アメリカ人なんて、日本人がとうてい面と向かって言えない本音を言い合っている。あと大阪人とか。
その点、「和をもって尊しとなす」日本人は、直接相手に言いたいことを言ってない。
ああ。
てことはインターネットが日本人を国際化した、ってことか。大阪人はもともと国際人だしな。
その点、「和をもって尊しとなす」日本人は、直接相手に言いたいことを言ってない。
ああ。
てことはインターネットが日本人を国際化した、ってことか。大阪人はもともと国際人だしな。
僕は<火がつく前に先を読む>ためにも、<タイミングを逃さない>ためにも、結局、普段からどれだけ仮説をもっているのかが重要だということかと思っています。(中略)
あらかじめ仮説としての自分の視点がなくては、目の前に何か大切なものが提示されたとしても、その価値を見出すことはできないんです。つまり、普段からものを考えて、問題意識をもっていなくては、どんなに情報収集をしたところで、<ホットな話題にリアルタイムでからむ>なんてことはできないんだと思います。
自分の仮説=問題意識の文脈があってこそ、目の前にあらわれた金脈やダイアモンドの原石を発見し、それを自分で加工=編集してその価値を高めるアウトプットが出せるのだと思うんです。
●DESIGN IT! w/LOVE『最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と』
結局のところ、いかに普段から頭を使って考えているか、ということなんだと思います。人間って、わかることしかわからないんですから。わかるための枠組みを事前に準備できているという前提があってこそ、<ホットなトピックにいち早くからむ>という反射神経につながります。
いろんなものごとに興味をもち、問題意識を組み立てられているかです。
一般論的にいえば、
「毎日書く」ほうが圧倒的にいいのではないか、と思う。(中略)
毎日書く、と決めることで、
「何を書こうか?」という目線で物事を見るし、
そこから先へ進むと、何かに触れた時に、
「これってこう書けるな」とか思えるようになる。
そこが無意識にできるようになると、
どんどん書けるし、
今まで考えが及ばなかったところまで、
自分の思考がまわるようになる。
だから、圧倒的に毎日書いたほうがいい、と思っている。
●じだらく『ブログは書きたい時に書け論 vs ブログは毎日書け論』
(強調表現は松岡による/途中で改行した)
多くブクマを集めているブロガーは、注目されているエントリに対して言及する早さがすさまじい。すぐに自分の意見が表明できるようだ。それは、過去に言及したことが蓄積され、すぐに提供できる状態に熟成されていたからなのだと思う。
●THE HOME RUN SHOW『言及力の蓄積』
現在、ブログで人気エントリになるのは有名ブロガーのばかりだ。たとえ同じ内容のエントリを書いたとしても、知名度によって人気エントリになるかどうか大きく変わってくる。これが大多数のブロガーのモチベーション低下につながるのではないかなと、少し思うのだ。
●BLOG15.NET『ブログはこれからおもしろくなるのかな?』
SBMのランキング機能は(中略)、SBMのユーザ数が少ない今でこそ有効に機能しているものの、今後ユーザ数が増えるに従って
・「注目されているサイトがますます注目される」
というベキ乗の法則に従うようになって、一度注目されたサイトはひたすらクリップされるけど、注目されないサイトは内容に関わらずいつまでも衆目に触れないということになってしまうのではないでしょうか?
●無印吉澤『「同質的」という単語の意味 / SBMはロングテールの敵か?』
ここで、「同じ質の記事を書いてるのに、無名な自分の記事は人気エントリにならず、有名ブロガーの記事は人気エントリになるのはおかしい!」と言いたくなる気持ちはよく分かるが、有名ブログはどうして読者が多いのかを考える必要がある。
元々知名度の高い人がブログを始める場合もあるかもしれないが、多くの場合にはブログで過去に書かれた記事によって読者をじわじわ獲得してきた結果、有名ブログになってる訳で、ブログという場にたまった評価が上乗せ、いや、かけ算で効いてくる。(強調表現は松岡による/途中で改行した)
●北の大地から送る物欲日記『ブログを始めてからアクセスが伸びるまで』
ブログに新規参入した人が気づいていない、もしくは軽視しがちな部分として更新頻度がある。更新頻度が高い、特に毎日更新されるようなブログはアクセスが伸びやすい。
数多く更新されることで常に新しい情報が得られることや、多くの記事があれば、ある読者にヒットする物も見つかりやすいという効果が思ったより大きいのと、過去記事に検索エンジン経由でやってくるアクセスがほんの少しずつではあるが積もり重なって、気づくと結構な量になっているというのがある。(強調表現は松岡による/途中で改行した)
ネガコメは必ず自分のところに届くものなんです。
はてブを禁止にしたら、また別の手段でネガコメを届けるだけです。(中略)
だから、ネガコメを受け取りたくないという考えは諦めてください。
ネット上に記事を公開している時点で諦めてください。
だったら少しでもネガコメに押しつぶされないように
ポジティブな意見を受け取れるようにするのが良いのです。
●304 Not Modified『はてブネガコメを嫌がるアナタへたったひとつのアドバイス』
はてなブックマークのコメントは、(中略)より多くの人の本音に近いコメントを見ることができる。ただ、(中略)受け取る側のリテラシーが重要になってくる。
コメントを書いた人が思ってもいないような内容まで過度に読み取ってしまうのは読み取りすぎ(過敏)だし、個別の判断で行動しているブックマーカーに集団的な悪意を感じてしまうのは自意識過剰だろう。
●北の大地から送る物欲日記『他者のコメントとつきあう方法』
罵倒などはノイズである。バカとか言われても、そんな相対的な指標を基準を示さずに使用する奴が自分より賢いわけがない。(中略)ノイズに対して真剣に反応する必要はないし、(中略)嫌がらせのようなものをコメントと受け取ること自体、時間の無駄だ。
●novtan別館『ネガティブコメントがどうとか、その考えが既にダメっ・・!』
ネット上である程度の長文を読むとき、無意識に一定範囲の文章を選択したり非選択にしたりしている。選択すると色は反転するわけだからそこを強調して読もうとしているのかというと、別にそういうわけでもない気がする。でも、読んでいるところの前後を含めて選択したり外したりしているので、読む作業とは何らかの関係がある気もする。
●kokokubeta;『ネットで文章を読むときの癖』
私も一人のブログ書きとして
99の賛同より1の反論の方が心に響いちゃうってのは分かるつもり。
そして、ネガティブな意見に同調した人がぞろぞろやってきて
ネガコメで埋まってしまうって状態もはてブではたまにあるからなんとも言えないけど。
人ってのはどうもネガティブな意見の方が書きたがるんだよね。(強調表現は松岡による)
これらの問題は、「気分が悪い」というごく私的で感情的な問題だ。そこに客観的な正しさを持ち込んだところで気分の悪さは消えるものではない。嫌なもんは嫌なもんなのだ。(中略)
実際はネガティブじゃないのにネガティブばっかりと思う人が結構いるということは、何か原因があるのだろうから、そこから見ていかないと駄目なんじゃないかなあ。
●Prepared Mind『「実際どうか」よりも「どう感じるか」が大事』
たとえばアフリカの飢饉や内戦といった情報や理論を伝える媒体は、これまではマスメディアが担っていたんですよね。それがインターネットのような媒体が拡大していき、逆に旧来のマスメディアが市場を占める割合が少なくなってしまうと、社会貢献が困難になってくると思います。そういう場合、公共性はだれが担っていけるんでしょうか?
●佐々木俊尚・著「フラット革命」(P211)
だから集合知が実現すれば、アフリカに行く人も出てくるでしょうし、それまで興味を持っていなかった人がアフリカのことを知ることも可能になる。
だから問題は、そうした仕組み--人々が関心のない問題に対してもきちんと接することができて、それに対して何らかの知見を得られるようにできるようなアーキテクチャーを、インターネット上でどれだけ実現できるかにかかっているんです。
●同書・P212より引用(強調表現は松岡による)
自分のエントリーは、たぶん、アウトプットした時点で自分のモノじゃないんだと思ってます。
そこにコメントがついたりして、いろんな人の手垢がついて。
そしてしばらくたって、それを(検索してきた人とかが)見たときに、
「ああー、こりゃ集合知だわ」っていう1つの話題ができあがってるんじゃないかなと。
●Attribute=51『Web 2.0での上手な発信方法』(行間を詰めた)
松岡氏もDan氏も勘違いしているが、完全匿名の補集合は完全実名ではない。OpenIDでもいいし、当ブログのようにgooIDでもいい。diggやSlashdotのようにメンバーどうしで格づけして悪質なコメントを隠すしくみもあるし、Boing BoingのようなIDと事前承認の2段構えもある。何もしないと、日本のウェブは芸能情報とオタク情報で埋め尽くされるだろう。
●池田信夫 blog『ウェブを「匿名の卑怯者」の楽園から脱却させるには』(2008年2月5日付)
私は、実名や特定のIDを法的に強制することには反対です。OpenIDのようなシステムを多くのサービスが採用することによって「自生的秩序」が形成されることが望ましいと思いますが、今のところOpenIDはまだマイナーなので、gooIDでやってみます。
●池田信夫 blog『gooIDについて』
最近いくつかのサイトで採用され始めた「OpenID」は、複数のウェブサービスにおいてログイン時のID入力を簡便化するための認証システムになる(関連記事)。これがウェブ全体で使う「固定ハンドルネーム」的になれば、口汚ない発言をするとIDの評判が落ちるので、自分の評判を守るようになるだろう。(強調表現は松岡による)
●池田信夫の「サイバーリバタリアン」『第2回 ウェブを「匿名の卑怯者」の楽園から脱却させるには』
たとえばAさんがいつも使っているHNで、どこかのサイトに罵詈雑言を書いとしよう。その「どこか」はAさんの巡回先である可能性が高い。
すると似たようなサイトを巡回しているAさんのネット上の知り合いが、それを目にする可能性は高い。「Aさんて、電波だったのね」。そんなふうに思われ、友人をなくしてしまう。つまりネット上における世間体が歯止めになるわけだ。(中略)
たとえ実名に紐付けられてなくても、いつも使っているHNはネット上で実名と同じ機能を果たす。趣味などを通じてAさんが築いたコミュニティとAさんは、HNで結び付けられている。
罵詈雑言を書いたせいでHNが穢れてしまえば、Aさんはかけがえのない自分のコミュニティを失う危険性がある。これはリッパに抑止力になるだろう。
●すちゃらかな日常 松岡美樹『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』(2005年5月17日付)