。) 当時の私がその褒め殺しの環境をどう捉えていたかはわからないが、帰国して国立大附属の小学校に入学した時のショックは覚えている。 イギリスの学校では筆算ができるだけで神童のように扱われていたのに、日本の同級生には数学オリンピックで入賞するような子がいて、それなのに体育の成績が悪いと親に怒られて体操教室に通わされていた。自分は絵が得意だと思っていたけど、教室に並べて貼られた作品の中で自分の絵はお世辞にも上手い方には見えなかった。 とにかく勉強も運動も芸術も
いつも機嫌よくニコニコと、誰にでもやさしく、不平不満を言わず、穏やかな日々を送ることが、豊かな人生なのだと、そういう「ことば」を信じていた時期があった。 綺麗にラッピングされた平和な世界に憧れて、何度も何度もその「ことば」を読み、救われたような気持ちになって、私もそんな風に毎日を送りたいと努力していた時期があった。 「ここもガイジンばっかりで怖いねぇ」と外国人の前で叫んだババア、「やっぱりイスラム教徒は怖い」と知ったかぶりをした無知なおっさん、「黒人が少なくていい」と言うことの何が差別になるのかわかっていない知り合い、「女性は男性より数学的知能が劣っている」ことを科学的事実だと信じている同僚。 私は黙ってやり過ごそうとした。面倒なことにしたくなくて、なかったことにしたくて、ヘラヘラ笑ってごまかしたりした。それでいつも帰って一人になって、怒りがおさまらない。あれは絶対におかしかった、どうして
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