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駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

巡り来るお盆

2008年08月13日 | 身辺記
 明日から3日間、お盆休みで休診だ。毎年、墓参りに田舎へ帰る。懐かしい駅に降り立つと、じりじり照りつける日差しの中に、いつも微かに秋の気配を感ずるのだが、今年はどうだろうか。
 両親は四半世紀前に亡くなってもう居ない。兄と妹が健在で、近況を報告し昔話をする。自分は縁あって、故郷に戻らず派遣された病院に居着き、そこで町医者となった。「おまえの、あなたの好きなようにすればよい」。と言ってくれた両親の言葉が背中を押したのは確かだ。本当にそう思って言ってくれたのはわかる。でも、ほんの少し寂しかったのだろうと、自分の子供達を独立させて、思う。
 毎年少しずつ兄も妹も年を取っていく、それにもう皆孫の居る年なので、何事もないわけではない。久しぶりに田舎の言葉を話しながら、まずまずかと思うのが常だ。
 まあ、女房にはやむを得ぬ?故郷で、夫の感慨がわからないようで、早く帰りたがるのは遺憾であるが、いかんともしがたい。 
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説明は決めた人が

2008年08月13日 | 医療
 医療費は全て公的に決まっている。別に私の医院で勝手に決めているわけではない。しかし、一部の患者さんはそう思っていない、半数の患者さんはそう感じていない。
 軽い認知症で難聴のあるY爺さんは、受診するたびに待合室に響き渡る大声(難聴の人は声が大きい)で、なんで俺の診察料は高いと受付嬢に文句を言う。それは駐車場を40台も持ち高収入で3割負担だからだ。耳に口を寄せて声をからして説明すると「ああ、そうかありがとう」。と帰られる。ところが一ヶ月後来ると、前回の説明を全部忘れて、また同じことを大声で聞く。「先生、Yさんをどうにかしてください」。と受付のN嬢はほとほと困っている。Y爺さんは家庭に事情があって息子しか頼れる人が居ないのだが、父親とあまり仲良くなく忙しいので、間に立ってくれない。(邪推をすれば、収入が爺さんに回っていないのではないか)。
 実際に文句を言うY爺さんは少数派だが、多くの患者さんは口には出さなくても医療費の明細書を眺めて心の中で不思議だと思うことがあると思う。それは当然で、医者の私にも医療費のことはよくわからない。なぜかと言えば、末端の町医者には不明のからくりで医療費が決まり、しかも料金設定が非常に複雑だからだ。
 たとえば、診察料は外来だと二回目から安くなることが多い。ところが往診だと月一回よりも二回の方が倍以上の額になることがある。それに気付いて月に一回でいいと言い出す患家がある。もちろん安定していれば、はじめから一回しか往診しない。重症で気を付けて診てゆく必要があるから二回三回往診しているのだ。しかしはっきり高いと言われると、引き下がらざるを得ない。そのために何週間も早く亡くなった例を幾度も経験している。なぜ問題にならないか、それは寝たきりの高齢者だからだろうと思う。
 ちょっと脱線したが、医療費のからくりは非常に複雑で医院の窓口では説明しきれないことがある。なんたって手引き書は厚さ5cmの電話帳みたいな本で、おそらく全部理解している人は厚労省の役人を含め日本全国で十人いるだろうかというくらいだ。それでもそれだからこそ、配布した機関で疑問を持つ患者さんには説明をしてあげて欲しい。猫の目のように変わる医療費体系で末端にどんなに目に見えない負担がかかっているか、肌で感じて欲しい。理解力の低い人に、自分でもよく分からないことを説明するのはとてもくたびれる。
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