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ブラックフライデー
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コラム53:迷惑はかけてもいい 日本人ならたいてい子どものころから、親や学校の先生などから、「他人に迷惑をかけてはいけません」と言われて育ってきたのではないだろうか。そのため、「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは、普遍的な道徳律だと思っている人も多いのではないかと思う。私も数年前までそう思っていた一人だった。しかし、どうやらこの教えはそれほど普遍的な規範とは言えないようだ。日本語教師をしている私の知人によれば、中国ではこのような規範を子どもに教える親はほとんどいない代わりに、「困っている人を助けなさい」と教える親が多いという。私の友人の韓国人によれば、韓国でも「他人に迷惑をかけるな」という人はいるものの、日本ほど多くはないという。むろん、日本でも「困っている人を助けなさい」と教える親もいるだろうが、「他人様に迷惑をかけてはいけない」と教える親に比べると、圧倒的に少数派だろう。 新約聖
2017/07/28 1. 講師 栃木 力(トチギ ツトム)先生 (略歴) 1956年生まれ。1979 年東京大学法学部卒業。 1981年裁判官任官。宮崎,大阪,豊岡,東京,苫小牧の各裁判所裁判官,司法研修所教官,東京地裁部総括判事,千葉地裁部総括判事,東京地裁所長代行者,水戸地裁所長を経て,2015 年より東京高裁部総括判事。 2. 開催日時・場所 2017年10月12日(木)午後3時~4時30分 法文1号館25番教室 3. 参加資格 本学法科大学院生及び法学部生(申込みは不要です。) 4. 講演内容の紹介 栃木力先生は,裁判官に任官後,主に刑事裁判の分野でご活躍されております。特に,裁判員裁判の導入に当たっては,その最前線において,公判中心主義,核心司法,当事者主義の徹底といった裁判員裁判時代に即した新たな刑事裁判実務についての議論をリードされ,その確立に尽力されました。 本講演では
COESOFTLAW-2004-11 2004 12 1 1 1974 1989 EC 1990 2 3 law 1 preventive precursory 108 11 12 15 2002 23 2002 2 Catherine Barnard, EC Employment Law, 82-83 (2000, 2nd ed.). Bob Hepple subsidiarity Bob Hepple, “Enforcement: the law and politics of cooperation and compliance”, in Bob Hepple (ed.), Social and Labour Rights in a Global Context, pp. 242-243 (2002). 3 (1) 117 117 1985 (1) 1 109 5 6 419 200
戻る 退職教員からの一言 東大を去る一教授の思い 石黒 一憲 昭和44年1月某日、都立日比谷高校33ルームの体育の授業は、教師の持ち込んだラジオに、砂場で全員が聞き入る異例の事態。快晴無風の中、丸眼鏡の文部大臣と佐藤栄作首相とが、放水で荒れ果てた安田講堂を長靴姿で歩いた後、「昭和44年度東大入試の中止」を決定した、との報。――その後、わがクラスで、自殺者2名。「あさま山荘事件」に至る前に殺害された者一名。その殺害事件の担当検事は、同じYという苗字の、私の小学生以来の同級生の父親(徳島ラジオ商事件、北海道庁爆破事件、等担当)。――といった話を、今知る者は皆無。私は、東大・法のスタッフ唯一の、いわばその生き証人、であった。 だが、今の世界の紛争諸地域、そして、1945年に至るまでのこの日本を考えれば、己の命にまで直結「しなかった」上記の一事件は、まだまだ生ぬるい。 そこで、皆さんの問題。
法学部に進学される皆さんへ 3年次・4年次開講科目のためのリーディングリスト 東京大学法学部 2015 年 12 月 法学部に進学される皆さんへ 法学部に進学される、もしくは進学を希望しておられる皆さんは、すでに前期課程科目として法学・政治学に関する様々な科目を学んだこと でしょう。また 2 年生の皆さんは、法学部の専門科目も学ばれているものと思います。どのような感想をお持ちでしょうか。 法律学も政治学も、人間社会の中における実践と社会に対する思索との、長い間の蓄積の結果として、現在ある形で存在しています。それゆ え、たとえ最も現代的な問題を対象とする場合であっても、問題自体を理解するためには、その土台を構成している多様な著作や研究業績と取 り組む必要があります。法律学も政治学も、多くのものを読むことではじめて、その姿をわれわれの前に現わしてくれるものです。 逆に言えば、皆さんが授
日本近代法史(和仁)受験者諸氏へ 四半世紀近く講義をしましたが、すべてはそうでないが、ここまで品性下劣、卑しい答案の 連続は初めてです。 昨年度までとの落差は凄い。平均が、驚愕の低水準。 試験場で不吉な印象はありましたが、 ・加重減軽を加重減刑と書く ・不応為につき大嘘を述べる ・改定律例を改定律令と書く ・試験場で口頭で補足した題意を理解していない (音声言語のできない法律家は屑[もっとも深刻です]) ・刑法第一部を聴講していないと思われる政治学マニア系の答案 ・基礎の出来ないまま本郷に来た三四年生の答案 ・(罪刑法定主義といって授業で列挙した)NG ワードの一つ、真逆を 正反対の意味で使った場合 は本来すべて不可です。 とくに、第一、第二の点については、おそるべく劣悪のノートが出回ったに決まっており、 そういうのに盲従する手合いは自業自得です。その手のノートを提供する厚顔無恥は、見習
戻る 退職教員からの一言 退職に当たって 長谷部 恭男 私は1993年に助教授として着任しましたので、計21年間にわたって本研究科にお世話になったことになります。この間、本学の一員でなければおそらくは経験することはなかったであろうと思われるようないろいろな経験を積ませていただきましたが、反面、私が本研究科ないし大学全体に貢献し得たことは微々たるもので、今後もその量が減少しこそすれ、増加する見込みはまずないことにかんがみ、この度早期退職することといたしました。 話は逸れますが、私が今、取りかかっている仕事の一つにH.L.A. ハートの『法の概念』の翻訳があります(今年中には刊行される予定です)。彼も所属大学を早期退職しましたが、その理由は、もはや学問的に貢献することができなくなったから、というものでした。私の場合は、もともと学問的貢献をしておりませんので、これは早期退職する理由になりません
戻る 加毛 明(かも・あきら) 略歴 2003年 東京大学法学部卒業 2003年 東京大学大学院法学政治学研究科助手 2006年 東京大学21世紀COEプログラム特任研究員 2006年 東京大学大学院法学政治学研究科助教授 2007年 東京大学大学院法学政治学研究科准教授 関心分野 民法、信託法 主要著作 「受託者破産時における信託財産の処遇(1)~(4・未完) -- 二つの『信託』概念の交錯」法協124巻2号394頁、11号2387頁(以上、2007年)、125巻1号65頁、12号2645頁(以上、2008年) 近年の主要な担当授業科目 法I、法II 所属学会 日本私法学会、信託法学会 近年の学内・研究科内の主要な役職 図書委員(2007年4月~2009年3月) 公的活動等 法務省民事局調査員(2006年7月~2009年6月)
戻る 高原 明生(たかはら・あきお) 略歴 1981年 東京大学法学部卒業 1983年 サセックス大学開発問題研究所修士課程修了(MPhil(Development Studies)) 1988年 サセックス大学開発問題研究所博士課程修了(DPhil) 1988年 笹川平和財団研究員 1989年 在香港日本国総領事館専門調査員 1991年 桜美林大学国際学部専任講師 1993年 桜美林大学国際学部助教授 1995年 立教大学法学部助教授 2000年 立教大学法学部教授 2005年 東京大学法学部教授 関心分野 現代中国の政治、東アジアの国際関係 主要著作 The Politics of Wage Policy in Post-Revolutionary China, London and Basingstoke, The Macmillan Press, 1992. 『毛
Vol.7 2012.9 東京大学法科大学院ローレビュー 191 Ⅰ. 民法 900 条 4 号ただし書の現 在 民法 900 条 4 号ただし書前段の規定(以下 「本件規定」という。)は,嫡出でない子(以 下「非嫡出子」という。)の相続分を,嫡出 である子(以下「嫡出子」という。)の相続 分の 2 分の 1 とする旨を規定しているが,こ の規定の憲法 14 条適合性については,周知 のとおり激しい議論がある。 最 大 決 平 成 7 年 7 月 5 日 民 集 49 巻 7 号 1789 頁(以下「平成 7 年大法廷決定」という。) は,本件規定が憲法 14 条に違反しない旨の 判断をしたが,5 人の裁判官による反対意見 が付された。その後も,各小法廷において, 平成 7 年大法廷決定を引用した合憲判断が繰 り返しされたが,複数の裁判官による反対意 見が付されたことも,本件規定は極めて
「大学の自治」に関する試論 66 論説 「大学の自治」に関する試論 ―社会・正当性・構造― 2010 年 4 月入学 本郷 隆 Ⅰ.序 1 ポポロ事件判決 2 問題提起 3 本稿の構成 Ⅱ.歴史 1 中世 ⑴ 大学の誕生 ⑵ 大学の「死」 2 近代以降 ⑴ ドイツ ⑵ 米国 3 日本:戦前 ⑴ 帝国大学の成立 ⑵ 私学の誕生 ⑶ 自治の萌芽 ⑷ 抑圧の時代 4 日本:戦後 ⑴ 新制大学制度発足から学生叛乱まで ⑵ 改革の時代 Ⅲ.構造 1 根拠論 ⑴ 制度的保障論への疑問 ⑵ 功利主義からのアプローチ ⑶ 職責からのアプローチ ⑷ 機能的自由からのアプローチ ⑸ 教育権からのアプローチ 2 外部関係 ⑴ 実質的意味の大学 ⑵ 「諸学部の争い」 ⑶ 法学の多層性 ⑷ 「大学性」 ⑸ 自律性の限界 3 内部関係 ⑴ 「教授会自治」の再定位 ⑵ 私立大学の内部関係 ⑶ 国公立大学の内部関係 4
Vol.6 2011.9 東京大学法科大学院ローレビュー 207 Ⅰ.はじめに インターネットの普及とデジタル化の進展 によって,名誉・プライヴァシーに関する伝 統的な法理は,様々な角度から再検討を迫ら れている。本稿では,報道の自由と人格権の 調整という古典的論点の変容について,従来 の法理を参考に,今後どのような対応がマス メディアに求められるのか,考えてみること にしたい。 日本新聞協会の「新聞・通信社の電子・電 波 メ デ ィ ア 現 況 調 査 」(2011) に よ る と, 2010 年には有料の電子新聞サービスが本格 的に開始されるとともに,新聞協会加盟新 聞・通信 110 社のうち 34 社が,ウェブ上で 配信している記事にソーシャルブックマーク を付す,「つぶやく」(twitter),「いいね!」 (facebook)ボタンによって記事を共有する 等,ソーシャルメディ
85 Vol.4 2009.9 東京大学法科大学院ローレビュー I. 問題の所在 1 課題 2 大阪市靱公園におけるテント除却 (1) 事実の概要 (2) 本稿が取り上げる問題 (3) 大阪地裁決定の議論 (4) 今一つの法律構成の可能性 (5) 課題となる問題の定式 II. テントの設置された都市公園区画に係る テント設置者の占有? 1 日本法が有する二つの前提 (1) 権原と占有との区別 (2) 公物と民法上の占有 2 テントを設置し居住する ホームレスのテント設置区画に係る 事実的支配の評価 (1) 2 つの最高裁判例 (2) ホームレスの占有が語られうる条件 3 ここで語られる占有の意味・機能 III.テントの除却と占有の解除 1 問題の再確認とその分節 (1) 課題および大阪地裁決定の議論の再確認 (2) 大阪地裁決定の議論を構成する 各部分に対する疑問 (3) 課題の整理 2
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帝国の民族政策の基本は同化か?――一九九八年度大会「ロシア・ソ連の帝国的秩序」セッションの反省に寄せて 一九九八年度ロシア史研究会大会において「ロシア・ソ連の帝国的秩序」というセッションがもたれ、私は竹中浩、西山克典とともに報告者に指名された。報告自体は別に発表予定だが(報告そのものはA、関連する拙稿として@B)、ここでは、このセッションにおける議論がやや生煮えに終わったのではないかという観点から、議論の前提に関わるような事柄について、若干の反省を試みたい。この小論は、そうした意図から書かれたので、実証的歴史研究そのものではなく、一種の問題提起的エッセイだということを予めお断わりしておきたい。ロシア・ソ連史から離れた抽象論や、ロシア・ソ連史の中でも私自身が直接研究していないような事柄に触れるので、「研究」と称し得るような精度をもったものではない。そのような文章を『ロシア史研究』誌に掲載して
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2008年度法と社会文献講読の成果 サナ・ルー (著) 『法,疫学,市民社会:法政策における科学的手法の活用』 (325頁) Sana Loue, Case Studies in Forensic Epidemiology, Plenum Pub. Corp., 2002 監訳者:太 田 勝 造 ・ 津 田 敏 秀 訳者:太田 勝造・ノミンチメグ・オドスレン・佐伯 昌彦・ 平田 彩子 発行:木鐸社 2009年3月15日 定価 4000円 ISBN 978-4-8332-2410-9
著者、小熊英二は、これまでにも一連の力作((『単一民族神話の起源』、『〈日本人〉の境界』、『〈民主〉と〈愛国〉』)など)で、その力量を遺憾なく発揮しており、私の注目を引いていた。私はややもすると他人の著作を読んでその欠点に目が向いてしまうという、教育者にあるまじき困った性格の持ち主なのだが、彼の仕事に関しては、多少の部分的批判がないわけではないにしても、概して非常に高く評価してきた(1)。その彼が、一九六八年前後の日本の若者たちの叛乱を主題とする本を書いた。これはちょっとした事件である。ちょうどあれから四〇年を経たということもあり、刊行の時点で、世間全般でもこの主題への関心が高まりつつあった。あの時代に若かった世代の人間にとってと、当時のことを直接知らない今日の若い世代とでは、関心の持ち方も大きく異なるだろうが、とにかく四〇年前の出来事を振り返り、なにがしかのことを考えてみたいという欲求は
COESOFTLAW-2004-8 1 trust 10 1 2 3 Luhmann Gidenns 4 1968 5 6 a priori t r r r r 1 212 1996 2 Harold Garfinkel, A Conception of, and Experiments with, “Trust” as Condition of Stable Concerted Actions, in: O. J. Harvey (ed.), Motivation and Social Interaction: Cognitive De e minants, 1963 3 Dean G. Pruitt and Melvin J. Kimmel, Twenty Years of Experimental Gaming: Critique, Synthesis, and Suggestion
どういうわけかアーレントとは相性が悪い。大分前から気にはなっており、ときおりいくつかの作品や解説類を読んだりしてきたが、なかなか腹にストンと落ちたという感じになれないままに、今日に至っている(1)。 一つの不幸な事情は、私が最初に読んだ彼女の作品が『全体主義の起源』であり、この著作は、他の点ではともあれソ連論としては全く評価できないという点にあったのだろうと思う。歴史家ではなく、ましてソ連専門家でもないアーレントにそれを求めること自体が無理なのだが、この本のうちのスターリン体制に関わる個所は、素人芸としか言いようがない。それでいながら、「全体主義論の名著」とされ、スターリン体制についても明快な解明を与えた作品だという評価が広まっていることが、私を苛立たせずにはいなかった。 もう一つ付け加えるなら、ここで取り上げる『イェルサレムのアイヒマン』とも関わるのだが、彼女の思想の中で独自の位置を占め
このあまりにも有名な著作を、私は若い時期には読まなかった。もちろん、その存在は早い時期から知っていたが、当時は既に本書に対する諸種の批判が出ており、それを耳学問で聞きかじった私は、読むまでもなく分かっているし、その限界も露わだという先入観をいだいてしまったのである。にもかかわらず、「あれほど長い期間批判され続けつつ、それでも一種の古典としての地位を占めているのは何かあるのかもしれない」という気のすることも時折あった。そんなわけで、私の中で文化人類学への関心が高まったときに、とりあえず一応読んでみようという気を起こしたわけである。 先ず何よりも強い印象を受けたのは、第一章で述べられている方法論が私の先入観とは相当違うものだったという点である。本書を読む前にいだいていた先入観をいうと、西欧にとっての異文化としての日本文化への内在的理解を欠き、日本文化と西欧文化を「恥の文化」と「罪の文化」という
おしらせ 「政治空間の変容と政策革新」全6巻(東京大学出版会)刊行が開始されました 第1回配本(2008年3月21日) 城山 英明/大串 和雄 編 「政治空間の変容と政策革新」1 『政策革新の理論』 サミュエル・ポプキン/蒲島 郁夫/谷口 将紀 編 「政治空間の変容と政策革新」5 『メディアが変える政治』 第2回配本(2008年5月15日) 森田 朗/田口 一博/金井 利之 編 「政治空間の変容と政策革新」3 『分権改革の動態』 第3回配本(2008年7月15日) 城山 英明 編 「政治空間の変容と政策革新」6 『科学技術のポリティクス』 第4回配本(2008年9月15日) 平島 健司 編 「政治空間の変容と政策革新」2 『国境を越える政策実験・EU』 第5回配本(2008年11月15日) 高橋 進/安井 宏樹 編 「政治空間の変容と政策革新」4 『政権交代と民主主義』 -詳細はこちらから
アメリカの社会科学にはあまり通じていない私だが、その中における亡命者の役割や、ある時期に社会主義・マルクス主義の洗礼を浴びたことのある人の位置といった問題については、かなりの関心をいだいてきた。 そうしたテーマについて書かれた文献も相当の数にのぼるが、その一つに、コーザーの『亡命知識人とアメリカ』がある(1)。一九三三年のナチ・ドイツ政権成立から第二次世界大戦終了までの時期に、主にドイツ・オーストリアからアメリカに移住した知識人たち(著者自身もその一人)の群像を描いたものである。これを読むと、実に綺羅星のごとくに、各界著名人が並んでいることに強く印象づけられる。クルト・レヴィン、ヴィルヘルム・ライヒ、エーリヒ・フロムといった心理学者・精神分析学者に始まり、フランクフルト学派、アルフレッド・シュッツ、カール・ウィトフォーゲルなどの社会学者・社会思想家、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、アレクサ
エドワード・ハレット・カーはいうまでもなく二〇世紀イギリスを代表する歴史家・国際政治学者であり、日本でも広く知られ、影響力の大きい人である。しかし、その活躍範囲があまりにも広かったために、その全体像をつかむのは容易ではない。初期の外交官時代はさておくとしても、研究者としての主な対象領域は、一九世紀ロシア思想史研究に始まり、国際政治学・国際関係論、ソ連史研究、歴史学方法論などに及び、著作の数もきわめて多い(そのかなりの部分が日本語に訳されている)。彼の文章は一見したところ明快だが、その背後に意外に複雑な含意を込めている場合も少なくない。また学者として書いた文章とジャーナリスティックな評論との性格の違いとか、それぞれの時点での現実政治状況に見合った論争性――それは当然、時期によってかなりの揺れがある――といった問題もあり、そうした点を踏まえてカーの作品を読み解くのはそう簡単な作業ではない。 こ
文学作品を政治論や歴史論の素材として利用してしまうのは社会科学者の悪い癖である。私は、日頃それほどたくさんの文学作品を読んでいるわけではないが、たまに読むときは、できるだけ専門の仕事を離れて読むようにしており、また読んでいるうちにいつのまにか自分の仕事とのつながりが出てくると、「文学作品の読み方としては邪道に陥らないか」という警戒心を働かすように心がけている。にもかかわらず、いつのまにか作品に触発されて、政治と人間のかかわりとか、歴史における人間とかいった問題について考えてしまうのは、業のようなものだろうか。 ただ、そのような場合にも、文学と社会科学の位相の違いということは常に念頭においているつもりである。既成の政治論を確認し、それを例解する実例として文学をとりあげるというのではなく、むしろ政治についての常識的理解を問い直すきっかけにするという姿勢を保ちたいというのが私の考えである。これは
なお、東京大学法学部の内部規律として、教授昇任12年を区切りとして「研究結果報告書」というものを提出することになっており、私の場合、2004年夏にそれを提出した(『東京大学法学部研究・教育年報』第18号(2003・2004)、2005年刊に収録。ここにリンク)。 (2001.10.18更新)(2002.6.21更新)(2002.10.15更新)(2002.10.23更新) (2003.7.23更新)(2003.8.29更新) (2004.1.13更新) (2004.5.14更新) (2004.7.8更新) (2004.7.30更新) (2004.9.30更新) (2005.1.25更新) (2005.2.1更新) (2005.3.17更新) (2005.6.9更新) (2005.11.11更新) (2006.12.5更新)(2007.3.27更新) (2007.4.23更新) (2007.
本センタービジネスロー部門(2006年4月1日以前はビジネスローセンター)では、2002年度より公開講座を開講してまいりました。 2008年度も7回程度、開催します。この公開講座は、社団法人商事法務研究会・経営法友会のご協力を得て開催しておりますが、2007年度からはJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)のご支援をも得て開催しています。 学生のみなさんが身近にビジネスローと接する機会を増やしたい。この講座は、 このような願いから開講されるものです。そして、その内容は企業法務に携わる方々にも 有益と思われますので、それらの方々も歓迎し、社会に開かれた講座とします。 ※本公開講座は、第11回(2003年9月)から第45回(2008年3月)まで、東京大学21世紀COEプログラム 「国家と市場の相互関係におけるソフトロー」との共催で行われました。 ※本公開講座講演中の録音、写真・ビデオ撮影等は一
恥ずかしい話だが、私は近代日本史について――ましてそれ以前の時代についてはなおさら――あまりまともに勉強したことがない。関心がないわけではなく、むしろ非常に大事なテーマだと感じてはいるが(1)、何分にもあまりにも研究史が厚いので、恐れをなして、敬して遠ざけてきたというのが実情である。たまに、いくつかの関連書を読んで啓発されることがないわけではないが(2)、これまでのところ、それは至って断片的・非系統的なものにとどまっている。 そういう中で、ともかくも多少は近代日本史について基礎知識を得ておこうと考えて、非専門家にも読みやすそうに見える本書をひもといてみた次第である。近代日本史についてきちんと勉強したことのない私は、著者である三谷博についても、名前だけはずいぶん前から知っていたが、著作を読んだことはこれまでほとんどなかった。近年では、いわゆる歴史教科書問題に関連して活発に社会的発言をしている
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This is the Homepage of Daniel H. Foote (ダニエル・H・フット)
平成20年3月末をもって退職される法学政治学研究科・中山信弘教授の最終講義を下記の要領で開催いたしますので,ご案内申し上げます. 日時:2008年1月22日(火)午後3時から午後4時40分 テーマ:「知的財産法研究の回顧と将来への課題」 場所:東京大学本郷キャンパス法文2号館31番教室
私は5、6年ほど前から多言語社会研究会のメンバーになってはいるが、あまり真面目な会員ではなく、どことなく「余所者」意識が抜けない。そのような者が大会の場で「講演」なるものを行なってよいのだろうかというおそれのようなものを感じる。しかし、せっかく大会企画者によって機会を与えられたので、いわば「風変わりな会員」による「異端の問題提起」のようなものをさせていただき、ご批判を受けて、対話と討論のきっかけとすることができればと期待している。 そこで先ず、どういう意味で「風変わり」で「異端」の会員なのかということを説明しなくてはならない。第1は単純なことで、私は若い頃からずっと言語学に憧れていたが、それは漠然たる憧れにとどまり、実際には言語学も社会言語学も本格的に学んだことはない。また語学の才能に乏しく、多数の言語をマスターしているわけではない。多数の言語を操ることのできない者が「多言語社会」について
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