KOMIYA Tomone @frroots @n_akiya 会話の構造っていってもいろいろな水準があるから、まるごとひっくるめて「日常的/制度的」って分けるのはあまり意味がないっていうか示すべきことの先取りにしかならないと思うんだけど、でも特定の構造に照準したときにそういう区別は「判断するのが難しい」ものでもないと思うよ 2010-05-12 20:34:55 KOMIYA Tomone @frroots @n_akiya たとえば順番交代の組織でいえば、SSJが記述したのは、事前に話す順番も時間も決まっていない中での順番交代のやり方なわけで、その「決まっていなさ」はordinaryのひとつの理解可能性だよね 2010-05-12 20:37:57 KOMIYA Tomone @frroots @n_akiya 他方その「決まっていなさ」は、参加の構造やアイデンティティや行為連鎖の構造
インターネットの普及に伴い、世界中の研究者が書く学術論文の公開方法に大きな変化が起きている。出版社から学術雑誌を購入して論文を読むというスタイルに代わり、ネット上で電子化された論文を読むことが主流となった。同時にネット上の論文を無料で閲覧、検索、配布などができるようにする「オープンアクセス(OA)」の試みが進んでいる。日本で昨年、本格始動した一つのOA活動を切り口に、すべての市民の手に学術情報を共有しようとするOA化の取り組みを探った。【奥野敦史】 ◆眠れる成果公開 昨年5月「マイ・オープン・アーカイブ」(MOA、http://www.myopenarchive.org/)というウェブサイトが一般公開された。「眠っている学術論文や研究成果を投稿・共有するサイト」と称し、誰でも自分の論文を投稿、公開できる場を提供した。学生や趣味の研究者も利用でき、内容も基本的に制限はない。利用者は19日現在
このページは、エスノメソドロジー研究の論文集、酒井・浦野・前田・中村編『概念分析の社会学』(ナカニシヤ出版・2009年4月刊行)を ご紹介するものです。 本書は、科学や医療、法などの専門的な知識のただなかにおかれている私たちが 自らの存在・経験・行為を作り上げていく実践の 手続き的記述を目指しています。各章で扱われるトピックは(生物学的人種や遺伝学的知識、ポルノグラフィや化粧など)さまざまですが、どの章も「私たちが自らのあり方や自らの経験や行為を理解するさいに用いている概念の用法を記述しよう」という、一つのはっきりしたねらいをもって書かれています。 ですから、 現代社会に生きる人々の様々な経験への省察 自文化の人類学 - 同時代の歴史学 としての 社会学研究 社会学的概念分析としてのエスノメソドロジー研究 などとして、お読みいただくことができるでしょう。 ここには、「立ち読みコンテンツ」と
※下記の記事は5年以上前もので、現在はかなり変わっています。井上による2008年7月現在のゲームの定義論については、モバイル社会研究所発行の機関紙『未来心理 vol.13』http://www.moba-ken.jp/theme/msr/msr_cover/msr_013 にて掲載されたものをご参照ください。 →「遊びとゲームをめぐる試論 ―たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか―」http://www.moba-ken.jp/wp-content/pdf/vol.13_inoueakito.pdf ゲームの定義はさまざまなものが提出されているが、当サイトではとりあえず以下の三条件を「狭義のゲーム」の成立要件とかつて、していた(ただし、ビデオゲームが必ずしも以下のような意味での「ゲーム」である必要性があると論じるつもりはない。ビデオゲームと狭義のゲームはイコールの関係には
第八章 ゲームデザインの実際 最終章 クリス氏へのインタビュー Web版の編集にあたって このテキストはもともと、1982年にコンピュータゲームデザイナーのクリス・クロフォード氏 (Chris Crawford) によって執筆されたものです。1997年にスー・ピーボディ教授 (Prof. Sue Peabody) は、ゲームと物語が本質的にどう関わり合っているのかという研究のために文献を探すうちに、この『クロフォードのゲームデザイン論 −コンピュータゲームは芸術たりうるか−』 (The Art of Computer Game Design) という、絶版のため長く入手困難となっていた本を発見しました。そこで、スー・ピーボディ教授は、彼女の講座の学生やゲームデザインに興味を持っている人たちのために、この本を電子化してWeb上で公開する許可をクロフォード氏に対して願い出、受け入れられました。
既にゲームマスターを担当した経験のある方々を対象に、もっとマスターリングに上達するためにはどうすればよいかを理論的に解説した名作です。なお、「付録:コスティキャンのゲーム論」は本講座のベースとなる資料です。なるべく始めにこれに目を通して、それから順番にお読み下さい。 初心者のためのRPG入門 ** 矛盾を解消し、両立させようと、悩み努力するところにこそRPGのゲーム性がある ** 第1章 システム選択 ** システムを選択するところからゲームが始まる ** 第2章 シナリオ作成 ** シナリオ作成とはゲームデザイン作業である ** 第3章 セッション・ハンドリング ** 複数の意志決定が相互作用してセッションが形作られる ** 終章 ライフ・アズ・ア・ゲームマスター ** マスターリングに上達すること、すなわち人生に上達すること ** 付録 コスティキャンのゲーム論 ** 言葉ではなく、デ
羽入は、未熟な学生であり、これからたとえばヴェーバーの歴史・社会科学を地道に学ぶことをとおして、「魔術」的カテゴリーの呪縛や彼我混濁癖から一歩一歩解放されていかなければならない身である。そういう羽入を諭し、たしなめるべき教員が、そうはせずに、「徹底的に実証的に論じた」と称して持ち上げるとは、なんたることか。ところが、「審査要旨」の文面では、そういう不可解なことが事実なされ、未熟な学生に博士の学位が認定されているのである。(折原浩『大衆化する大学院──一個別事例にみる研究指導と学位認定』、未來社、2006年) この本で著者のもっとも激昂した口調を感じさせた一節。 羽入=折原論争なるものの存在とその内実を、遅ればせながら初めて知った。 簡単にいえば、折原は、羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪』(2002年)およびそのもとになった博士論文『『プロテスタンティズムの倫理』論文におけるヴェーバーの
2003年11月4日から6日にかけてユトレヒトで開催された「レベル・アップ」カンファレンスにて要旨提出。 Jesper Juul http://www.jesperjuul.net 本論文の参照方法 (MLAスタイル): Jesper Juul: "The Game, the Player, the World: Looking for a Heart of Gameness". In Level Up: Digital Games Research Conference Proceedings, edited by Marinka Copier and Joost Raessens, 30-45. Utrecht: Utrecht University, 2003. http://www.jesperjuul.net/text/gameplayerworld/ 摘要 この論文はゲームの定
以前、「美空ひばりが「柔」とかを歌って、日本化=演歌化したのは「昭和30年代」と「40年代」の境目あたりじゃなかったでしたっけ」と書いたことがある*1。さて、渡辺裕氏が 「演歌」と呼ばれるようなものも、一括りにそういう名で呼ぶ慣習が生まれたのは、せいぜい一九七〇年代くらいの話である。美空ひばりは演歌歌手であるだけでなく、ジャズにいたるまで幅広くこなす天才だったなどとよく言われるが、彼女がデビューした頃にはそもそも「演歌」を歌っているなどとは誰も認識していなかった。《柔》も《真っ赤な太陽》もひとしく「歌謡曲」であり、その才能のほどは別問題として、和洋両様歌いこなす歌手は他にもいろいろいたし、ドレスで「演歌」を歌う光景も珍しいものではなかった。「演歌」は和服で歌うものというイメージ自体、それが新たに独立したジャンルになった七〇年代以降のものなのである。(「共同体作り上げるジャンル分け」『毎日新
昨日の宣言どおり、今日はNIIで開催されたSPARC JAPANセミナー2008に参加してきました。 第1回 SPARC Japan セミナー2008「研究成果発表の手段としての学術誌の将来」 昨日の日本図書館協会IT研修会も100人のオーダーで人がいらしたそうですが、今日のSPARC JAPANセミナーも90名ほどの方が参加されたという盛況ぶり。 めちゃくちゃ面白そうなテーマだったのでそれも然り、といった感じ。 以下、いつものように簡単にレビューを。 講演開始前に(永井裕子さん) 第一講演者の土屋先生が準備されている間(なんかGoogleサイドバーがなかなか消えなかったみたい)、司会の日本動物学会の永井さんからジャーナル出版についての熱いお話が。 以下、聞きとれる範囲でとったメモ書き。 直前までワシントンにいた(なんとタフな・・・) NIHのパブリックアクセス方針についてはブッシュ大統領
デイヴィッド・レーヴィットがアラン・チューリングに関する本を出版するということなので──Gay by Gay なので──期待して待つことにしよう、と星野力『甦るチューリング』を再読……いや読み飛ばした。 (Andrew Hodges の "ALAN TURING: THE ENIGMA" はまだ翻訳されないのだろうか?……これも Gay by Gay だ)。 その中に、チューリングがウィトゲンシュタインの講義に出席し議論したというエピソードがあって(これは Gay vs. Gay だろうか)、興味を惹いた。 ウィトゲンシュタインは、数学における証明、無限、数、法則といった用語を日常用語と関係づけ、自動的に導出される論理体系は、普通に真理という言葉で意味されるものと無関係だ、と論じたそうだ。彼はただ一個の矛盾、とくに自己矛盾があると、どんな主張も正しいと証明されてしまう、という述語論理の特徴
back 注意: このページの内容には、おそらく多くの間違いがあります。 リンクされているので残しておきますが、利用には注意してください。(2008年3月、新山) 目次 背景知識 形態素解析とは 構文解析とは 練習問題 言語処理関係の論文によく出てくる重要語 1. 背景知識 まず「形態素」、「構文」などといった用語は、ほとんどが 現在の科学的な「言語学」という分野に帰するものであることを 最初に知っておく必要がある。体系だった言語学は、おもに チョムスキー言語学の創始とともに始まった。 チョムスキーは 1960年代に、世界じゅうの数多くの言語には、 実はそのすべてに共通する「普遍文法 (universal grammer)」がある、と言った。 またチョムスキーはそのような文法を数学的な人工言語で 厳密に表現する方法をも開発した。彼によれば、言語にはその理想化された かたち (言語が言い間違
斎藤環から茂木健一郎への手紙 はじめまして。 はじめておたよりします。斎藤環と申します。 茂木さんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その精力的な活動のすべては、とうていフォローし切れていない点をまずお詫びいたします。 そのかわりといってはなんですが、妙なエピソードからはじめさせていただきます。 じつは私は、茂木さんとこれまでに何度かニアミスしているんですよ。たとえば、私は2006年の夏休みにフライブルクに行ったんですが……(といえばピンと来るかも知れませんね)、ルフトハンザ機内で私たち家族の斜めうしろに茂木さんが座っておられました。驚いたのは、往路だけならまだしも、復路の機内でもほぼ同じ位置関係で、なんというか、この「偶有性」には驚かされました。思えばあの時点で、この企画は萌芽的かつ徴候的に成立しつつあったのかもしれませんね(笑)。 私の茂木さんへの親近感はこれに留まりません。私たち
Christopher Pincock “A Reserved Reading of Carnap's Aufbau”, in: Pacific Philosophical Quarterly, vol. 86, 2005, preprint version. Carrie Jenkins “A Priori Knowledge: Debates and Developments”, forthcoming in: Philosophy Compass W. V. Quine “Designation and Existence”, in: The Journal of Philosophy, vol. 36, no. 26, 1939 Toshiharu Waragai(藁谷敏晴) “Lesniewski on General Object”, in: Journal of Ga
2月14日(木)、11時より、UTCP研修室にて、パリの高等師範学校(ENS)教授で、「動物」をめぐって多数の著作のあるユニークな動物行動学者、ドミニク・レステル氏の講演が行われた。 さしあたり「動物行動学者」と述べたが、講演を伺ったいま、氏をこの呼称のもとに呼ぶことに些かの躊躇いを覚えずにはいられない。氏の問題関心は「動物行動学者」としてのそれを大きく上回るものであり、哲学、心理学、ロボット工学を中心としたコンピュータ工学、生態学、そして、これこそが氏のポジションを独特なものたらしめているように思われるのだが、「~学」と呼ばれることのない種々の職人的な知、あるいは日常的な情動、といったところまで及んでいる。実際、経歴を聞けば、哲学と心理学を修めて教授資格を取った後、フランスのコンピュータ会社BULLでエンジニアとして働き、その後、蟻の思考システム、自立型ロボット――「動物ロボット」――等
言語, メディア(誤読注意!)本記事の意図は「自分を中立だと思ってる人って譲歩使うよねー」ではありません。「譲歩使うと、自分が中立だと思いこんじゃいがちだよねー」という話です。つまり思考が言語(表現)を規定するんではなくて、言語が思考を規定するってことです(思想界隈では別に大したアイディアではありませんが) 面倒くさいのでいちいち引用しないが、例の沖縄少女暴行事件に関して、・暴行した犯人が悪いのは間違いないが、ついていった少女も不用心であり問題があった(大意)・米兵の犯罪は決して許されることではないが、この事件を政争の具にする反基地・反米勢力はいかがわしい(大意)とコメントする人がいる。例えば、花岡信昭とか。 id:yuki_1989が、「『米兵が悪いのは当然として』これ言っておけばいいだろう的自称中立厨はほんとうに多い。」*1ということを言っていて、私も以前はその通りだと思っていた(これ
物々交換と所有権の進化学:チンパンジーの行動から文明を考える 2008年2月 5日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (1) Brandon Keim Image: The Far Side もしも物々交換というシステムがなかったら、人間は今ごろ、アイダホ州あたりに、太陽発電と厳重な警備システムを備えた居住区を作り、そこにこもって暮らしているだけの存在——であるどころか、いまだに、うまそうな獲物の肉をクマと奪いあっているような存在だっただろう。 では、この文明の基盤とも言うべき行動はどのように生まれたのだろう? この疑問に向き合った研究論文が、1月31日付けのオンラインの科学ジャーナル『Public Library of Science ONE』(PLoS ONE)誌に掲載された。 それによると、われわれ人類と遺伝的にきわめて近く、人類の進化の初期段階を知る手がかりにな
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