森保ジャパンのプレー原則のなさが生んだ鬼っ子
コパ・アメリカを戦った五輪代表チーム(+α)には非常に好感を持った。コパ・アメリカという大舞台にビビることなく、また格上の南米代表チームにまるで怯むこともなく、真っ向勝負を挑んで攻撃的に戦った。
上田や前田、安部、三好、板倉、大迫など将来性のある魅力的なダイヤモンドの原石がキラ星のように光を放つ。垂涎ものの楽しみなチームだ。これに加えて久保や冨安がいるのだから、ロジカルな戦術さえ仕込めばどこまで伸びるかワクワクする。
だが同時に出た課題に目を転じれば、どうしても「中島問題」に行き着いてしまう。森保ジャパンという集団にはゲームモデルもなければプレー原則もなく、であるがゆえに中島は「自由に思うがまま」プレーしてしまうのだ。
持ち場の左サイドから中へ、中へと絞り、より中央でボールに関わろうとする。これがセンターレーンに渋滞を引き起こす。そしてボールを失い相手ボールになれば攻め残り、プレスバックもせず守備ブロックに穴を開ける。ボールを持つと「まずドリブル」が第一選択であるため、南米のズル賢い手練れに見破られ集団守備で潰されてしまう。
中島のこの傾向は第一戦のチリ戦でハッキリ出た。次のウルグアイ戦ではやや修正されたが、第三戦のエクアドル戦ではまたぞろ復活した。
もし森保ジャパンにプレー原則があれば「なぜ原則を逸脱するのか?」と本人に問えば済む話だが、あいにく森保監督は「柔軟に」「自由に」という極楽頭だ。このチームには中島のプレイスタイルを規制する縛りがない。
ふつうのサッカーチームなら監督が直接話して修正するが、「自由にやらせて化学反応を見る」という森保監督が果たしてそんな機能を発揮するだろうか?
中島という武器は正しく使えば敵を木っ端みじんに粉砕する力がある。だが使い方をまちがえればチームの内部から腹を食い破って自爆する。
果たして森保監督は、中島の首に鈴をつけられるのか? 森保ジャパンを死に至らしめるのは案外、「内なる敵」かもしれない。
コパ・アメリカを戦った五輪代表チーム(+α)には非常に好感を持った。コパ・アメリカという大舞台にビビることなく、また格上の南米代表チームにまるで怯むこともなく、真っ向勝負を挑んで攻撃的に戦った。
上田や前田、安部、三好、板倉、大迫など将来性のある魅力的なダイヤモンドの原石がキラ星のように光を放つ。垂涎ものの楽しみなチームだ。これに加えて久保や冨安がいるのだから、ロジカルな戦術さえ仕込めばどこまで伸びるかワクワクする。
だが同時に出た課題に目を転じれば、どうしても「中島問題」に行き着いてしまう。森保ジャパンという集団にはゲームモデルもなければプレー原則もなく、であるがゆえに中島は「自由に思うがまま」プレーしてしまうのだ。
持ち場の左サイドから中へ、中へと絞り、より中央でボールに関わろうとする。これがセンターレーンに渋滞を引き起こす。そしてボールを失い相手ボールになれば攻め残り、プレスバックもせず守備ブロックに穴を開ける。ボールを持つと「まずドリブル」が第一選択であるため、南米のズル賢い手練れに見破られ集団守備で潰されてしまう。
中島のこの傾向は第一戦のチリ戦でハッキリ出た。次のウルグアイ戦ではやや修正されたが、第三戦のエクアドル戦ではまたぞろ復活した。
もし森保ジャパンにプレー原則があれば「なぜ原則を逸脱するのか?」と本人に問えば済む話だが、あいにく森保監督は「柔軟に」「自由に」という極楽頭だ。このチームには中島のプレイスタイルを規制する縛りがない。
ふつうのサッカーチームなら監督が直接話して修正するが、「自由にやらせて化学反応を見る」という森保監督が果たしてそんな機能を発揮するだろうか?
中島という武器は正しく使えば敵を木っ端みじんに粉砕する力がある。だが使い方をまちがえればチームの内部から腹を食い破って自爆する。
果たして森保監督は、中島の首に鈴をつけられるのか? 森保ジャパンを死に至らしめるのは案外、「内なる敵」かもしれない。