ルカ15:11~32 15:11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。 15:12 弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。 15:13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。 15:14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。 15:15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。 15:16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。 15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそ
イエスのたとえ話シリーズ No.7 放蕩息子の兄2024年7月7日ルカによる福音書15:25-3215:25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。 15:26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、 15:27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』 15:28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。 15:29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。 15:30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなた
教皇フランシスコは、7月17日(日)、バチカンで「お告げの祈り」を聖ペトロ広場の巡礼者と共に唱えられた。 祈りの前の説教で、教皇はこの日の福音朗読箇所、ルカ福音書中の「マルタとマリア」のエピソード(ルカ10,38-42)を取り上げられた。 教皇の説教の要旨は次のとおり。 ********** この日曜日の福音は、マルタとマリア姉妹の家庭内の情景を生き生きと描いている。イエスを迎えたマルタは、客をもてなすためにすぐに忙しく働き始めた。一方で、マリアは主の足もとに座り、その言葉に聞き入っていた。そこで、マルタは師イエスに向かい、マリアに手伝うように言ってほしい、と頼んだ。マルタの小言は一見もっともなことのように思われる。ところが、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。 マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない
2020年02月15日19:31 カテゴリあの時 「あの時」特派員時代(ローマ❺)システィーナ礼拝堂の修復 (2月13日)ルネサンスの巨匠ミケランジェロが描いたバチカン・システィーナ礼拝堂のフレスコ画の修復は、近代以降の200年の間に行われた数々の修復の中で最も重要で困難を伴うものであった。数世紀にわたって豊かで繊細なミケランジェロの色彩は、厚く積もった埃や、蝋燭の煤、色彩を一時的に鮮やかに甦えさせるために過去の修復によってほどこされた膠や樹脂によって覆われ、全体的に暗くなっていた。 修復後の最後の晩餐(青木昭「修復士とミケランジェロとシスティーナの闇」より) 日本テレビのかかわり バチカンはイタリア国営放送RAIやアメリカ、ドイツ、日本に修復の話をもちかけ、もっとも有力なパートナーとして日本テレビに白羽の矢を立てた。洗浄のための薬品開発も進み、修復の技術的な面での見通しが立ったのは198
日本の「主食」は、もうコメではない。 小麦だ。既にコメの消費量をパンや麺の消費量は上回っている。小麦から作られる菓子なども加えればさらに大きな差になるだろう。 その主食の原料である輸入小麦のうち、およそ1割を、ある1社が加工していることはあまり知られていない。 製パン最大手の山崎製パンがそれだ。連結売上高は9282億円、業界2位以下10社の売上高をすべて足しても及ばない。戦後に立ち上がった「パン食」市場の競争を勝ち抜いた業界のガリバーであり、小麦を日本人の「主食」に転じた立役者でもある。 その圧倒的な力を背景に、独自の経営を貫く。商品は小売りチェーンの物流センターに納品せず、自社トラックで全国のコンビニエンスストアやスーパーマーケットの店舗にまで自力で配送する。原料の小麦が値上がりすれば、「粉が値上げしているのに我々だけ我慢しろというのはおかしい」と業界に先駆けて値上げを決める。不二家や東
《チャチャチャーチ》 1953年に創立された東京フリー・メソジスト教団(東京フリー)は、東京都の西部、多摩地区を中心に埼玉県へも広がり、10教会を擁している。その10番目の教会が「みずほ台キリスト教会」(野尻道人牧師)。2014年10月に新会堂を埼玉県富士見市西みずほ台に取得して移転し、現在の名称となったが、13年4月の創立時は「鶴瀬キリスト教会」。それまでインマヌエル綜合伝道団(インマヌエル教団)に所属していた教会が、東京フリーに「教団移転」し、「再開拓」されることによって、新しい教会として出発した。 野尻牧師夫妻 既存の教会に資源を投じる 2012年当時、インマヌエル教団所属の鶴瀬キリスト教会は、牧師のいない「無牧」状態が数年続いていた。礼拝出席は15人程度。それでも、1974年の創立にしておよそ40年の歴史を持つ教会には、数代続くクリスチャンホームが複数あり、子どもから高齢者までが集
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ロスジェネ/団塊ジュニア牧師、ΜΑΘΗΤΗΣのブログ 主に聖書に関して。希少な日本のロスジェネ・団塊ジュニアのキリスト教牧師として発信してみたいと思います。 宗教改革500年に向けて新たな聖書翻訳が試みられることを知り、日本基督教学会の関東支部会[1]で発表し研鑽した論文を日本聖書協会と新日本聖書刊行会に提言として送付した。なぜなら、30年間の伝道の現場でいつも福音を提示する上で現行の日本語訳に問題を感じたからである[2]。しかし、残念ながら一牧師の声は届くことはなく新しい翻訳は出版された。一つの言語からもう一つの言語に訳される時に、どのように翻訳するかは学術的に探求されている内容である[3]。しかも、このような言語理解の問題は、他国の学者には理解できない内容である。この小論は、一般的な日本語訳聖書におけるローマ書3章23節の現行訳に不十分さを感じ、提言するものである。 1章
教会暦と聖書の流れ 先週の福音の箇所はマタイ11章の結びでした。マタイ12章は主日のミサの朗読配分では省略されていますが、そこには、安息日に病人をいやし、悪霊を追い出すなどのイエスの活動と、それに対するさまざまな反応が伝えられています。イエスのメッセージが簡単には受け入れられなかったという現実の中で、それでも天の国(神の国)は力強く成長している、ということを語るのがきょうの13章のたとえ話集だと言えるかもしれません。 (1) 人がたとえ話を用いて話すのは、ふつうは話を理解しやすくするためでしょう。しかし、イザヤ6章9-10節を引用しながらたとえで語る理由を述べるマタイ13章11-17節は、イエスのたとえがたとえだけでは理解できず、その意味を理解するには特別な説明が必要であるということを前提にしているようです。そんなことがありえるのでしょうか。ヨアヒム・エレミアス(1900-1979)という
5月10日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の50回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の7回目として、「使徒継承」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。 演説に先立って、コリントの信徒への手紙一15章1-5節が朗読されました。謁見には50,000人の信者が参加しました。 親愛なる兄弟姉妹の皆様。 前回の謁見でわたしたちは教会の聖伝について考察しました。そして、教会の聖伝とは、イエスのことばと生涯がその民の中に永続的に現存することであることがわかりました。しかし、ことばが示されるために、教会は人とあかしを必要とします。こうして次のような相互の関係が生まれます。一方で、ことばは人を必要とします。他方で、人とあかしは、ことばと関連
高原剛一郎さんが新しく動画をアップしています。 コロンビア大を始めとして全米と欧州の大学に広がっている、反イスラエルの学生運動ですが、高原さんは、それを、プロの活動家がいるとして説明しています。そして、ラファ侵攻に米国が攻撃用武器を休止しているということで、誰が最も益になるのか?を考えれば、イラン、ロシア、中国ということで、彼らの勢力が強まればキャンパスでデモどころではなくなります。 戦時中に、米国のキリスト教に浸透したコミンテルン デゥープス(Dupes)という「お人よし」という分類は、諜報の世界では専門用語になっています。江崎道朗さんの著書や記事に詳しく書かれています。私もいくつかご著書を読みましたが、書評を書いています。 キリスト教会は、このデュープスになりやすいです。この書評にも書いているように、日米大戦において、ソ連のコミンテルンが影響力工作として使ったのは、米国のYMCAだった
Vol. 21 < Monotheism in the Bible > ʿal-pānay と唯一神教 ─ 出エジプト記 20 章3節 ─・・・・・・・・・・・・・・・・鞭木由行 ‘al-pānay and Monotheism in Exodus 20:3 . . . . . Y. Muchiki [PDF Abstract] 主なる神の唯一性について ─ 申命記 4 章 35 節および 39 節 ─・・・・・・・・・・・奥田健 一 The Uniqueness of YHWH: Deuteronomy 4:35 and 39 . . . . . K. Okuda [PDF Abstract] サムエル記における一神教・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・津村俊夫 Monotheism in the Books of Samuel . . . . . D.T. Tsumur
ただ一つの慰めに生きる-『ハイデルベルク教理問答』によるキリスト教信仰の学び 第17課:「まことの信仰」の信仰箇条としての使徒信条(問23) 1.使徒に由来するとされる?「使徒信条」 わたしたち「キリスト者が信じるべきこと」、それは「福音においてわたしたちに約束されていることすべて」であり、「公同の疑いなきキリスト教信仰箇条」に要約されていると答えます。4世紀にエルサレムの聖墳墓教会の主教として活躍したエルサレムのキュリロスは、『洗礼志願者のための秘儀教話』というカテケーシス(教理問答教育)の中で、次のように語りました。「この信仰の統合は、人間の意見にとって心地よいものとして作られたのではなく、信仰の一つの教義をその全体において提示するために作られたのである。そこでは、最も重要な聖書すべてから集められている。そして、芥子種がその小さな粒の中に数多くの枝を含んでいるように、この信仰の要約も、
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