昭和後期、全国各地に整備されたニュータウン。その興亡盛衰の決め手はなんだろうか? 今回は「鉄道」という観点に着目して考えたい。 本稿では、東京近郊のニュータウンとして開発された「多摩ニュータウン」と大阪近郊のニュータウンとして開発された「千里ニュータウン」を取り上げる。 2015年から現在までの人口推移を確認すると、千里ニュータウンはおよそ5000人の増加(※1)、多摩ニュータウンはおよそ3000人の減少(※2、3)となっている。 多摩ニュータウンの鉄道事情を振り返ると、1974年、小田急電鉄が多摩線の新百合ヶ丘駅―小田急永山駅間、京王電鉄が相模原線の京王よみうりランド駅―多摩センター駅間を開業させた。 これら2路線は多摩ニュータウンの足になることを前提に計画されたわけだが、その開業は「陸の孤島」とも呼ばれたニュータウンの一次入居から約3年も遅れていた。 東西を代表する2つのニュータウンを