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その人には3つの名前がある。3つの言葉を話す。日本、朝鮮、ロシアの狭間で翻弄されながら、90年を超える時間を生きてきた。 彼は、サハリン島で生まれた。 写真:金サジ(以下同) 1934年に日本時代の樺太(サハリン島南部)で生まれた白石基(ベク・セッキ)さんは、一人の朝鮮人として、大日本帝国とソ連の両方を少数者として生き、それぞれの崩壊をその内側から目にした。 2001年にはサハリンから韓国へと「永住帰国」し、現在は安山(アンサン)の「コヒャンマウル(故郷の村)」という集合住宅で暮らしている。 前編では、両親が朝鮮から樺太に渡った経緯、日本時代の小学校と戦争、ソ連時代への移行と朝鮮学校での経験が語られた。 「僕はサハリンの人」 ・前編|彼に日本語で話が聞ける理由 ・中編|家族がいない男たち(本記事) ・後編|故郷から遠く離れて この中編では、主に1950年代、つまり石基さんが10代後半から2
その人には3つの名前がある。3つの言葉を話す。日本、朝鮮、ロシアの狭間で翻弄されながら、90年を超える時間を生きてきた。 彼は、サハリン島で生まれた。 写真:金サジ(以下同) この聞き取りは貴重な記録だと思う。 「僕はサハリンの人」 ・前編|彼に日本語で話が聞ける理由(本記事) ・中編|家族がいない男たち ・後編|故郷から遠く離れて 日本、朝鮮、ロシアが重なる島 2024年、私は韓国の安山(アンサン)という街で白石基(ベク・セッキ)さんに出会った。 石基さんは、植民地期の朝鮮からウラジオストクを経て、日本時代の「樺太」に船で渡った両親のもと、1934年の夏、上敷香(現・レオニードヴォ)近くの「山奥」で生まれたという。 日露戦争の講和条約である1905年のポーツマス条約以降、大日本帝国はサハリン島の南部(北緯50度線以南)を領有した。「内地」から樺太への移民はどんどん増加し、アイヌやニヴフ、
北海道・日高地方の浦河町には、2010年代以降の競馬市場の再成長と人手不足を背景に、競走馬育成に従事するインド出身の男性が数多く住んでいる。 彼らの多くは単身で、牧場近くの寮などで暮らしている。 前編記事:北海道浦河町のインド人(1)故郷を離れ、日本で競走馬を育てる人たち 浦河での仕事が長期化する中で、最近では、故郷のラジャスタン州やビハール州から妻や子どもを呼び寄せるケースも出てきている。浦河で生まれた子どもも少なくない。 実際に、私たちもそんな女性や子どもたちにお会いすることができた(2025年2月末に取材、以下肩書などは当時)。 女性と子どもたち ドゥルガ・カンワールさん。写真:田川基成(以下同) ドゥルガ・カンワールさん。昨年来日し、今は2階建てアパートの一室で夫と二人で暮らす。インド西部ラジャスタン州のジョードプル生まれで、結婚前は小学校の先生だったという。 5年前に浦河に来た夫
北海道の南部に突き出た襟裳岬から、西へ車で約1時間の距離に位置する浦河町。背後には日高山脈、目の前には太平洋が広がる風光明媚な土地柄だ。 浦河町を含む日高地方は、北海道の中では比較的温暖な地域で、近隣の新ひだか町や新冠町などとともに、サラブレッドなど軽種馬の主要な生産地として知られる。 東京23区よりも面積の大きな浦河町。競走馬の生産牧場や育成牧場が数多く見られる。写真:田川基成(以下同) 人口約1万1千人の浦河町では近年、外国籍の住民が増えているという。直近では600人に迫り、全体の5%超となった(2025年8月末現在)。全国平均の約3%を上回っている。 その大半を占めるのがインドから来た男性たちだ。インド西部のラジャスタン州や東部ビハール州の出身で、故郷での経験を活かしながら、浦河町の各牧場に所属し、競走馬の育成に携わっている。 かれらが日高地方で働くようになった背景には、競走馬の育成
埼玉県川口市とその周辺で暮らすトルコ国籍のクルド人の人々に対し、その存在を否定し、社会から排除するようなヘイトスピーチがここ数年、拡散しています。 一口に「クルド人」と言っても、自国での迫害から逃れて日本で難民申請をしている人、在留資格を得て事業を営む人、日本で生まれ育った子どもたちと、その状況はさまざまです。しかし、一部の議員や「有識者」までもが、クルド人を一括りにして「難民ではない」などと批判しています。 出入国在留管理庁(入管庁)は難民申請中のクルド人を含む非正規滞在者を「ルールを守らない外国人」と位置付け、「国民」に不安を与える存在として削減を目指す「ゼロプラン」を今年5月に発表し、規制強化に乗り出しました。7月からは強制送還が加速し、日本社会に根を下ろし学校に通う子どもがいる家族までトルコに送還されています。 クルド人の中には、複数回の難民申請を通じて非正規滞在状態になっている人
横浜市鶴見区。横浜市北東部の東京湾岸に位置し、北側で川崎市とも接するこの街では、歴史的に沖縄やブラジルなどから移住する人々が多く暮らしてきた。 鶴見の周辺に広がる東京湾岸の工業地帯 写真:田所瑞穂(以下同) 1968年にブラジルのサンパウロ市近郊で生まれ、1990年に来日して群馬県の工場で働き、現在は鶴見を拠点にNPO法人ABCジャパンを運営する安富祖美智江さんもその一人だ。安富祖さんの両親は沖縄本島の出身で、沖縄戦やアメリカによる占領統治を経験したのちブラジルに移住している。 この記事では、研究者で同法人の理事も長く務めてきた藤浪海さん(関東学院大学准教授)を聞き手に、安富祖美智江さんからご自身やご家族の歩み、鶴見で暮らしながら様々な国からの移民や子どもたちを支援するようになった経緯などをお話いただいた。 その物語は何度も海を越える。両親が生まれた沖縄、自分が生まれたブラジル、そして二人
「あー、こっちこっち!」。事前にいただいた自宅の住所を目指し、スマホで地図を見ながら歩いていると、遠くから聞き覚えのある明るい声が聞こえた。振り向くと、笑顔で大きく手を振るテンテンさんの姿が見えた。 ミャンマーで生まれたテンテンさんと出会ったのは10年ほど前、難民支援協会の活動を通じてだった。彼女は現在、医療通訳者として働きながら、日本から母国の民主化を求める活動も続けている。 テンテンさん。1973年生まれ。1998年に日本語学校の留学生として初来日。その後、2009年に難民認定を得る。現在は医療通訳者としてクリニックで勤務しながら、在日ビルマ市民労働組合(FWUBC)書記長として同胞の支援活動にも従事。夫と娘の3人で暮らす。写真:田所瑞穂(以下同) 今から4年前の2021年2月1日、ミャンマーで国軍によるクーデターが起きた。長い軍政時代を経てようやく実現した2011年の民政移管から、1
本記事では、「難民の送還とはなにか」ということと、現在会期中の国会で議論される見込み(2023年3月時点)の「入管法改正案」に含まれる、難民申請者の送還が一部可能になってしまうことが意味するものについてお伝えします。 難民にとって迫害のおそれがある本国への送還は命にも関することです。難民が適切に保護されていない日本の手続きには、国連をはじめとする各方面から課題が指摘されており、難民たちの支援に寄り添う弁護士からも、難民保護に向けた改善よりも送還可能な仕組みがすすむことの危機感が語られています。 当事者である難民の方々は言葉の壁や様々なリスクから声をあげられない方も多くいます。送還や法案について、一人ひとりが知ろうとしたり、疑問があればその懸念を示していただくことはとても大きなことだと思います。皆さんに、難民・難民申請者を送還することの危険性について考えていただけたらと思います。
難民支援協会の活動は、様々な背景から難民に思いを寄せ、関心を持ち続けてくださる方々に支えられています。寄付者として難民支援協会(JAR)の年次報告書にメッセージを寄せてくださった、ロックリー・トーマスさんもその一人です。 日本で10年以上教壇に立ち、国際的視野に立った日本史を教えるイギリス出身のロックリーさんに、ご自身の研究や難民に関心を寄せてくださった背景について、お話を伺いました。 *** ――ロックリーさんにJARの事務所で初めてお会いした時、難民の方への支援物資として、たくさんの食料品などと一緒に持ってきてくださったのが、ご著書の『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』『Yasuke: The true story of the legendary African Samurai)』でした。戦国時代に織田信長に仕えたアフリカ人の侍「弥助」に関する著作で、「難民の人にも読んでほしい。
ある人物が80年近くも前に「密航」していたとして、その事実をどうやったら知り得るだろうか。そのことを家族に語っていたら。あるいは、どこかに書き残していたら。 けれど、それが「密航」と名指される移動であるがゆえに、その経験は語りづらく、書きづらいものとなる。だからこそ、少ない例外を除いて、広くは語られず、書かれてもこなかった。 誰もが参照できる資料はと言えば、例えば1946年に日本の警察が2万人弱の「密入国者」を検挙した、そんな公的な記録。そこに「個」の姿はない。万の単位の「群」がいるばかりで。 写真:田川基成(以下同) 日本語で書かれ、1960年から61年にかけて発表された小説「密航者の群」を通読したことがある人は、これまで一体何人いるのだろう。三桁はいるだろうか。それとも二桁にとどまるだろうか。 私自身は、無名の作家・尹紫遠(ユン ジャウォン、1911〜64年)によるこの忘れ去られた作品
今日は大切なお知らせがあります。 2017年に立ち上げたウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』から初の書籍化となる『密航のち洗濯——ときどき作家』を出版します。 在日朝鮮人文学史などを専門とする研究者の宋恵媛(ソン へウォン)さんと私(望月優大、もちづき ひろき)が共同で長時間のインタビューや各種資料の調査に取り組み、写真家の田川基成(たがわ もとなり)さんと一緒に本書の主題にゆかりのある様々な場所(韓国=蔚山・釜山、日本=山口・東京など)をめぐりました。 その結果、この本ができました。 その「洗濯屋」は東京都目黒区の外れにあった (装画:木内達朗/装丁:小川恵子) 1946年夏。朝鮮から日本へ、男は「密航」で海を渡った。日本人から朝鮮人へ、女は裕福な家を捨てて男と結婚した。貧しい二人はやがて洗濯屋をはじめる。 蔚山、釜山、山口、東京——洗濯屋の「その後」を知る子どもたちへのインタビューと、わ
*本記事には同内容のポルトガル語版もあります(ニッポン複雑紀行で初の二言語記事の試みです)/ Segue o link do artigo em português. > 20 anos no Japão. O desafio de Shizuka Miyawaki que se acompanha as crianças que “crescem no Japão” 静かに増えていく「日本育ち」の子どもたち 名古屋市から北西30キロほどの位置にある岐阜県大垣市。 周辺には自動車関連などの様々な工場があり、1990年代前後からブラジルにルーツを持つ人々が暮らすようになった。 バブル景気に沸く日本社会は1990年施行の改正入管法でブラジルなどから日系人の受け入れを拡大し、その多くは工場での不安定な労働に組み込まれた。 写真:柴田大輔(以下同) その時代からすでに30年以上が経つ。 当然の帰結
これらは、難民支援協会(JAR)の相談者予約一覧のメモです。JARの現場には、世界約70か国から逃れてきた難民の方々からさまざまな相談が日々寄せられます。「難民として逃れてきた。助けてほしい」という相談だけではありません。多くの方は「今日泊まる場所がない、食事を取りたい」と命や健康が脅かされるレベルの相談事も抱えています。 JARが支援活動を通じて把握する限り1、来日した難民の生活困窮は難民申請者の急増などを背景に2010年代ごろから年々深刻化していきました。2020年の新型コロナウイルスの感染症の拡大により新規来日の相談者は一気に減りましたが、2022年秋からの入国制限緩和により状況は急変。この間、ひと月約600人の方がJAR事務所を訪れています。 現在、JARの支援活動は限界に近い状態です。他の難民支援団体、生活困窮者支援団体、宗教施設などさまざまな方々と連携や相談をしながら、なんとか
ここは「いくのパーク」。 外国籍住民が全体の2割を超え、その割合が日本で最も高い大阪市生野区にできた、多文化共生の拠点となる新しい複合施設だ。 100年近い歴史の末に閉校した大阪市立御幸森(みゆきもり)小学校の跡地をいかし、今年5月にグランドオープンした。 すぐ隣にある大阪コリアタウンには、年間200万人もの人々が訪れるのだという。 写真:田川基成(2022年10月撮影、以下同) 昨年10月末のプレオープンイベント「いくの多文化クロッシングフェス2022」のステージでは、筋原章博生野区長がオリジナルのラップを歌った。 筋原区長「今日ここに来ておられます、御幸森連合町会長の宮崎隆志さん。御年77ですけど、ラップの歌詞を書かれて」 「若い子に歌ってほしいねんということで、『区長、これラップの曲、誰かつけてくれへんかな?』と持ってきていただきました」 「それで、僕今、御幸森に住んでるんですけど、
<要旨>2023年3月7日、政府は入管法改正案を閣議決定した。2021年の通常国会に提出され、その後廃案となった法案から、実質的な修正は行われていない。日本の難民認定制度には様々な課題があり、難民として認定されるべき人が認定されず、複数回申請を行わざるを得ない実態がある。当会は、日本に逃れた難民の送還を可能とし、命や安心を脅かす法案に強く反対する。日本に逃れた難民を国際基準に則って保護するための包括的で公平な庇護制度の確立こそが、最優先で行われるべきである。 2023年3月7日、政府は「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する法律案」(以下「本法案」とする)を閣議決定した。本法案は、2021年の通常国会に提出され、その後廃案となった法案(以下「2021年法案」とする)を再提出するものである。 2021年法案に対
2023年3月7日 本日、「出⼊国管理及び難⺠認定法及び⽇本国との平和条約に基づき⽇本の国籍を離脱した者等の出⼊国管理に関する特例法の⼀部を改正する法律案」(以下「本法案」とする)が閣議決定されました。今後、国会での審議が行われることが予想されます。 本法案は、2021年の通常国会に提出され、その後廃案となった法案を再提出するものです。前回の法案に対して、当会を含む国内外から多くの問題点が指摘されました。しかし、再提出にあたって実質的な修正が行われることはなく、本法案が「日本に逃れた難民の保護や処遇の悪化につながる内容」であることには変わりがありません。当会は、日本に逃れた難民の送還を可能とし、命や安心を脅かす法案に強く反対します。 本来行われるべきは、日本に逃れた難民を国際基準に則って保護するための包括的で公平な庇護制度の確立です。本法案の成立でもなく、現行制度の維持でもありません。難民
私があなたに最初に語りかけた言葉で。「移民の子ども」に母語を伝える「継承語教室」の意味。#移住女性の声を聴く 「すごいです。本当にすごいです」 大阪大学特任教授の榎井縁さんは、尊敬と称賛の言葉を何度も口にした。東北各地で移民第一世代の親たちが取り組む「継承語教室」についてだ。 榎井縁さん。大阪大学大学院人間科学研究科特任教授。中学校教員、大阪市教育委員会相談員、とよなか国際交流協会の事務局長兼常任理事などを経て現職。専門は教育社会学。共著に『外国人の子ども白書』『公立学校の外国籍教員』『日本の外国人学校』など。 外国籍住民の割合が少ない東北各県には、少数の朝鮮学校などを除き、移民などのルーツを持つ子どもが母語や複数言語で学べる「外国人学校」「民族学校」「インターナショナルスクール」といった教育機関がほとんど存在しない。 そうした東北の逆境の中で、留学や日本人男性との結婚などを機に来日した移
東京都新宿区は外国籍住民の割合が全体の1割を超えており、東京23区の中でも最も高いことで知られる。 特に新宿駅の北側に位置する大久保周辺は集住地域で、区内で最多の外国籍住民が暮らす大久保2丁目ではその割合が3割超にも及ぶ。日本全体(2%強)と比べると10倍以上の割合だ。 大久保はコリアンタウンとして有名だが、コリアン以外のお店や日本語学校なども集積している。また、レストランやショップなど、大人が「働く場所」としての側面に目が行きがちだが、子どもを含めた「暮らしの場」としての側面も、そのすぐそばにある。 そんな大久保地域周辺で、多様なルーツを持つ子どもたちを20年近く支え続けてきた一人の女性がいる。NPO法人「みんなのおうち」代表の小林普子(こばやしひろこ)さん。 現在は、日本語と教科の両方を対象とする学習支援教室「こどもクラブ新宿」(小4〜中3対象)と、多目的の居場所「みんなのおうち」(主
お見合い結婚で女川に。ハルピン出身の杜華さん、夫の文男さんと振り返る20年間の道のり。#移住女性の声を聴く 東北各地には日本人男性との結婚を機に来日した「外国人結婚移住女性」が少なくない。1980年代ごろから始まった流れで、主に中国、韓国やフィリピン出身の女性たちが、農村や沿岸部など様々な地域で暮らしている。 宮城県女川町に暮らす紺野杜華(こんの とうか)さんもその一人だ。2003年の結婚後に来日し、水産工場での仕事や震災の経験を経て、現在は夫の文男(ふみお)さんと共に女川の街で料理店を営む。 関連記事:東北の男性と結婚した外国人女性たちの経験。「不可視化」の理由と託された言葉の数々。#移住女性の声を聴く 杜華さんは中国の東北部、ハルピンの出身だ。春の女川港を歩きながら「日本の東北の寒さはどうですか?」と尋ねると、マイナス30度にもなる故郷に比べればそれほどでもないと笑う。 二人が営む「中
東北の男性と結婚した外国人女性たちの経験。「不可視化」の理由と託された言葉の数々。#移住女性の声を聴く 東北地方の農村地域や沿岸部には、いわゆる「結婚難」や「嫁不足」を背景として、行政や事業者の仲介で日本人男性と結婚した外国人女性たちが数多く住んでいる。1980年代ごろに始まった動きで、中国、韓国、フィリピン出身の女性が大半を占める。 ときに日本語がままならない状態で結婚を決断し、都市部ではなく外国人の少ない地域にたった一人で飛び込んだ女性たち。彼女たちはどんな理由で日本で暮らすことを選び、その後どんな人生を送ってきたのだろう。 結婚生活はどうだったか。夫の両親や親族との関係はどうだっただろう。仕事のこと、子どものこと、お金のこと、地域のこと。東北各地に移住した女性たちはどんな経験をし、どんな時間を過ごしてきたのだろうか。 近年、結婚移住で新たに東北に来る女性の数は減少傾向にあり、日本で今
「自分のほうが助けられる側になるとは思ってもみませんでした」 仙台で暮らす裘哲一(チュウ ツァイ)さんは、昨年起きた突然の出来事を思い出していた。 仕事中にかかってきた電話。横浜での留学時代に知り合ったフィンランド出身の夫からだった。 「ちょっと目眩がするから病院に行ってくるわ」 そう話した2歳年上の彼に「車はやめてタクシーで行ってね」と答えた。それが、最後の会話になった。50代になったばかりの夫はそのあとすぐに意識を失い、2日後に亡くなった。 持病はあったものの、予想だにしない急な別れだった。傍らには高校を卒業したばかりの息子がひとり。「頭が真っ白」になった。 裘さんがまず連絡したのは仲間と一緒に立ち上げた中国出身女性たちのコミュニティだった。宮城華僑華人女性聯誼会。略して宮華女(みやかじょ)。 「宮華女の人に連絡したらみんな来てくれて。手伝ってくれて。日本の葬式に参加したのも一回二回ぐ
PDFファイル 3月3日の難民支援協会Twitter発信よりウクライナからの避難民の受け入れが日本政府によって表明され、就労可能な「特定活動1年」の在留資格の付与1や、省庁横断的な連絡調整会議2の設置などが発表されました。これまでにない迅速な意思決定で、日本に受け入れられたウクライナ難民が、長期的な見通しをもって日本で安心して暮らしていけるよう、包括的な定住支援が今後も検討されることを期待します。 同時に、現在日本には、様々な国や地域から紛争や迫害を逃れ、難民として保護を求めている人々がいます。今回のような保護の広がりを日本における難民受け入れの基盤ととらえ、難民認定制度の改善や、庇護を希望する全ての人を包括した支援制度の確立につなげる必要があります。 昨年度、難民支援協会が支援を行った難民の出身国は50以上にのぼります。2021年、アフリカだけでも複数の国でクーデターや紛争が発生したこと
更新しました(2025/7/30) 「難民ってどんな人?」「なぜ日本に来るの?」「治安との関係が気になる…」など、難民に関してよく聞かれる質問。ここでは、難民に関する事実(ファクト)や支援活動を通じて見える現実、難民支援協会の視点を、まとめました。 終わらない紛争や変化がめまぐるしい社会状況に対し、難民に対する共感や何とかしたいという思いもあれば、漠然とした不安や疑問もあるかもしれません。日本に逃れてきた難民のよりよい受け入れを改めて考えるために、ご覧ください。 1. 難民ってどんな人のこと?難民とは、紛争や人権侵害などから自分の命を守るためにやむを得ず出身国を追われ、逃げざるを得ない人たちのことです。 迫害の理由や出身国はさまざまです。民主化活動への参加、宗教の改宗、性的マイノリティであることなど、一人ひとり異なる背景があります。難民となる前は、食べたり寝たり、働いたりする当たり前の日常
以下の文書は当初2021年12月22日に発表しましたが、2022年1月13日、追加意見を記載するとともに、表明団体として2団体を追加しました。 2022年1月28日に賛同団体を追加しました(2月1日掲載)。 PDFファイル 2021年12月22日 (2022年1月13日追加・修正) (2022年1月28日賛同団体追加) 認定NPO法人 難民支援協会 RAFIQ(在日難民との共生ネットワーク) NPO法人 名古屋難民支援室 2021年12月21日、出入国在留管理庁(入管庁)より「現行入管法上の問題点」と題する資料(以下「本資料」とする)が公表されました。2021年の通常国会で成立が見送られた「出⼊国管理及び難⺠認定法及び⽇本国との平和条約に基づき⽇本の国籍を離脱した者等の出⼊国管理に関する特例法の⼀部を改正する法律案」(以下「入管法改正案」とする)の再提出が報じられる中、法改正の必要性を訴え
世界には、性的マイノリティの人々を処罰の対象としている国々が存在しています。2020年12月時点で、同性の成人の間での性行為を犯罪として刑罰の対象としている国は世界に69か国あり、そのうち6か国では刑罰として死刑が規定されています6。 たとえばイランでは、2019年に同性間の性行為を行った罪で、31歳の男性に対し公開で絞首刑が執行されています7。こうした国はアフリカ、中東地域に多く見られますが、アジア・カリブ海地域などにもあり、その数が減る傾向にあるとは言えない状況が続いています。 異性装など、「ジェンダー規範に反する」とされる服装や行為を刑罰の対象とする国もあります。モーリタニアでは、2020年にソーシャルメディアに投稿された異性装の動画が同国での最初の「同性間の結婚式」の様子としてマスメディアで報じられ、10名が逮捕されました。実際には同性間の結婚式ではなく誕生日パーティーの様子であっ
2021年8月17日 NPO法人 名古屋難民支援室 RAFIQ(在日難民との共生ネットワーク) 認定NPO法人 難民支援協会 2001年9月11日の米同時多発テロ後、米国政府はアフガニスタンへの攻撃を開始し、その後米軍を駐留し続けていましたが、今年5月1日から駐留米軍が撤収を開始すると、反政府武装勢力・タリバン1が各地で勢力を拡大、8月16日タリバンは首都カブールの大統領府を掌握、政権奪還を宣言したと報道されています。2 現状を受け、日本で難民支援を行う私たちのもとには、日本国内外のアフガニスタン人からの相談が相次いでいます。日本で難民申請中の方からの今後に対する不安、大学を卒業しても帰国できないと訴える留学生、アフガニスタンにいる家族を救う方法を模索している日本に暮らすアフガニスタンの方、アフガニスタンにいる方々からも、どうにかして助けてほしい、日本を含む他国に避難させてほしい等の相談が
※ PDF版はこちら メディア関係者各位 認定NPO法人 難民支援協会 オリンピック選手等の庇護希望に関して東京オリンピック・パラリンピックのため来日している選手等が、自国からの迫害等を理由に、日本や他国での保護を希望されることがあります。これらの方々が適切に保護されるため、メディア関係者の方々には、以下の観点を踏まえ、難民保護の妨げとならない取材・報道をお願いいたします。 庇護希望に関する取材・報道によるリスク 庇護の希望が明らかになることで、本国で本人や家族に迫害のおそれが高まる可能性がある。メディアが注目し取材することで、難民申請自体が困難になることがある。 これらのリスクから取材・報道において、以下の対応をお願いいたします。 個人が特定される形で、選手等の庇護希望について報道しないこと選手等が庇護を希望していることがメディアを通じて本国に知られることで、本人が帰国後に迫害を受けるお
その日は朝から大雨だった。2019年11月24日。長崎では、多くのカトリック信者たちが雨ガッパを羽織ってフランシスコ教皇の到着を待ち侘びていた。ローマ教皇として38年ぶりの来日。前日の夕方に羽田に到着した教皇は、翌朝のフライトで最初の訪問地である長崎へと降り立った。 その後、車で長崎市内に入った教皇は、最初に爆心地公園で核廃絶を訴え、次いで豊臣秀吉によるキリシタン弾圧が行われた西坂の丘でも演説を行った。そして昼ごろ、「パパ様」は長崎県営野球場に現れた。3万人が集う巨大なミサ。いつの間にか、雨は上がっていた。 多くの日本人信者に混じって、ミサにはベトナム人の若い妊婦も参加していた。技能実習生のマイさん(仮名)。マイさんは21歳だった2年ほど前に来日し、熊本県の工場で実習生として働き始めた。そのうち熊本市内の教会にも通うようになり、そこで知り合ったほかの信者たちと一緒に長崎を訪れることになった
今、日本で働く技能実習生は40万人弱にのぼる。2011年には14万人だったから、たった10年で3倍近くに増えた。 かつては中国出身者の割合が圧倒的だったが、2010年代を通じてベトナム出身者がおよそ半数を占めるまでに急増した。妊娠のことを誰にも言えず、孤立出産での死産の末に起訴されたリンさんも、そのうちの一人だ。 【前編】彼女がしたことは犯罪なのか。あるベトナム人技能実習生の妊娠と死産(1) 熊本の農園で働く技能実習生のリンさんは、強制帰国を恐れ、妊娠を誰にも言えず、部屋で一人、双子を死産した。出血も多く、恐怖と混乱の中で、一日部屋にいた。それが犯罪だとして21歳の彼女は起訴されてしまう。彼女がしたことは本当に「犯罪」なのか? 技能実習生と聞くと男性労働者のイメージのほうが強いかもしれない。だが、実際にはその4割以上を女性が、そして8割近くを10代と20代が占めている。30代まで含めれば9
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