1. ビジネスマンが日経を毎日読むのは、ピアニストが毎日音階練習をするのと同じ
私は、Twitterなどでたまに日経新聞などのメディアを批判することがある。最近、それが私をFollowしている私より若い人に悪影響を与えているんじゃないかという気がしたので、この記事を書くことにした。というのは、私が日経新聞の記事に関してTwitterで批判を書いたりすると、「だから日経は駄目だ」「日経を読むのは時間の無駄だ」という大量のRetweetが送られてくるのである。
いや、そんなことはないです。ビジネスの世界に身を置くつもりなら、日経やそれに類するものはちゃんと読まなきゃ駄目ですよ。別に私は日経の回し者じゃないので、WSJでもFTでも日刊工業新聞でも良いけれど。
ビジネス界にいる人が新聞を毎日読むのは、言ってみれば、スポーツ選手が筋トレを毎日したり、ピアニストが音階練習を毎日したり、料理人が桂剥きを毎朝したりするのと同じだと思っている。何故なら、ビジネスや経営をやってる人は、世の中で何が起こっているか、最新情報を捉え、それがどのように自分たちのビジネスに影響するか、どうすべきかを毎日考えなくてはならないから。そういう意味で、新聞を読むのは最も手っ取り早く、基礎的な力がつく方法だと思う。
2.意味合いを考えて読む
ただし、ただ記事を読み飛ばすだけではこの力はつかない。
書いてある記事の「意味合い」を常に考えながら読む必要がある。
「意味合いを考えろ」ってどういうことですか?と問われる。よくコンサルティング出身の人が書いてる本に、空→雨→傘 を考えろ、というようなことが書いてあるとおもう。
空雨傘とは、
1) 空を見たら日が翳って雲が出てきている。(空: 事実、誰が見ても明らかなこと)
→ 2) 雨が降るだろうと解釈する (雨: 事実に対する解釈)
→ 3) 傘を持って家を出るという判断をする (傘: 解釈に対して引き起こされる行動)
ということ。
「意味合いを考えろ」とは、1)の空を見たときに、2)の雨や3)の傘を考えろ、ということだ。
新聞に書いてある記事は、記者の見解が混じっていることは良くあるが、この解釈は必ずしも正しいとは限らない。「雨」はともかく「傘」の部分は完全に間違っていることもある。だから、記事をそのまま鵜呑みにしてはならない。しかし、ちゃんとした記事であれば「空」、つまり事実が何かは書かれている。これを元に意味合いを考えるようにする。
まず、自分のいる会社や業界を主語として、この記事に書いてある「空」は、会社や業界にどのような影響を与えるのだろうか、と考える。または、何故この記事に書いてあるようなことが起こるのか、を考える。つまり、「こういう空模様なのはどうしてだろう、雨が降るからだろうか」などと考えるのと同じだ。ただし、その記事の内容だけから、影響を考えるのは難しい場合がある。今まで自分が読んできた記事の蓄積から始めて、影響を推測できる場合が多いだろう。
次に、その事実の影響や背景、理由を考えると、自分の会社や事業は何をすべきなのかを考える。つまり、雨が降ると判断したら、傘を持って家を出るのか、濡れて帰るつもりかを判断するということだ。
3. 意味合いを考える練習
抽象的に空雨傘と言っていてもわかりにくいと思うので例を挙げて説明しようと思う。
今日の日経朝刊の1面記事は「手元資金が過去最高」という、上場企業が手元資金(現金や有価証券など流動性の高い資金のこと)を増やしている内容の記事が載っていた。
上場企業の手元資金、過去最高 震災で安全志向に
3月末52兆円、売り上げ減などに備え -日本経済新聞(5月15日朝刊)
上場企業の手元資金が一段と膨らんでいる。2011年3月期末の手元資金はこれまでの発表分で約52兆円と1年前より4%増え、過去最高の水準となった。東日本大震災の発生を受け、企業は投資を抑える一方、売り上げ減や金融市場の混乱に備え、手元資金の積み増しに動いたためだ。震災を契機に安全志向を強めた企業は多い。豊富な資金力で戦略投資に踏み切れるかどうかが今後の競争力を左右する。
「空」といえるのは、「2011年3月期末の手元資金がはこれまでの発表分で約52兆円と1年前より4%増え、過去最高の水準となった」という部分だ。このほかに、記事の中では、具体的に手元資金の積み増しをしている企業の例として、複数の製造業を挙げている。社債やコマーシャルペーパーを発行してまで、手元資金を積み増しているようだ。この辺が「空」である。
ここまでで、何故企業は手元資金を増やしているのだろうか?と考えるところが「雨」である。
一般的に企業は、部品や素材を仕入れてその代金を払い、製造した製品を販売して、代金を回収する。この代金回収が間に合わないと、資金不足に陥り、大企業といえども借り入れなどしなければ倒産してしまう。手元資金を増やしているのは、この代金回収が間に合わないかもしれないから、多めに手元に現金を持っておこう、ということである。
では何故、日本企業は代金回収が間に合わないかもしれない、と見ているのか。理由は二つありそうだ。
ひとつは、日本の製造業の企業は、取引先の企業、特に銀行の信用力が低い中小企業がつぶれてしまうなどで、代金回収が出来ないところが多いかも、と見ているのだろう。
もうひとつは、自社の製品の生産が予定通り行かず、資金が予定通り入ってこないことを懸念しているのだろう。記事には、ホンダや三菱自動車が手元資金積み増し企業例として載っている。別の日の記事を思い出すと、自動車企業は、一部の部品の調達が間に合わず、生産が遅れているという話があった。ということは、ほとんどの部品については調達を継続してるから資金は出て行くのに、ある一部の部品が間に合わずに製品は出荷できず、お金が入ってこない、となることを想定しているのではないか。
ということは、自社にはどういう影響が及ぶだろうか、というところまで考えるのが「雨」である。例えば、自社が今のところ上流からの影響は少ない鉄鋼メーカーだったとする。自動車業界がこんな状況だと、今は出荷は順調だけど、そのうち多くの部分で需要が止まるかもしれない、と「雨」のストーリーを作っていくわけである。
記事の最後の「豊富な資金力で戦略投資に踏み切れるかどうか」という文章は、記者が書いた「傘」にあたる部分だが、これは正直疑問符である。この記者は「手元資金=成長の原資」という方程式が頭にこびりついてるのかもしれないが、企業が手元資金を増やすのは、必ずしも成長を見越してではない。むしろ一般的には、市況変化が大きな業界で、資金回収が不安定になる可能性が高い企業が、キャッシュがショートしないように手元資金を多く持つ傾向が高い。例えばGoogleがそうだし、米国のバイオベンチャーもその傾向が強い。手元資金を成長につなげろ、といいたい気持ちは非常にわかるが、ちょっと飛びすぎ感がある。
むしろ「傘」を考えるなら、これだけの企業が中小の企業が飛んだり、製品の出荷が遅れると考えてるとすると、自社にどういう影響が及び、自分たちはどうすべきかを考えるべきだ。例えばこの記事を読んで、自社の出荷がそのうち止まると予想されるなら、そのためにどのような手を打つべきかを考えるわけだ。
このように、新聞記事に書かれている記者の解釈にとらわれずに、
「空」=「事実」は何かを見極め、
「雨」=そこから得られる自分の業界への影響を考え、
「傘」=何をすべきか、どう手を打つべきか、
ということを一つ一つの記事について考え、ストーリーを作る、という練習をすると良い。慣れると、ひとつの記事を読みながら、このようなことを瞬間的に考えられるようになるだろう。そうすると、たった10分で日経新聞を読み終えても、得られるものは非常に多くなる。
4.売り買いのポジションを取る読み方
簡単に「意味合い」を考える訓練として使える方法があるので、一応紹介しておく。
ただし、事業のマネージャーや経営コンサルタントなど、経営などに深くかかわっている人には、意味合いが薄くなってしまうから、余りお勧めはしない。
それは、記事を読んで、自分がある会社の株を持っていると仮定して、「Buy(買う)」か「Sell(売る)」か「Stay(そのまま維持)」かを考えるというものだ。
「Buy」は、その会社の企業価値を成長させる方向に向かう場合で、株を買った方が将来値上がりして得をするという場合。
「Sell」は、その会社の企業価値が毀損する方向で、株を早めに売ったほうが良い場合。
「Stay」は、企業価値には影響しないか、既に皆が知っている情報で、株価に織り込まれていると考えるかどちらか、というもの。
ひとつの新聞記事を読んで、自分が株を持っている会社にどういう影響を与えるか、自分はそれを持って、会社の株を売るか、買うかという判断をするわけだ。こういう練習をし始めると、ただ無為に新聞記事を読んでいるよりも、ずっと新聞の内容が頭に入ってくるようになる。
5. 紙の新聞のお勧め
最後に、新聞を紙で読むか、電子版で読むかという話があるが、個人的にはWall Street Journalみたいなユーザビリティの高い電子新聞でない限り、エコではないが、紙で読むのをお勧めしたい。
私は、日経は10分から15分で全て読みきってしまうが、電子版は反応が遅いし、一覧性がなさすぎて、この速度で読むことは絶対に出来ない。それから、仕事が忙しくて新聞を溜めてしまうひとは、余程の意志の強さがないと、溜まった電子版の記事を読むことは恐らく無いだろう。でも紙の新聞なら、物理的に部屋の片隅に溜まっていくので、読まざるを得なくなる。
日経新聞は、確かに読んでいて「何言ってるの?」と思うことは多々あるのだが、読む側にリテラシー、つまりちゃんと「空」が何かを読み取る能力があれば、全く問題がない。それどころか、企業の戦略的な意味合いを考えるための道具として活用することが出来る。だから、馬鹿にしないでちゃんと読んでください。
ニュースはRRSで目を通していますが、なかなか「雨」を判断することができません。それでも、自分の知識や論理力を持ってどうアクションを起こすべきか考え、議論しています。たくさんの知識をふやしたいところですが笑
Lilacさんの記事は留学中の記事も拝見させて頂きました。大変勉強になり、有難く感じております。また次回の記事を楽しみにしています。
日経新聞については「話半分に聞く」という姿勢ですね。日経ビジネスオンラインなどの日経系列のオンライン版もチェックしていますが、内容に関しては正直バイアスを排除しながら読むのが面倒です。先に申し上げた通り日本へ帰国したとしても紙の日経は取らないでしょう。日経に関してはLilacさんと「空」(結論に偏りがある場合はあるが、事実の抽出能力は確保されているし、ビジネス界への影響力も捨てきれない)の部分は同じ、かと思いますが「雨」「傘」の部分は違うようですね。
そういえば、就職活動をしていた頃(20年以上前)、大手証券会社勤務の先輩から(当時は文系学生は、大学OBによるリクルーター方式が主流だった)「若手社員たちは『今日の日経で気になった記事』を各自持ち寄って勉強会を行っている」という話を聞いたことがあります。
私も別に新聞社のシンパではありませんが、実は私も今、そのことをヒントに、勤務先の学習塾で、「特定の日の新聞の全ての記事に(大ざっぱでいいので)目を通して、自分が気になる記事、そのことに関して他の人に何かを伝えたい、語りたいと思える記事、を選び、内容を(自分の主観を入れずに)要約する → それに対する自分の意見を述べ、質疑応答・意見交換を行う、というゼミ形式を取り入れた勉強ができないかと思い、色々準備をしているのですが、ただしこちらはまだうまくいっていません。。。(普通の高校生には、少なくとも日経は難しすぎるかもしれませんね。)
ところで、
>、「だから日経は駄目だ」「日経を読むのは時間の無駄だ」という大量のRetweetが送られてくる
というのには、少しびっくりしました。特に、「大量の」という所に。
それで、決してネガティブコメントをするつもりはないのですが、もしかしたら、原因の一つは、若い人たちの、論理を超えた感性的な領域で、マスメディアを含めた今の社会システムそのものがやはり信用を失っているせいもあるのでは、とも思いました(脱線ですが、ニート問題なんかも個人的にはそれが根本原因だと思うのですが…)。
(その一方で、楽をするためには、ありとあらゆる言い訳を持ち出す人間の性質を発揮してしまっていないか、という検証は、私自身の自戒も含めて行わなくてはならないと思います(私自身は、ビジネスの最前線からは少し距離を置いて仕事をしたいと思っていますので、新聞はなるべくなら読まずに済ませたい(むしろ「古典」をまだまだしっかり読みたい)と思っているのですが…)
上記のことに関連して、以前ネットで偶然読んだ内田樹先生の記事をご紹介させてください。
(内田先生については、Lilacさんも、リンガ・フランカの記事を紹介されてましたね。私はお二人とも大ファンなのですが)
「腐ったマスメディアの方程式」君たちは自滅していくだろう
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1307
でもやっぱり、少なくともビジネスの世界に進まれる若い方々は、仮に記事が誘導的な論調だったとしても(そう思うことが多いのですが)、それらの情報を把握したうえで、それに惑わされない主体的な読み方・生き方をしていっていただきたいと思います。私も明日から、以前から興味のあった日刊工業新聞を購読して勉強しようと思います。
追伸
「10分から15分で読みきる」という具体的な数字を示していただいたのは、私のようなグズな人間には大変参考になりました。早速やってみます。ありがとうございました。
ちなみに私が若い人に勧めるとしたら「紙の新聞は読むな、ネットから仕入れなさい」なんですが、Lilacさんのように分り易く論理的な言葉で理由を説明できないですねー・・
ちょっとお風呂に浸かりながら考えてみます。
考えを日本語にするのって難しいけど必要なことで、上手にそれをするためには訓練が必要ですね。My Life After MIT Sloanはその訓練の大きな助けになってます。
今後も良エントリ心よりお待ちしています。
一方、時間の無駄という意見も分からないではありません。経営に近い仕事をしている人には日経は必須に近いでしょうが、それ以外の人にとっては、記事の密度が低すぎるので雑誌を読むなり本を読むなりする方が良い、という場合もあると思います。以前の職場の経済調査部門のトップは、日経読まない、って言ってました。
購読している地元紙(アメリカの有力紙の一つ) がしばしば積ん読状態になっても、絶対に読まずには捨てません。リテラシーの低い英語紙だからこそ紙で読む意味ありと感じています。紙のほうが時間がかからないというのもおっしゃる通りですし、電子版は自分の興味あることしか読まない。これは辞書や百科事典にも言えることですが、紙なら一通りの見出しが目にする入り、思わぬ面白い記事に遭遇することもあり、それが新聞の価値の一つではないかと思うのです。IPadを購入してから、紙は止めようかという誘惑にかられるのですが、Lilacさんも紙の価値を評価してらっしゃるので購読を続けます。しかし、我々の世代が世の中を去る頃は紙媒体は消滅している可能性はかなりあるでしょう。その時が現在進行している情報革命の完了かもしれませんね。
日経新聞を10~15分で読み切る、とのことですが、広告ページを抜いても20~30ページはあるのではないかと思います。
(平均にするのもおかしいですが)1ページあたり、30秒ほどで目を通すということですよね。
読むのがとても遅い私では、大見出しを拾うだけで30秒経ってしまいそうです。
そして空・雨・傘を考えながら読んでいたら1ページ15分かかってしまいそうです・・・。
それでは、毎日、日経を読むために数時間も要することになり全く現実的ではありません。
10~15分とは言わなくても素早く目を通しつつ有意義に読むにはどのように気を付ければ良いでしょうか。
スピードについてご見解をいただけますと嬉しいです。
今回の記事は初心に帰るような気持ちで読みました。その通りだと思います。紙っていいですよね。
また、Willyさんの「紙媒体のレイアウトの価値」に関するご指摘、dokushoさん「好みというバイアスを防ぐ効果」についてのご指摘から、紙媒体には、意外な分野で有益な情報が得られるという、情報との偶然の出会いにこそ価値があると思います。
これが無料のネット記事なら、無料だし、仕方ないか、と割り切れるのですが、
有料の紙の新聞であると、「「だから日経は駄目だ」「日経を読むのは時間の無駄だ」という大量のRetweetが送られてくる」のも、うなづけます。
さいきんの全ての新聞に言えることは
1)お昼ご飯のとき、東京の空を見たら、日がかげって、灰色の入道雲が見えてきている
と言うべきを、
1') 空を見たら日が翳って雲が出てきている。
と省略する例があとをたたない、ということ。
これでは、雨になるのかどうだかわかりにくすぎ。
ただ、「1'は嘘というわけじゃないから偏向報道ではない」って多分記者は思ってるんですよね。