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2018年4月17日のブックマーク (3件)

  • 無神論者になった私が、フェミニストとして居心地が悪い理由 - wezzy|ウェジー

    信仰とフェミニズム 前回の連載では魔女や女神信仰とフェミニズムをとりあげ、個人的に魔女は素晴らしいと思うけれども、ついていけないところがある……という話をしました。今回はその対極にあると言っていい、無神論について書いきたいと思います。無神論も女神信仰も、西洋においてキリスト教的モデルへの対抗文化としてとらえられているという点においては似たところがあり、無神論者が女神を研究している場合もあったりするのですが(大著『神話・伝承事典 失われた女神たちの復権』を編纂したバーバラ・ウォーカーは無神論者です)、思想的にはこの二つは大きく異なります。 フェミニズムはもともと、宗教を理由とする抑圧に対して極めて批判的です。とくにユダヤ教、キリスト教、イスラームなどのアブラハムの宗教は家父長制的で、女性抑圧のもとになっていると考える人は多くいます。その中には、宗教が女性に対する抑圧になるのは腐敗した宗教組織

    無神論者になった私が、フェミニストとして居心地が悪い理由 - wezzy|ウェジー
  • フェミニストの私が、魔女になることを諦めた理由 - wezzy|ウェジー

    人生唯一の後悔 私はフェミニストになったことを後悔したことは一度もありません。いつもフェミニストになって良かったと思っています。しかしながら、どういう種類のフェミニストになるかについては、ちょっと後悔していることがひとつあります。それは、魔女にならなかったことです。 「いったいこいつは何を言ってるんだ」と思うかもしれません。実はフェミニストの中には、魔女とか女神など女性のパワーを象徴する存在を信仰するスピリチュアルなフェミニストと、無神論とか唯物論、科学をもとにゴリゴリに宗教を批判するフェミニストがいます。そしてこの間には、大変な違いがあります。 こういう感じでふたつの系統を並べる表現にはフェミニズムでも先例があり、カリフォルニア大学サンタクルーズ校の研究者ダナ・ハラウェイは有名な「サイボーグ宣言」で「女神よりは、サイボーグになりたい」と言っています(この文章を読んで以来、私は実は全ての女

    フェミニストの私が、魔女になることを諦めた理由 - wezzy|ウェジー
  • WEBアニメスタイル COLUMN ■「編集長のコラム」 小黒祐一郎  第20回「平和の戦士は死なず」

    僕が、白黒版『サイボーグ009』(今回は、TV第1シリーズを「白黒版」と書く)に出逢ったのは、77年の暮れに発行された「マンガ少年」の増刊「TVアニメの世界」だった。いや、勿論、小学校に上がる前に、白黒版『009』をオンエアで観た事はあったのだけれど、それはあくまでカッコいいヒーローが活躍する「TVマンガ」として観ていたに過ぎなかった。作品としては観ていなかったのだ。 「TVアニメの世界」というについては、いずれ改めて書きたいと思う。アニメに関する情報がほとんどなかった当時としては、びっくりするくらいに中身の濃いだった。そので、白黒版『009』は『宇宙戦艦ヤマト』や『科学忍者隊ガッチャマン』と並ぶ人気作として取り上げられ、名作と呼ばれる第2話「Xの挑戦」の脚が採録され、なんと全話の粗筋まで掲載されていたのだ。サブタイトルを見ただけでも「悪魔は夜歩く」とか「悲劇の獣人」とか「復讐鬼」

    soylent_green
    soylent_green 2018/04/17
    “■「編集長のコラム」 小黒祐一郎 第20回「平和の戦士は死なず」”