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ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (20)

  • 誰が都知事を選ぶべきか - on the ground

    進学について激励を頂いた方々、改めてありがとうございました。さて、ごく個人的なことをいつまでも最新記事に掲げておくのはどうも気恥ずかしいので、最近考えたことを簡単に。 以前「私たちはなぜアメリカ大統領を選べないのか」といった論点について述べたことがあります。アメリカ大統領は世界大の影響力を持っているのだから、その選挙権はアメリカ国民に限られるべきではないという考え方ですが、多くの人にとって流石にこれは随分突飛な話に聞こえることでしょう。いくら何でも住んでもいない国のトップを選ぶ権利なんて…と(では住んでいる国ならどうか――となると、これは定住外国人の参政権についての話になりますが)。 さてでは、先般選挙が行われたばかりの都知事について、同じ考え方を(よりマイルドに)適用した場合にはどうでしょう。言うまでもなく、東京都には(わざわざ別に「首都圏」という言葉があるほど)近隣他県から多数の人々が

    誰が都知事を選ぶべきか - on the ground
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2011/04/14
    コメントした。加重投票制度はオモチロイと思うんだよね−。一人一票って、なんかイデオロギーっぽい気がする。
  • リバタリアンな制度は児童虐待を解決するか - on the ground

    最近、世間では児童虐待の問題が大きな注目を集めている。こうした時勢を受けて、リバタリアニズム・ジャパン・プロジェクト(LJP)のサイトに相次いで興味深いエントリが挙がっている*1。リバタリアン経済学者として知られる蔵研也氏は、「児童保護警察(NPO)が必要だ」と題する記事で、虐待被害を受けている児童を保護するための案として、親権者の住居に無断で踏み込むことも辞さないような過激な「児童保護NPO」の活動と、「警察の分割・民営化」の2つを挙げている。この提案に対してanacapさんは、「子供売買を合法化しよう」と応じている。いずれも相当に刺激的・挑発的な議論である。 これらの提案に対して、強い反発を覚える向きも少なくないだろう。だが私自身は、これらが検討にも値しないような類の暴論だとは思わない。かといって賛成するわけでもない。どれだけ、そしてどのように値するのか、順に検討しよう。 とはいえ、そ

    リバタリアンな制度は児童虐待を解決するか - on the ground
  • フランス自由主義の両義的位置――三浦信孝編『自由論の討議空間』 - on the ground

    三浦信孝編『自由論の討議空間――フランス・リベラリズムの系譜』勁草書房、2010年 「フランス自由主義」なる言葉遣いは,聞く人を怪訝にさせるかもしれない.まるでそれは語義矛盾であるかのように,「フランス」と「自由主義」が寄り添って私たちの会話の中に座るのは稀な出来事である.「ドイツ」「ロシア」「日」といった語との距離はそれ自体として測られる必要があるとしても,「自由主義」はいつも「イギリス」と,あるいはやや違った相貌を備えた“Liberalism”として,「アメリカ」の語と同席してきた.対して,「フランス」の語には「自由主義/Liberalism」よりも,「民主主義」や「共和主義」が結び付けられることが常であった. 「フランス・リベラリズムの系譜」を副題に持つ書は,このように祝福されてこなかった交際について,その馴れ初めと道程を,個々の思想家に即して語ろうとする営みの収穫である(200

    フランス自由主義の両義的位置――三浦信孝編『自由論の討議空間』 - on the ground
  • リバタリアニズムとは何か - on the ground

    最近、NHKで放送されているマイケル・サンデル氏の講義と、それに並行した宮台真司氏の「解説」によって、リバタリアニズムへの関心が一部で高まっているように見えます(見えるだけかもしれません)。 「【追補しました】リベラリズム・コミュニタリアニズム・リバタリアニズムについてのtwitterまとめです」@MIYADAI.com Blog 「米国におけるリベラリズムとリバタリアニズムのルーツ」@MIYADAI.com Blog 上のように展開されている宮台説を総合的に検討することは私の手に余りますが、サンデル講義や宮台氏のtweetを経由してリバタリアニズムに興味を持った人にやサイトを紹介することぐらいはできますので、以下ではそれをします。 リバタリアニズムの入門書としては、森村進『自由はどこまで可能か』が既に定番になっていると思います。2001年に出たですが、比較的最近にfinalventさ

    リバタリアニズムとは何か - on the ground
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2010/06/08
    倫理的リバタリアニズムは好きです。倫理的に自由であるためには、社会的な再分配は必須だと思うけど。
  • リスク社会における公共的決定2――「トンデモ」批判の政治性と政治の未来 - on the ground

    今日は少し、色々な文脈を縫い合わせるようなお話をしてみたいと思います。例によって長いですが、ご関心の向きはしばしお付き合い下さい。 1.立場で争うことの不毛 あなたは、目指している方向性や考えそのものは大して違わないのに、感情的対立や形式的な事柄(手続き、名称、身分、肩書き、…)に発するい違いなどのため、相手との合意に結び付かない、といった経験をしたこと(あるいは見聞きしたこと)は無いでしょうか。友人や恋人との間で、家庭で、学校で、職場で、地域で、複数の人が何らかの関係を取り結んで事にあたろうとする場面において、これは往々にして発生する事態であると思います。「合意など必要無い」と独力で目的を達成できる人であれば問題ありませんが、多くの人にとっては、広く合意を取り付けておくに越したことはありません。 円滑な合意形成を図るにはどうしたらよいか。この点について研究を行っている交渉学では、「立場

    リスク社会における公共的決定2――「トンデモ」批判の政治性と政治の未来 - on the ground
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2010/03/26
    僕はとりあえず好意的にざっと読んだ。要精読。火種になりそうでオモチロイな。
  • 「セックスの社会化」は可能か? - on the ground

    前エントリに対する反応は、目に入る範囲では相対的に批判的なものが多いかな。ブックマークでのコメントにお答えすることは普段無いんですが、「批判を歓迎する」とわざわざ書いたことだし、たまにはやってみましょうか。 (1)まず、性欲が三大欲求の一つというのは、話の導入として俗説に乗っかってみただけですよ。よっぽど「根拠不明」とカッコ書きしようかと思ったけど、わざわざ必要無いと判断しました。だいたい、「三大〜」とかいう類の呼称である時点で、科学的根拠を論じるレベルの話じゃないでしょう。生活感覚の話です。 問題なのは、「我慢しても死なない」からといって「必要」から除外してもいいという論理をもし仮に採用してしまうと、社会政策の範囲は恐ろしく切り縮められてしまうということで、その点は注意すべきでしょう。 (2)関連して、例えば名誉欲のような他の様々な欲求も社会が手当てすべきなのか(そんなことしたらきりがな

    「セックスの社会化」は可能か? - on the ground
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/12/15
    いろいろとなるほど。「自分の愛する女性がセックスへの欲求を満たすために他の男に身を委ねるという状況を受け入れる」ことは僕にはまったく無問題。性病と妊娠は困るけどな。
  • セックスは自己責任でよいのか――性のケイパビリティとセックスワークの原則自由化を考える - on the ground

    このブログでセクシュアリティの問題を扱ったことは、あまりない。採り上げるほどの興味を持っていないということもあるが、セクシュアリティについて語ると、多かれ少なかれ個人的経験と結び付けて考えざるを得ない部分が必然的に出てくるので、ややためらわれるということが大きい*1。ただ、以前から考えていることはあるので、一度まとめて書いておくのもいいだろう。多分に問題提起的な性格の記事で、ほとんど何も調べずに書くことになるので、ツッコミどころは多いかもしれない。批判は歓迎するが*2、十分にお返事できるかどうかはわからないので、悪しからずご了承あれ。 人間の三大欲求は欲・性欲・睡眠欲だとよく言われるが、欲や睡眠欲の充足は社会的な手当てが必要だと考えられているのに対して、性欲の充足は倫理学や社会政策が問題にする人間の基的「必要need」からも除外されていると言っていい。これは実に深刻な問題である。とに

    セックスは自己責任でよいのか――性のケイパビリティとセックスワークの原則自由化を考える - on the ground
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/12/09
    だいたい同意できるが、臓器売買とは区別したい。http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090215/1234628271 /「♀を獲得する」ことに価値をおく男性ジェンダーをなんとかすることが必須の論ではある。だが、そこがよい。
  • 「一般意思2.0」の勘所、あるいは「データベース民主主義」の理論的位置 - on the ground

    私の論文などに興味がある人はごく少数でしょうから、ブログマターに戻って先日の話を続けましょう。 デモクラシーについての私の理論的立場は既にお話したので、今回は東的デモクラシー論が持つ可能的意味にグッと焦点を絞りたいと思います。東さんは「朝生」終了後から、ご自身のツイッターで自らが構想する新たなデモクラシー像について断続的に説明していらっしゃいます。その中で、「データベース民主主義」こそ自分が意図するところだと語っておられる。ほとんど鈴木謙介さんの言う「数学的民主主義」の言い換えですが*1、私の考えでは、これは同時に「データベース全体主義」とも言い換えられます。 早とちりしないで下さい。全体主義だから悪いと言いたいのではありません。現代社会では「良い全体主義」が可能になっているのではないか(それに抵抗すべきか否か)、といった議論は、社会思想分野におけるトレンドになりつつあります*2。全体主義

    「一般意思2.0」の勘所、あるいは「データベース民主主義」の理論的位置 - on the ground
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/11/02
    これなら、マザーコンピューターによる統治も民主主義ということになる。パターナリズムと市民的公共性の問題にも絡みそう。
  • ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム――Stakeholder Democracyという解 - on the ground

    私はリアルタイムで見ていたのですが、昨日の『朝まで生テレビ』に出演した東浩紀さんが、「インターネットがある現代なら、5〜10万人の規模でも直接民主政が可能だ」と力強く語っていました。この発言は、これまで彼が展開してきた一連の議論の延長線上にあるものなので、彼の読者にとっては特段新鮮な印象を与えるものではありませんが、その内容が刺激的なものであることは確かです。 過去に何度か採り上げているように、デモクラシーの新たな形についての東さんの提起に対して、私には賛成できるところとできないところがあります。明確に賛成できるのは、私たちが置かれている「ポストモダン」という社会状況についての認識と、「政治的意思決定の仕組みというものを原理的なところから考え直してみる必要がある」との問題意識に対してです。「ポストモダン」なる社会認識については、昨年「現代日社会研究のための覚え書き」と題したシリーズ記事で

    ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム――Stakeholder Democracyという解 - on the ground
  • 暴力の定義について - on the ground

    http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20091008/p1 「文化的暴力」というのは概念的には半端で、無くてもいいものだと思う。政治的には重要なんだろうが。 それにしても、「暴力」の語に反発を覚える人は多い。以下はまず、ご参考までに。 「暴力とは何か」(2008年6月15日) この記事で引用されている箇所の前段も少し長めに引いておく。 それでは、再び「暴力violence」についての議論に戻ろう。管見の限り、暴力概念についての厳密かつ独立した定義として検討に値するのは、ほとんどJ.ガルトゥングによる定義しかない。ガルトゥングによれば、暴力とは、「可能性と現実の間、すなわち、可能であったことと今ある状態との間の差異を生じさせた原因」である。すなわち、「暴力が存在するのは、人々が実際に肉体的・精神的に実現したものが、彼らが潜在的に実現し得たものより低水準になるような形

    暴力の定義について - on the ground
  • ステークホルダー民主主義の射程 - on the ground

    濱口桂一郎『新しい労働社会』の末尾近くでは、目指すべき方向性として「ステークホルダー民主主義」への言及が見られる。まだ全体をきちんと読めていないので、書評ということではないが、これは一応私の専門に属することなので、備忘がてら思うところを書き留めておきたい。 新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書) 作者: 濱口桂一郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/07/22メディア: 新書購入: 18人 クリック: 401回この商品を含むブログ (84件) を見る 私の知る限り、日で「ステークホルダー民主主義」なる言葉を使っての議論の蓄積はほとんど無い。海外でも、“stakeholder democracy”や“stakeholder society”について語られている事例は若干存在するものの、いずれもあまり突っ込んだ議論とは言えない*1。これまで当ブログでは、「現代日

    ステークホルダー民主主義の射程 - on the ground
  • 各党マニフェストから教育政策を比較する - on the ground

    8月30日の総選挙に臨む各党のマニフェストが出揃ったところで、子育て・教育・科学政策に絞って各党の公約を比較してみたい。資料は以下を用いる(いずれもYushisya.Blogから)。 「教育資料採集・特別版no.1――2009.8.30総選挙マニフェスト(1)自由民主党」 「教育資料採集・特別版no.2――2009.8.30総選挙マニフェスト(2)民主党」 「教育資料採集・特別版no.3――2009.8.30総選挙マニフェスト(3)公明党」 「教育資料採集・特別版no.4――2009.8.30総選挙マニフェスト(4)日共産党・社会民主党」 「教育資料採集・特別版no.5――2009.8.30総選挙マニフェスト(5)国民新党・改革クラブ・みんなの党・新党日・幸福実現党」 なお、ここでは「比較」をするのみで、詳細な「検討」や明確な「評価」は行わない。現在の私には、それをするために十分な能力

    各党マニフェストから教育政策を比較する - on the ground
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/08/10
    ありがたいまとめです。"情報を公開し、批判と評価に開かれることが、統治を担うにあたっての大前提だ。"うん、民主のここはちゃんと評価せんとね♪
  • 現代日本社会研究のための覚え書き――親密圏/人権(第2版) - on the ground

    連載目次 第1版 女性の権利と公私の分離 近代化を支えた主要な思想は、人権の観念である。アメリカ独立戦争やフランス革命など、18世紀以降の政治変革の中で、ヨーロッパの幾つかの国では、「普遍的」な人権が市民の手に獲得されていった。だが、そこで人権の主体となった「人間」の範囲には、女性は含まれていなかった。人権思想が定着していくにつれて女性の不満も高まり、19世紀後半から女性の地位向上を主張する社会運動が盛り上がってくる(第一波フェミニズム)。この時期の運動の主要な眼目は、男性と同等の法的地位を女性にも承認させることであり、具体的には参政権や財産権を女性にも拡大することが要求されていた。やがて1893年にニュージーランドで女性参政権が認められたのを皮切りに、20世紀前半には欧米各国で女性が政治に参与する道が開かれていく(1917年にソ連、20年に米国、28年に英国、44年にフランスで女性参政権

    現代日本社会研究のための覚え書き――親密圏/人権(第2版) - on the ground
  • いじめの構造 - on the ground

    いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書) 作者: 内藤朝雄出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/03/19メディア: 新書購入: 37人 クリック: 550回この商品を含むブログ (71件) を見る なぜいじめが起こり、エスカレートするのかについてのメカニズムを理論的に解き明かした良書。著者独自の概念が頻出することもあり、一般読者向けとしては歯応えのある方だが、内容はとても刺激的。 個人や集団の心理や行動が物理的・制度的な環境によって多分に構築されることを豊富な事例とともに解説しながら、「生態学的設計主義」の善用によっていじめを防圧することが可能であると説く。 狭義のいじめ研究を踏み越えて、教育制度全体の再設計や集団一般の全体主義的暴走のメカニズム解明にまで進んでおり、その射程は広い。提案されている個別の施策については吟味の余地があるとしても、著者の個人史にも踏み込

    いじめの構造 - on the ground
  • 投票自由論――選挙など行っても行かなくてもいい - on the ground

    昔、「選挙へのエゴイズムの見解(試論)」というものを書いた。次の衆議院議員選挙がいつになるのか分からないが、選挙における有権者の行為/不行為に伴う責任について、改めてまとめた確定版を書いておきたい。 デモクラシーの精神に忠実であることを自負する人々は、有権者がその権利を行使することは議論の余地無き「善きこと」であるかのように、投票を勧める。他方、アナーキストの多くは、投票行為そのものが現行の政治体制と国家権力を承認し、生き長らえさせるものであるとして、選挙への不参加を呼び掛ける。 しかしながら、選挙に行こうが行くまいが、それは自由である。ここで自由であると言うのは他者から責めを受けるいわれは無いということであり、それは現在の行動についても、その将来に生ずる帰結についても同様である。そしてこれは、民主政を支持するか否か、民主主義を支持するか否か、どのような民主主義を支持するか否か、などの問題

    投票自由論――選挙など行っても行かなくてもいい - on the ground
  • 刑法39条について - on the ground

    もう2年半も前のことになるようだが、過去に「刑法39条を擁護してみる」というエントリで、触法精神障害者に対する刑罰の減免を定めた刑法39条への批判論をやや詳細に検討したことがあった。そこでの私の結論は、保安処分的拘束の問題性を避けるためには、あるいは同条を削除して精神障害を情状の一種として扱った方が良いのかもしれない、というものだった。今の私は当時よりさらに削除を容認する方向に寄っている気がするけれども、別に法改正まで踏み込むことはないかもしれない。芹沢一也さんの新刊『暴走するセキュリティ』(洋泉社(新書y)、2009年)には、精神科医の井原裕による極めて理にかなった提言が紹介されている(76-77頁)。 精神障害者に人権を認めるのであれば、当然責任も課していかなければならない。人権も認め、かつ、39条によって刑事責任免責の特権をも付与されるとなれば、国民の誰一人として納得しないだろう。今

    刑法39条について - on the ground
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/03/17
    誰にでも「裁判を受ける権利」はあると考える/刑法39条の扱いは、近代的個人というフィクションとかかわる問題。麻薬なんかにもかかわるよねー
  • 10代のための「民主主義とは何か」 - on the ground

    こんにちは。いきなりで申し訳ありませんが、これから民主主義の意味について話すことにします。決して短くはありませんが、あなたが民主主義について知りたいのなら、役に立てるはずです。ただし、ここでは10代のみなさんに向けて話すことにしますから、どうしても、とてもやさしく、ゆったりとした口調になります。それを小馬鹿にされているように感じるとか、まだるっこしいなどと思う人は、同じことを「大人向け」に圧縮して書いている「民主主義とは何か」を読んでください。そちらを読んでみて、もしわからないことがあれば、こちらに戻ってきて確認することをおススメします。あるいは、ここでの話をひととおり聞いた後で、もの足りないなと思ったら、あちらもあわせて読めば、より理解が深まるかもしれません。 言葉の意味――民主主義・民主政・デモクラシー さて、題に入りましょう。「民主主義」とは何でしょうか。何かを考えるときには、言葉

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  • 倫理学の根本問題 - on the ground

    確か修論を書き上げた後の数週間で一気に書いたのだけれど、その先がどこに向かうのか、今一つ見通しが悪い気がして寝かしておいた論文がありまして。「覚え書き」を書くことで社会学的な見通しは付けられたし、Egoist Manifestを書いて自身の暴力衝動の発露の仕方についても一区切り付いたと思うので、改めてブラッシュアップして完成させることにしました。でも内容と今の私の立場を鑑みて、きちんとした媒体で近くに公開できる当ても無いので、なかなか迷ったのですが、自分で公開することにします。 「倫理学の根問題――価値相対主義とエゴイズム――」(pdf) 中身は、価値相対主義を批判から擁護し、正義に対するエゴイズムの優位を主張することを通じて、倫理学の殺害を企図するものです。リベラリズム批判やデリダ批判、応答責任論批判なども含まれています。参考までに、目次を以下に掲げます。 はじめに 1.正義は存在しな

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  • 「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話 - on the ground

    さて、藤井誠二『殺された側の論理』(講談社、2007年)に収録されている座談会で、小宮信夫が「中世の時代は被害者に復讐する権利や決闘という方法」があったけれども近代国家になると被害者からは力が奪われて、「当初は被害者の代わりに国が復讐する役割をして」いたが「いつの間にか国は秩序を乱すという理由で加害者を罰するというようになった」と発言している(252-253頁)。これは「被害者及び死刑」でも取り上げたように、しばしば見られる見解なのであるが、果たして小宮はどういった根拠に基づいて言っているのであろうか。仮にも犯罪社会学者という専門家の言うことであるから無根拠であるはずがなかろうと思うが、とりあえず自分なりに確かめられる部分は確かめようと思い、法制史の教科書をところどころ読み直してみた。 概説 西洋法制史 作者: 勝田有恒,山内進,森征一出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2004/

    「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話 - on the ground
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2008/07/08
    神話には神話の合理性があるとは思うけど、もちろんそれは歴史的なものとは区別されるべき
  • 暴力とは何か - on the ground

    ところで、暴力的であるとか、暴力性などについて論じるのはいいのだが、こういう議論をしていると一般的な感覚で言う「暴力」の意味との乖離が生じてきて、人文社会科学的な議論への日常的な接触を持たない人にはとっつきづらくなり、コミュニケーションの齟齬が起き易くなることが予測される。杉田さんのブログに見る赤木さんとの対立などは、その典型例のように思える。そこで、せめて私が提案/主張する暴力概念の定義を示しておこう。修士論文の一節から引く。 以上から、権力概念と暴力概念の間に有意味な区別を設けることも、やはり困難であることが解る。権力が暴力と強く結び付き、権力そのものが暴力としても現れ得る以上、権力と暴力を完全に切り離そうとするべきではない。今のところ、暴力概念について、ガルトゥングが為した以上の定義は考えにくいから、暴力とは、権力の中でも特に、影響を及ぼされた主体が潜在的に実現し得たものを実現するこ

    暴力とは何か - on the ground
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2008/06/16
    「人文社会科学的な議論への日常的な接触を持たない人にはとっつきづらくなり」そうなんだよね。権力とか暴力とかいう用語がわかってもらえない
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