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ブラックフライデー
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いまでは誰もが知るイリュージョニスト・プリンセス天功さん。実は3歳から芸能活動を始め、あの昭和の怪物番組にも出演していたそう。しかし、16歳でマジックを始めたのを機に、人生が大きく動き出します── 。(全5回中の1回) ステージ写真(2022年) ── 世界的なイリュージョニストとして活躍されている天功さんですが、もともと小さいころからキッズモデルとして活躍していらしたとか。 天功さん:3歳のころからモデルとして芸能活動をしていたんです。母が、洋裁・和裁の先生をしていた関係で、『装苑』に子どもモデルとして出たり、ティーンになってからは『プチセブン』や『Seventeen』にも出ていました。15~16歳のときには、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』にもレギュラーとして毎週、出演していたんですよ。 ── 天功さんが、『8時だョ!全員集合』に⁉ 天功さん:番組内で体操をするコーナーがあるの
夏の暑さが厳しくなっていくなか、「水が苦手で飲めない」子どもが増えていると言います。なぜこうした現象が起きているのか、アクアスフィア・水教育研究所代表で武蔵野大客員教授の橋本淳司さんに聞きました。 食事中にジュースを与えるという家庭も ── 水が苦手、水が飲めない子どもが増えているという話を聞きました。これはどういう状況なんでしょうか? 橋本さん:都内の小学校の教員などから「水が飲めない子どもが増えている」といった話を聞きました。熱中症の疑いで保健室を利用した児童の様子を見ていると、水が飲めない子どもが目につくという観察結果があったそうです。熱中症の症状が出ている子どもに水を渡しても、「水が嫌い」と、唇を濡らす程度にしか口に含まない場合もあるとのことです。その話を聞き、いくつかの学校にヒアリング調査を行ったところ、各クラスに2~3人は水を飲めない子どもがいることがわかりました。 ── こう
この夏、旅行や帰省などに出かける人も多いと思います。普段身軽に暮らしているミニマリストのおふみさんは旅のとき、どんな荷物で出かけているのでしょうか? 短期の旅はリュックひとつで YouTubeで旅の動画を見ていると、影響されやすいのですぐにその土地へ行きたくなります。思い立ってすぐに旅に出る気持ちよさってありますよね。会社員時代は毎月のように出張があったので、旅の支度は朝の15分もあれば完了するくらい慣れていました。1泊2日や2泊3日くらいの旅ならリュックひとつで旅に出ます。愛用しているのはARC’TERYXのマンティス26、容量はアイテム名の数字が表す通り26リットルサイズです。 中身はスキンケアセット、化粧ポーチ、メガネ、ヘアアイロン、カメラ、充電器、衣類などです。衣類に関しては、下着、タンクトップなどのインナー、靴下類、それから就寝時用にナイトブラは必ず持参します。 また夏の旅は冷房
今月からカレーハウスCoCo壱番屋、「ココイチ」をFC展開する会社の新社長に22歳で就任した諸沢莉乃さん。社内から疑問の声が上がらなかったのは「意思あるものにチャンスを」という社風でした。 現場に立ちながら経営の勉強も ── アルバイトからスタートして、今月から「ココイチ」をフランチャイズ展開する(株)スカイスクレイパーの社長に就任されました。仕事の面での変化について教えてください。 諸沢さん:4月末まで現場でアルバイトとして働き、今月1日から社長に就任したのですが、実は仕事内容で変わったことはありません。20歳の頃に社長にならないかと打診を受けて、そこから2年間、準備を徐々に進めてきたので、今も変わらず現場に立ちながら、経営の勉強もしています。 22歳で社長に就任した諸沢莉乃さん 前の社長だった西牧会長も3年間は一緒に並走してくださるので、そこで引き継ぎをしていく形です。今は取材の依頼が
「拷問みたいに痛い!なのに慣れると体がスッキリ!」と評判の『胸椎伸展 10分寝るだけストレッチ』。考案したのは、世界最高峰の「マリインスキー・バレエ団」に所属するバレエダンサー・石井久美子さんです。自身が腰を痛めた経験から「胸椎」に着目したという石井さんに、普段あまり運動をする習慣がない人にこそトライしてほしいという超初級ストレッチを教えてもらいました。 舞台に立った瞬間、芸術性を求められるロシア・バレエの世界。世界最高峰のダンサーたちと踊る中で、彼らと自分は何が違うのか、日々、研究していました。 日本人の踊りは、「平たんで深みがない」とよく言われます。また、多くの日本人ダンサーが10代で腰を痛めるのに対し、ロシアのダンサーたちは、腰痛とは無縁…。私自身、高校生のときに腰を痛めた経験があったので、何か根本的なことを直す必要があると感じていました。 当時は、「胸椎」という言葉すら知りませんで
『ZIP!』などの情報番組で活躍する気象予報士の小林正寿さん。大学時代に「会食恐怖症」「外食恐怖症」と呼ばれるパニック障害を発症しました。ところが、当時はまだ心療内科のハードルが高く── 。(全3回中の2回) 仕事で茨城県の放送局へ ── 過去に「外食恐怖症」に悩んだ経験を公表されています。詳しくお聞きしてもいいですか。 小林さん:大学に入った頃に、「会食恐怖症」「外食恐怖症」といわれるパニック障害の症状が出るようになりました。 当時は、病気だという自覚はありませんでした。最初のうちはレストランなど、外で食事をしようとすると、なんとなく調子が悪くなるという感覚があって。そのうち「吐いたらどうしよう」と強迫観念にかられるようになりました。 症状が重いときは、レストラン以外でも閉鎖的な空間にいることに耐えられなくなりました。急行電車に乗ると空気が吸えなくなるような感覚があって、ドアのすき間に
気づけば子どもが何時間もタブレットやスマホを見ている。だから「ゲームを止めさせればいい」という話ではありません。大人が「子どもとゲーム」の関係にどう向き合うか。30年前に「ゲームは1日1時間」と唱えた高橋名人に聞きました。(全4回中の4回) ── ゲーム会社ハドソンの社員で、「16連射」で子どもたちの憧れだった高橋名人。社員時代、早い段階からゲームと子どもの関係について考えていたそうですね。 高橋名人:はい。そのままにしておくと、子どもは5~6時間と、平気でゲームで遊んじゃいますからね。 「ゲームは1日1時間」と私が言ったため、「名人がこう言っているんだから、1時間にしておきなさい」と、子どもに言う親御さんも多かったんです。 ── 最近はスマートフォンもありますから、より簡単にゲームできる環境になりました。 高橋名人:かなり幼少期から、iPadやスマートフォンを子どもに与える家庭が増えたの
ダルビッシュ有の母・郁代さん。今やメジャーリーグで活躍する有選手ですが、子どもの頃は周りの環境と馴染めず苦労した時期があったといいます(全6回中の1回)。 ある日、学校から連絡がきて ── 郁代さんは長男のダルビッシュ有さん、次男の翔さん、三男の賢太さんと3人の息子さんのお母さまでいらっしゃいます。子育てをするにあたって意識していたことはありますか? 郁代さん:それぞれ個性があるので、特にこんな子に育って欲しいといったものはなかったんですけど、男の子ですし、とりあえず生きていくのに強い子であって欲しいとは思ってました。 ── 長男の有さんについて。有さんは、お母さんから見てどんな子どもだったと思いますか? 郁代さん:ものすごく小さいときから、考えられないくらいシャイでした。シャイというか、人に気を許して接することができない。たとえば保育園や小学校にあがるとき、新しい環境に行くたびに周りと馴
大学を卒業後、約20年芝居を続けていたエド・はるみさん。そこから畑違いのお笑いの道へ。さらに40歳を過ぎても続く、挑戦と覚悟を聞きました。(全4回中の1回) 雰囲気も表情もステキです!役者時代(23歳ごろ)のエドさん 希望を捨てず愚直に歩み続けた芝居の世界 ── お笑い芸人になるまで20年以上、女優としてキャリアを積んで来られましたが、女優を志したのはいつごろからですか? エドさん:私は小さいときから人前で表現するのが好きでした。自分でコントを作ったり、先生のモノマネをしたりして、みんなが笑ってくれるのがとても嬉しくて。 でも、進路を決めるときには笑いではなく、演劇学を専攻する大学に入学し、サークルで演劇に打ち込みました。将来は女優になり一生芝居をやって行く覚悟でいたので、大学卒業と同時に、某歴史ある劇団の研究生になりました。 でも、研究生の生活は1年で終わってしまって。それからまたどこか
お笑いの世界でブレイクしたのち、エド・はるみさんは1つの道に留まりませんでした。「もっと人間や社会を知ろう」と大学院に入学。研究者の道に進んでいきます。(全4回中の3回) 艶やか!袴姿で現れた慶應大学大学院修士課程・修了式でのエドさん 20数年ぶりに役者仲間と対面「出川さんが…」 ── 40歳で入学したNSC(吉本総合芸能学院)で努力を重ね、トップクラスの成績で卒業したエドさん。20数年ぶりに役者時代の仲間とテレビの生放送で再会されたとか。 エドさん:2007年、ある番組で「これから来る若手」枠があり、そこでネタを披露したときに出川哲郎さんと再会しました。 どこかで私たちの関係をお知りになった品川庄司の品川さんが、私のネタの後に、「エドは出川さんと同期なんですよ!」と言ってくださって。そこで、私もちゃんとその返しができたので、その場がとても盛り上がりました。 そんな品川さんのおかげで、「来
「もしもし私リカよ、お電話ありがとう」。このひと言から始まる電話の「リカちゃんでんわ」サービス。SNSが当たり前の今、国民的着せ替え人形「リカちゃん」と電話で話せるこのサービスは、アナログながらも昨年55周年を迎えました。 これまで「今どき電話なの?」という社内の声もあるなか、スマホと違って、子どもが自分の意思で手に取れる身近なメディアということで続けてきたそうです。株式会社タカラトミー マーケティングの沼田瑞穂さんと広報の柳寺薫乃さんにお話を伺いました。 ひとりの子どもの夢を叶えた社員 ──「リカちゃんでんわ」が始まったきっかけは? 沼田さん:リカちゃんを発売してまもなくの1967年当時のある日、ひとりのお子様から「リカちゃんはいますか?」と会社に電話が入り、その電話を受けた社員が機転を利かせて「こんにちは、私リカよ」と対応したそうなんです。すると、そのお子様が喜んでくださったと聞いてい
ダウン症のモデルとして注目される菜桜さん。娘と二人三脚で夢を追う、お母さんの齊藤由美さんですが、娘さんを受け入れるには長い時間を要したそうです。 世界大手の玩具メーカー、マテル社からバービードールのプレゼント。バービーと同じファッションで撮影 9歳でモデルデビュー「菜桜の存在が光になれたら」 ── 菜桜さんがモデル活動を始められたきっかけを教えてください。 由美さん:日本ダウン症協会のイベントで、ファッションショーに出演するモデルの募集があって、私が応募したのがきっかけです。菜桜が9歳のときです。 人前で歩くのは初めての経験だったのに、菜桜は物おじせずに楽しんでいました。そのときは、「こんな経験は最初で最後だろうな」と思っていましたが、14歳のとき、もう一度障がい者のファッションショーに出演する機会があったんです。そのときもとても楽しそうにランウェイを歩いて、ポーズをとっていました。見てい
独身時代は「料理はしない、服は量販店で買う」という生活だった遠藤久美子さん。「無縁だと思っていた」という結婚を経て、変わったこととは?(全5回中の3回) 37歳で結婚、ウェディングドレスに身を包む遠藤さん スタッフと俳優として出会い「スーッと結婚」 ── 37歳で映画監督の横尾初喜さんとご結婚されました。以前は結婚についてどう考えていましたか? 遠藤さん:自分には無縁だと思っていました。学生時代は、学校を卒業して仕事して結婚…って、当たり前にするものだと思ってたんですよ。でも、ずっと自分には縁がなくて。 私、5人きょうだいなんですけれど、私以外全員結婚して子どもがいて。母からすると孫が10人いるんです。私はずっと母と一緒に暮らすんだろうなと思っていたし、母もそう思っていたようです。 ところが『田沼旅館の奇跡』という映画で、監督補だった主人と出会って、なんかスーッと(笑)。自然な感じで結婚で
「服を着せてもすぐ脱いじゃうような、やんちゃな子だったみたいです(笑)」と笑顔で子ども時代のことを話す小芝風花さん。ドラマ『転職の魔王様』(カンテレ制作・フジテレビ系)では、多くの人に共感されるヒロイン・未谷千晴役を演じています。フィギュアスケート選手として励んだ時期や2度の手術、芸能活動のため競技を離れる決断をした理由など、お話を聞きました。 芸能界入りする前はフィギュアスケートの有望選手だった小芝風花さん 人見知りだけど活発だった子ども時代 ── 小さい頃の小芝さんは、どんなお子さんでしたか? 小芝さん:自分では覚えていないですが、母の話では2歳くらいが一番やんちゃだったようです。タンクトップとパンツ一丁で、キックボードをワーッて漕ぎ回るとか(笑)。 小学校低学年のころは学校の休み時間、外で遊ぶよりお絵描きしたり、先生とおしゃべりしたりしていた記憶があります。中学年から高学年では、ドッ
芸能界で華やかに活躍する最中、結婚を機に田舎暮らしを始めた佐藤藍子さん。乗馬クラブでも働く現在の暮らしぶりは…。 移住のきっかけは「競走馬の悲しい現実」を知って ── 馬に興味を持たれたのは、ご両親の影響だったそうですね。 佐藤さん:両親が趣味で競馬を始めて、私もその影響で興味を持ちました。初めて競馬場に行ったとき、馬が颯爽と走る姿に感動して、どんどんハマっていきましたね。 ── 競走馬についても調べていたそうですね。 佐藤さん:レースで華々しく活躍しているけど、引退した馬はどこにいくんだろうって思ったんです。馬の寿命を調べてみると、馬はだいたい25歳くらい…、30歳まで生きると長生きなのかな。そのなかで、競走馬は2歳くらいにデビューして、ピークが3歳から5歳あたり。7歳くらいになると引退する馬が多く、引退後の暮らしのほうが長いことを知ったんです。 ── 引退した競走馬は、どのような道に進
「働く女性の生きやすさ」にコミットするWEBメディア。「Reset our Lifestyle(ちゃんと、自分たちの暮らしを整えたい)」という想いから、現代の女性が直面する課題や解決法を紹介。暮らしの話題はもちろん、時代にそぐわない古い価値観、自分らしく働く方法なども積極的にシェアします。
これからの季節、食卓に登場する機会も増えそうなそうめん。料理家のmisaさんがInstagramに投稿した「ネギそうめん」が話題です。 昨年巷でバズった「ネギそうめん」を 昨年InstagramなどSNSでバズっていたという「ネギそうめん」。misaさんも、当時からよく作っていて、友人が来たときにおもてなし料理として出すと「美味しい!どうやって作るの?」と必ず作り方を聞かれたそう。そこで、自分のレシピを「3回はリピートするでしょ」という文言とともにInstagramに投稿したのだそう。 SNSで昨年プチバズりした「ネギそうめん」(1/8枚) フォロワーたちからは「私も3回作った。まんまと」「めっちゃハマって10回以上リピートしてる。というか普通のそうめん食べなくなった」「写真撮る前になくなってもーた。。。腰抜かしました」などの声が寄せられ、すっかりその手軽さと味のとりこになってしまう人が続
デビュー作『氷の城壁』が大ヒットした後、現在は集英社マンガ誌アプリ「少年ジャンプ+」にて『正反対な君と僕』を連載中のマンガ家・阿賀沢紅茶さん。10代のもどかしさをリアルかつ繊細に描く作風に「あのころに引き戻される」とハマる大人読者が続出しています。 小雪を中心とした4人の高校生の成長を描く『氷の城壁』(c)阿賀沢紅茶/集英社 「いろんな人間が同じ空間にぶち込まれる」高校生活の異質さ ──『氷の城壁』はクールな態度から氷の女王と呼ばれることのある女子高校生・氷川小雪が主人公。友人たちと関わるうちに、だんだん彼女の心の壁が溶けていくようすが描かれます。小雪を中心とした4人の高校生の成長を描くいわゆる青春ストーリーですが、このテーマで描き始めたきっかけは? 阿賀沢さん:『氷の城壁』はもともと、インディーズサイトに趣味で投稿していたマンガなんです。スマホを縦にスクロールして読んでいくウェブトゥーン
1万人に1人といわれる難病「潰瘍性大腸炎」と闘う漫画家、島袋全優さん。みずからの闘病体験をギャグ漫画にした『腸よ鼻よ』(KADOKAWA)は現在7巻まで発売されている話題作です。19歳で発症し、約10年間で10回の手術、大腸全摘の大手術も経験。入退院を繰り返しながら、ギャグ漫画を描き続けるパワフルさにも注目が集まります。病気発覚の経緯や当時の家族の反応について聞きました(全3回中の1回)。 誤診に従ったらまさかの事態に ── 19歳の専門学生の頃、難病の「潰瘍性大腸炎」を発症されています。当時の様子を教えていただけますか? 島袋さん: 当時、漫画家を目指して那覇市にある専門学校に通い、課題やバイトに明け暮れていました。ずっと下痢が続いていたものの、もともとお腹が弱く、焼き肉など脂っぽいものを食べた翌日は、必ずお腹を下すタイプだったので、そこまで深刻には考えていなかったんです。 ところが、そ
「家事育児お疲れさまです」という合言葉で、子育てのあるあるネタをTikTokの動画で披露する竹田こもちこんぶさん(43)。 1年半もたたないうちに、33万人近いフォロワー数を獲得。最近はテレビ番組やイベントに出演するなど人気者になっています。 多くのママたちから共感を呼ぶコミカルで大仰な動画ですが、これまでの挫折からたどり着いた表現方法だそうです。 生身の表現ができないもどかしさ 「最近は出先で声をかけられることも多くなり、TikTokの影響力を感じています。 子どもに勧められたというママさんから小学生まで、幅広い年齢の人たちに見てもらっているようです」 35歳で第1子をもうけ、現在は4人の男の子を育てながら、TikTokerとして活動する竹田さん。 《すべての母に捧げる応援歌。歌わないけど》と称する動画を、配信するようになった経歴は異色のものです。 4人の子どもたちと。右から三男の響(お
家庭用調理器具を使ったプロ技スイーツレシピをSNSなどで発信している、パティスリー&カフェ デリーモのシェフショコラティエ/パティシエ 江口和明さん。江口さんがSNSに投稿した「失敗しない究極のスポンジケーキ」が、「本当にできた」「人生で初めて成功した!」と話題に。これまでのスポンジケーキ作りの概念を覆すそのレシピについて、詳しくお話を伺いました。 「うまく膨らまない」問題を解決したのは… 「スポンジケーキはベーキングパウダーを使わないのでなかなかうまく膨らまない、という声を聞きます。ただ、必要な材料を揃えてオーブンの温度と焼き時間さえ守れば、難しいテクニックは要らないんです。 失敗しないコツは、決められた材料を必ず入れることと、オーブンの温度と焼き時間を守ることだけです」 スポンジケーキのレシピではよく「泡立てるために卵と砂糖は湯せんをしながら混ぜましょう」「材料は小分けにして少しずつ入
東京大学医学部卒業後、ワコールに入社。在職中に奈良の工房「益久染織研究所」の廣田益久さんに出会い、工房に弟子入りした異色の経歴の持ち主・青木正明さん(55)。2002年に京都市で「手染メ屋」(現tezomeya)を設立した後、今は京都光華女子大学で准教授として染色を教えています。「人生は基本ノリだと思う」と語る青木さんに、これまでの経緯を伺いました。 京都市にあるtezomeyaの外観。草木染の商品が並ぶ 保健学科を出て好きだったアパレルに ── 1991年3月、東大医学部を卒業されてワコールに入社。2000年6月に退職してから、染色家になられたとのこと。驚きの経歴ですね。 青木さん: 「東大医学部」で表記を止めちゃうと凄そうですが、実は保健学科なのです。東大医学部医学科と保健学科はまったく違うので。みなさんがイメージする東大医学部は、東大理3ですよね。僕は保健学科で、普通の理系です。 医
「きこりになりたい!」募集もしていないのに、履歴書を送っては林業会社の社長の講演会へも押しかける。念願かなって、きこりとなった飯塚潤子さん。細身の女性が体力勝負で危険をともなう仕事に何を見出したのでしょう?鮮やかな青い空、生いしげる新緑の山に囲まれた東京・檜原村にある彼女の職場を訪ねました。 東京大学で森林環境を学ぶも… 子どもの頃から環境問題に興味があった飯塚さん。高校卒業後、東京大学に入学。農学部森林環境科学科で森林土壌や森林政策、動植物など、森林に関するあらゆることを学びました。 「授業のなかで、“日本の森林は育ってきている。木々は材木として使いどきを迎えているのに、手入れがされないため、荒廃しつつある”と知りました。 しかも、海外では違法伐採をしているとの話も聞き、“国内の木を活用すればいいのに、なんでそれができないんだろう”と疑問に思ったんです。 こうした状況を知り、いずれは森林
ヨガインストラクターやYouTuberとして活動するMaiさん。見覚えがあると感じた人も多いかもしれません。Maiさんは大ヒット曲『secret base ~君がくれたもの~』などで人気を博し、2000年代に活躍したZONEの元メンバー。「ひとつのことに没頭するタイプ」というMaiさんに、芸能界デビューのきっかけからZONE時代のエピソードについて聞きました(全3回中1回目)。 引っ込み思案で無口な子が「まさかの芸能界デビュー」 ── 子どもの頃から人前で立ったり、踊るのが好きだったのですか? Maiさん: それが、その真逆で(笑)。人の後ろに隠れがちな無口な子でした。だから人前に立つのは苦手だったんです。でも小学校4年生のクラブ活動で、ダンスを選択して習い始めたときに、ダンスで自分を表現するのがすごく合っていると感じて、夢中になりました。 ── ダンスを始めたことがきっかけで、活発になっ
育児を優先させるため、2014年に福岡県に移住した元モーニング娘。の中澤裕子さん。東京では「いつもコソコソ生活していた」という中澤さんですが、福岡移住を機に変装するのをやめ、ご近所ともオープンにつき合うことにしたそう。地域の人と交流するなかで、中澤さんは、過去の自分のいわゆる“芸能人としての振る舞い”について「勘違いしていた」と気づいたと語ります(全5回中の2回)。 「ももち浜ストア」(テレビ西日本)にレギュラー出演している中澤裕子さん ── 2014年に福岡に転居すると決めた当初、周囲の反応はいかがでしたか? 中澤さん:夫と相談して、福岡に引っ越すと決めて、事務所の会長や社長、マネージャーに報告したんですが、みんな背中を押してくれました。福岡の挨拶回りにすぐ行ってくれたり、サポートしてくれたり。ただ、だからといって、すぐにお仕事ができると思ってなかったし、当然知り合いは誰もいませんでした
現在、夫と9歳の長女、7歳の長男と福岡県で暮らす元モーニング娘。の中澤裕子さん。2014年から福岡県に移住し、現地のテレビにレギュラー出演するなどタレントとして活動しています。かつては「モーニング娘。になるために生まれてきた」というほど仕事に打ち込んでいた中澤さんが、芸能活動をセーブし、移住の道を選んだのは、6歳で父を亡くした自身の生い立ちが関係していると語ります(全5回中の1回)。 福岡県でローカルタレントとして活躍する中澤裕子さん ── 福岡に移住することになった経緯について教えてください。 中澤さん:結婚の話が出た当時、夫は福岡と東京の2拠点で活動していたんです。でも今後、福岡に力を入れたいということで、福岡に拠点を置きたいと。 私自身は当時、東京で芸能活動をしていたので、そんなつもりは全くなくて。仕事100%で生きてきましたし。 夫に「福岡には行けない」と話をしたら、夫も理解してく
子どもの質問は成長を感じる瞬間ではありますが、ときに小さい我が子にどう説明したらいいか、しどろもどろになるときも。3歳の息子から図形の素朴な疑問を投げかけられた数学教員のちるちる(教員)さん(@chiruchiru_t)。悩んで出したお子さんへの回答がSNSで話題になっています。 一見、何の変哲もない親子の会話。しかし、幼い我が子の知りたい内容を的確に察知し、相手の理解度に合わせた説明をするのは、簡単なことではありません。 高校で数学を教えるちるちる(教員)さんも、「2定点からの距離の和が一定な点の軌跡だよ、ちなみにその2定点のことを焦点っていうんだ」という楕円の定義を、初めは心の中で唱えています。 しかし、相手は3歳児。母親であるちるちる(教員)さんが導き出した教え方は「えんをびよーんってのばしたやつ」だったのです。 この投稿に、「わかりやすい!」「本当に賢い人は、そのレベルに合わせて解
昨年1月から「note」で連載が開始され、4000件以上の「いいね! 」を獲得して話題となったエッセイ漫画『父子家庭はじめました』。作者はギャグ漫画家の渡辺電機(株)さんです。今年4月には連載をまとめた単行本『父娘ぐらし〜55歳独身マンガ家が8歳の娘の父親になる話』(KADOKAWA)も発売されました。 ストーリーは、55歳まで独身だった渡辺さんが16歳年下の妻と結婚し、妻の連れ子のパパになるところから始まるのですが…。なんと妻より先に、長女と血のつながりのない父のふたり暮らしがスタートすることに!これが実話だというから驚きです。 突然8歳の女の子と同居することになり、困惑することも多々 今回は、そんな渡辺さんに結婚に至るまでの経緯と、長女・アユさんとの「父子家庭生活」についてお聞きしました。 夫のDVに悩むファンに「一緒に暮らそう」 ── 16歳年下の奥さまとの結婚までの経緯をお聞きして
「今、振り返ってみても両立は相当タフでした。寝不足のまま生放送に突入する地獄のような日もあった(笑)。でも一生モノの自己投資で、仕事の『腹落ち感』が変わりました」。平日朝5時45分から放送されている『Newsモーニングサテライト』(以下、モーサテ)(テレビ東京系)でメインキャスターを務める相内優香さん(36)。テレビ業界では「日本一難しいニュース番組」と呼ばれる番組でキャスターを務めつつ、大学院での勉強を両立させ、今年3月にはMBA(経営学修士)を取得しました。 MBA取得後、修了の記念に撮影した1枚 相内さんの「学び直し」の決断の背景にあった思いとは?メインキャスターの重責と喜び、未来のビジョンまで、幅広く伺います。 決断の背景に 33歳で抱いた「もやもや」 ── まずは早稲田大学ビジネススクールの卒業とMBAの取得、おめでとうございます。 相内さん: ありがとうございます。最後は年末年
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