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親に感謝すべき?
「親に感謝をしましょう」という人がいます。
例えば親が…
このような愛情や助けを与えてくれた場合「今の自分がここまで生きてこれたのは親のお陰」と心から思い、自然と感謝できるでしょう。
しかし…こういう親であればどうでしょうか?
そんな親であれば、感謝どころか自然と恨みを感じてしまいますよね…。当然です。
そんな自分中心に生きる子供への愛も尊重もない親には、無理に感謝をしなくて良いと私は思います。
「子供の幸せを願い愛する適切な親」を前提に作られた言葉の呪いに苦しめられている人は、一定数いると思います。
親から冷酷な言動をされても愛だと信じ、自分よりも親の幸せを願い、自分の幸せや自由を奪われて犠牲になってでも尽くし、時には親を恨み心から憎む自分に対して罪悪感を感じ、苦しみながら生きてきた人もいるでしょう。
しかし、もうその「世間一般の言葉」を無理に自分に充てがわなくてもいいと思います。
親・他者関係なく、自分に対して優しさや愛情や尊重を与えてくれる自然に感謝できる人にのみに限定しても良いのではないでしょうか。
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見返りのない愛を与えましょうという言葉について
「見返りのない愛を与えましょう」という言葉があります。その言葉は人間関係において平和や愛をもたらす良いものであるかもしれません。
しかし、愛は「全ての人」に向けて良いものでしょうか?
私は、今まで何の疑問も持たずに「私に愛情や優しさを返してくれない家族や友人」にまで優しさを与えてきました。
家族だからという理由で。友人だからという理由で。
その結果…
●優しさを与えても、毎回相手から不機嫌をぶつけられる
●優しさを与えても、一切感謝される事はなく当たり前の事にされて、さらなる犠牲(相手に与える事)を要求される
●優しさを利用されて、家族から脅迫や威圧や泣き落としで罪悪感を煽られ、要求を押し付けられる
●自分が辛い時は、一切助けてもらえず無視される。優しい言葉すらかけてもらえない。
という、自分だけが苦しみ損する…そんな辛い関わりになっていました。
相手が「良心や愛情や対等性を持った人」であれば、見返りない愛情を与えても良いかもしれません。
しかし、他人の優しさや愛情を利用し、己の欲しか考えていない人間には与えるのはやめた方が良いでしょう。
その美しい言葉を真っ直ぐに受け取り不幸にならないためにも… 正しい言葉を付け足すべきではないでしょうか?
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