第一部「口語短歌・水曜サロンの会」(その112) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。
☆☆☆ 年末・年始の「水曜サロン」への投稿日程の変更を申し上げます。
☆☆☆ 2023年12月20日(水) 今年最終掲載日、締め切り 12月19日(火)
☆☆☆ 2024年 1月17日(水) 新年最初掲載日、締め切り 1月16日(火)
なお、締め切り時間は いずれも17:00です。
☆☆☆ 「水曜サロン」は以下の通り第一部、第二部構成に区分して運営致し
ていますので、それぞれに詠歌、返歌を出詠願います。
第一部 「口語短歌・水曜サロンの会」:従来通り三首まで出詠願います。
第二部 「ネット短歌」 :返歌専用です。
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の
詠まれた短歌を、毎週水曜日に掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に
短歌を投稿し鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見、ご提案等をお寄せ頂ければ幸いです。
「初冬に咲く薔薇」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【詞書】23年11月20日から24日までの「世界文化紀行」短歌より3首選択しました。
註)歌川広重「江戸百景 神田明神曙之景」より
☆つわもののまさかどまつる明神様 命をかけて民を守るも
註)日本の祭り「笑い講(わらいこう)」より
☆一年の豊穣祝う奇祭こそ お笑い講は民が喜ぶ
註)ルート66「ジョプリン・ミズーリ」より
☆温かく迎えてくれる観光地 辛い歴史を乗り越えてこそ
浅間山明鏡止水さん
【解説】
「神田明神」「笑い講」「ジョプリン」と、「世界文化紀行」の中でも、
個性豊かなテーマを心を込めて詠って頂き、居ながらにして各テーマの核心に
迫れる歌と考えます。
二首目は、故郷山口県の祭りを詠っていますね。「笑い講」においては上座と
下座に座った講員に大榊が3本ずつ渡され交互に3回笑い合うとのこと。3回の
笑いのうち、一回目は今年の収穫を喜び、二回目は来年の豊作を願い、三回目
は今年の悲しみや苦しみを忘れるためであるとされています。
今年の収穫を喜び、翌年の豊作を願う祭りは全国津々浦々で催される、大半の
秋祭りの目的であり、内容ではないでしょうか。しかし、「今年の悲しみや
苦しみを忘れるため」に笑う「笑い講」は独特のものと考えます。
過去の人々の生活が、それだけ苦渋に満ちたものであり、翌年に希望を
つなぐために、すべての哀しみや苦しみを、今年のうちに笑い飛ばして
しまおうとする、人々の知恵と逞しさをそこに見ることができます。
その意味では「奇祭」かもしれませんが、人々のもつ底力の表れとも感じます。
そんな想いも含めて、詠んでみましたが・・・。
【ご参考】
★笑い講 収穫祝い悲しみも笑い飛ばして 豊穣招く
【詞書】父が9冊の短歌の本を残してくれたのですが、水曜サロンにも参加させて
頂いている今、読みだした事を詠ませて頂きました。
☆父残す九冊の本 短歌本 長年放置今、目を通す
【詞書】相当、症状が改善したのですが、依然、上を向いて眩暈がする等完治に
いたらず詠ませて頂きました。
☆幾日か過ぎても症状完治せず 一生付き合う覚悟もせねば
西BOOさん
【解説】
一首目の歌、お父様が「9冊の短歌の本を残してくれた」とは有難いことですね。
短歌関連の本は、絶版になっているものも多く、学ぼうとしても中々入手困難な
ものもありますので・・・。お父様の足跡を追いながら、学ぼうとする作者の強い
決意が詠われた分かりやすい歌と思います。
二首目、依然として「上を向いて眩暈がする」症状があるとのこと。お辛い
でしょうが当面治療を続け、症状と付き合っていくことが余儀なくされそう
ですね。お見舞い申し上げます。「一生付き合う覚悟も」と詠われていますが、
作者の病への強い覚悟が滲む歌を、私たちも受止めつつエールを送りたいと
思います。
【詞書】今まで歩いてきた道を振り返りながら、しっとりとした秋の夜長に思う
ことを三首に詠みました。
☆おだやかに歳重ねしと言われれば辛苦のもろもろ火の噴きやまぬ
☆秀をあげず埋み火なりし人生よ 今は静かな温もりのなか
☆「またね」という約束のない一葉のはがきを胸に温めている
夕庵さん
【解説】
詞書にも記されていますが、作者の今までの歩みを振り返り詠まれた歌は、
味わいのある珠玉とも言える三首の歌です。
特に、一首目の歌は、一見すると穏やかで豊かな人生を送っているように見え
ますが、実は内に秘めた苦しみや悩みが溢れているという対比が印象的です。
この歌は、現代社会における人間の孤独感や葛藤をさりげなく表現しているとも
言えます。詠われている「火の噴きやまぬ」は、火山の噴火を連想させますが、
これはご自分の感情や思いを抑え込んでいることの比喩と解釈させて頂きました。
また、この歌は、言葉の選び方や韻律にも工夫が見られます。例えば「辛苦の
もろもろ」は、繰り返しの効果で強調されており、歌の中で際立つ部分になって
います。このように、この歌は、言葉の意味だけでなく、音や調べも考慮して
作られた優れた作品だと考えます。
【詞書】もう12月、1年が速いですね。年末は何か追い立てられるような気分に
かられます。三首詠みました。
☆街頭の人々の背に「年末」と いふ せはしなき 羽根生へたるや
☆街角の花舖(かほ)は燎火の海のごと ポインセチアの 赤極めけり
☆せはしなく濡れ手で印押す 宅配は 夫(つま)頼みたる つやつやの柿
みっちっちさん
【解説】
詞書にもありますように、月日の経過は年々歳々早く感じますが、今回は
そんな歳末に向かうせわしない状況を、三首にまとめて詠んで頂きました。
それぞれの歌には、細部がリアルに詠まれ俳句で鍛えられた作者の写生力が
覗きます。
二首目の歌は、今の季節の街角の風景を、花屋に飾られたポインセチアの
赤い花に焦点を絞り、鮮明に描いて頂きました。
ポインセチアの赤い花が、「燎火のように燃える海」に見えるという比喩を
使っていますが、花の色や形を強調するとともに、冬の寒さや暗さに対する
暖かさや明るさを対比して表現しています。なお、この比喩は、ポインセチアの
花がクリスマスのシンボルであることを意識させ、さらに「赤極めけり」の結句の
締めも巧みです。また、「花舖(かほ)」と「赤極めけり」は、同じ「か」の音で
結ばれており、歌の中に響きを作る心憎い工夫もされいます。
【詞書】ブログのお友達の記事に触発されて大阪万博記念公園の紅葉を見に
行きました。その折に詠いました三首を出詠させていただきたいと思います。
☆太陽の塔のみ残し広大な公園となり五十三年
☆パビリオン跡地に明るく戦ぎゐる秋のコキアは花の代わりに
☆万博の賑はひ過去にありしこと記憶に残し鎮まる千里
suisenさん
【解説】
2025年大阪・関西万博は予算大幅超過等で種々揺れていますが、1970年に
行われた万博の跡地、大阪万博記念公園の紅葉を見に行かれたとのこと。
大阪万博記念公園は「○○の夢の跡」の趣もありますが、53年の歳月の中で
市民に親しまれる公園としての機能を果たして来たとも言えますね。そんな
想いのこもる三首の歌は寂寥感を醸し出しながらも、味わいのある歌になって
いると感じます。
特に、三首目の歌は、大阪万博の歴史と現在の姿を対比させて、感慨深い情景を
描いて共感を誘います。万博の賑わいは記憶に残るものの、今は静寂に満ちた
千里の地に、公園の紅葉が広がっているという様子が伝わってきます。
万博記念公園は、自然文化園や日本庭園などがあり、公園のシンボルである
太陽の塔は、かつての万博の象徴として今でも多くの人々に親しまれていますね。
この歌は、万博の記憶と現在の公園の風景を結びつけつつ、時の流れを感じさせ、
しみじみと心打つ一首だと思います。
「山茶花 白色」
【詞書】YouTube短歌:君と KANさんの逝去に
☆ラララしか歌えないけど
後何年も生きられないけど
楽しみたい
自閑さん
【短歌説明】自閑さんご自身の説明です。
「愛は勝つ」で大ヒットしたKANさんが、11月12日に逝去されました。
61歳と言う早すぎる突然の訃報に驚き、彼の歌の中から、「よければ一緒に」
と言う曲で短歌を作りました。東日本大震災の復興では、KANさんの歌をお互い
歌って励まされた人も多かったと聞きます。
10月18日にはもんたよしのりさん、11月9日には大橋純子さんが亡くなり
お二人の曲で短歌を作ろうと、1月弱悩んで、結局出来ず、KANさんのみで出詠
します。
下記URLに、KANさんの2曲をアップしておりますので、御三方の御冥福をお祈り
戴ければと思います。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/de55e513ebb96c86af2f7bdd51e8b8c6
【投稿外コメント】自閑さんご自身のコメントです。
御投稿されている方の親しい方がお亡くなりなったとお聞きしており、昔の人は
和歌で哀しみをどう表したか?哀傷と言う部類が有りますので、その中から
紹介します。
見し人の煙になりしゆうべより名ぞむつまじき塩釜のうら(紫式部)
この歌の為に、鹽竈市に行って来ました。もちろん塩焼く煙はなかったのですが、
醸造元が新酒🍶の新米🌾を蒸す蒸気が雨の中香っていました。
花見てはいとど家路ぞ急がれぬ待つらむと思ふ人しなければ(後徳大寺左大臣)
いつも帰宅を待っていた妻の亡くなった家に、早く帰る理由の無い花見の哀しみ。
稀にくる夜半もかなしき松風を絶えずや苔のしたに聞くらむ(藤原俊成)
最愛の妻を亡くした俊成が、妻の墓に向かって読みました。
思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れがたみに(後鳥羽院)
後鳥羽院が愛した女房が亡くなって。新井白石は、折たく柴の記を著しましたが、
この歌に由来します。
ねざめする身を吹きとほす風の音を昔は袖のよそに聞きけむ(和泉式部)
恋人の親王が亡くなって。
【解説】
短歌説明にもありますように、私たちの青春時代に重なり、それなりに影響を
受けた個性豊かな歌手の方が相次いで身罷り、寂しい限りです。改めて御三方の
御冥福をお祈り申し上げます。
中でも「愛は勝つ」などのヒット曲で知られる歌手のKANさんは
「信じることさ、必ず最後に愛は勝つ」の歌詞が名前とセットで思い出されます。
また、「よければ一緒に」と言う曲は、BSフジ『Beポンキッキ』の挿入歌で歌い出し
部分がオンエアされていたと記憶しています。隣にいる友人や恋人に素直な気持ちを
伝える歌にも思えますし、心を閉ざしかけている人に控えめに声をかけようとして
いる曲にも聴こえますね。
詠われている「ラララ」と言う句は、KANさんの曲の最後にも登場しますが、この
短歌では「歌詞が無ければ」という意味ではなく、言葉にできない感情を表す
象徴として使われていると感じます。また、この歌は、KANさんの曲に敬意を払い
つつも、「楽しみたい」との句で、残された歳月を楽しみつつ充実したものにしたい
と言う、作者の独自の視点や感性が繊細に表現されていると考えます。
作歌とその推敲に一か月の時間を要したとのこと。その姿勢と粘り強さには敬意を
表しますと共に感動致しました。歌に真向かう姿勢として学んで参りたいと思います。
「哀傷」歌一連の解説も行って頂きありがとうございます。皆さんの学びになります。
【詞書】政党助成金だけではなかなか大変だというのは判らなくはない、パーティを
開きパーティ券を売って資金の足しにしないとやっていけない…というのも、まあ
判ります。しかし、その売上金の一部を報告せず裏金にするというのは違うで
しょうが!いいかげん“カネ”の問題でつつかれて議会の審議に影響したりする
のって…。(ため息)ちなみに、“パリピ”って、“パーティ”を“パーリィ!”と言う風に
発音した上での“パーリィピープル(ピーポォーに近い発音)”の略です。(最近は
マンガが原作の「パリピ孔明」っていうドラマもありました)。在原業平さん
ごめんなさい😁。
☆世の中に絶えて“パリピ”の無かりせば
かつかつかもね政党資金は
【詞書】12月4日のテレビ朝日夜7時からの「帰れマンデー」は、タレントさん達が
軽井沢のロケであちこち行かれていました。その冒頭あたりで、人気スポット
などを少し紹介していて、最近「口語短歌~」で話題にのぼる「ハルニレテラス」
がVTRの中に出ていまして、なるほどこういうところかと納得しました。おしゃれな
お店もあったりして素敵なところですね。…一瞬見ただけなんですけどね。
☆画面越し「ハルニレテラス」を確認し
一人うなずく「こういうとこか!」と
【詞書】島根県安来市の“白鳥ロード”に飛来したコハクチョウの群れの写真が
11月22日の朝日新聞の朝刊(うちは京都です)に載ってました。晩秋から春に
かけて、シベリアから米子市など中海に越冬しに来るコハクチョウ達は朝に
能義平野(安来)の田んぼなどに餌を食べに(まるで出勤のように)来るそうです。
母は子供の頃、朝もしくは夕方に編隊を組んでコウコウコウと鳴きながら
行き来する白鳥に向かって「カギになれー!」とか言っていたんだそうです。
季節になったら白鳥が遊ぶ風景がいつまでも無くなりませんように…と願わずに
居られません。…ちなみに“白鳥ロード”の看板の絵は親戚の人が描いたそうで、
シンプルな判りやすい看板です。
☆朝刊の第1面を飾りおり 母の郷里に遊ぶ白鳥
ちがやねこさん
【解説】
「政治資金パーティー」「ハルニレテラス」「コハクチョウ」と今回も、今日的な
ホットなテーマを諧謔も交え、また、景観や、飛来したコハクチョウの群れに寄り
添いながら、味わいのある短歌を詠んで頂きました。
物価高に苦しむ私達庶民の生活をよそに、国民の代表たる自覚無き議員たちの、
過去の闇のひとつ「政治資金パーティー」の一端があぶり出されました。
一首目は、その事実をアイロニーを交えてしっかり詠んで頂きました。事実の解明は
脱税の実態にも及びますので、私たちも、その経緯をウオッチしていきたいですね。
なお、この歌は次の歌の本歌取りであり…、
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)
作者は謝っておられましたが、アイロニーを持って現代に蘇らせて頂きました。
三首目は、お母様のふる里、島根県安来市の「白鳥ロード」に飛来したコハクチョウ
の群れを、お母様の思い出に重ね、かつ懐かしさも偲ばせつつ詠んで頂きました。
詞書にありますように「白鳥が遊ぶ風景がいつまでも無くなりませんように」私達も
祈りたいものですね。
☆青サギの飛び立つ沼に映りいる もみじ葉崩れ ふたたび燃ゆる
ポエット・M
【解説】
散歩で時々訪れる公園に水連の浮く比較的大きな沼があり、一羽の青サギの住処に
なっています。その沼をようやく色づいたもみじ葉が影を落とし紅に染めています。
アオサギが獲物を見つけたのか沼の水面をかすめて飛び立ち、もみじの影が一瞬崩れ、
再び紅に染まるその瞬間を詠んでみました。
ここでは、水面に映る影が本物と同じように見えるという錯覚を表してみましたが、
現実と幻想の境界が曖昧になるという状況を滲ませてみました。
「咲き盛る 菊の花」
「山法師 短歌の章」鑑賞 紅林茂夫著(19)
「山法師」はエコノミストでもありました著者の経済学の論文を始め、小説、
短歌等を著者により厳選され著作を集めた著者渾身の著書でもあります。
その著書から、短歌を抄出し三首づつ紹介させて頂きます。
5.「短歌の章」 友の葬り(2)
凩に落ち葉は舞へり葬り来て
無情に遭えりと想ふわが眼に
彼らしく生きて死にたる師走なかば
悔ゆる事などされどあるべし
わくら葉は風にまろびて 逝く人に
秋の陽赤く輝りわたるなり
【短歌入門・質問・紹介・提案コーナー】
【水曜サロン紹介】
リコさんの所属される短歌会発行の短歌誌「あけび 12月号」のコラムに
「水曜サロン」を次の通り紹介して頂きました。
「あけび誌」
「ネット短歌会」 リコさん(執筆)
私はインターネットの短歌サロンに参加しています。
gooブログ・「四季の彩り」の「口語短歌・ 水曜サロンの会」で検索してください。
1週間分の投稿(一人三首まで、詞書は1首200文字程度)を代表者の
ポエット・Mさんが纏めて毎週水曜日に更新されます。
第一部と第二部(ネット歌会)に分かれて掲載されます。代表者のポエットMさんは
現役時代に大型コンピュータのソフトウエア開発者の傍ら短歌を続けて30数年です。
今は日本歌人クラブに属しておられます。令和5年9月13日に「水曜サロン」は
100回の節目を迎えました。この短歌サロンのポリシーは、「短歌を自由な発想の
下で作成し、交流し、学び合う広場を目指してやっていきたいと考えています。社会の
潮流に迎合することは必要ありませんが、それらも踏まえつつ自らの思いの表現手段と
して、また記録手段として、更には言語芸術の作品として短歌を紡いでいければと
思っています。」とのことです。色々な方が投稿されていますのでサロンの詠草は、
和歌らしい、優雅、上品、情熱的と多種多様です。日頃なじみのない短歌は私の
新しい視点の気づきの参考になります。
【運営にあたって】
(1) 投稿期間は、原則として毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
なおブログの字数制限(コード30,000字)等により詞書等編集させて頂く
場合もありますので、ご容赦願います。
(3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
了
浅間山明鏡止水です。
短歌投稿します。
「詞書」23年12月4日から8日までの「世界文化紀行」短歌より3首選択しました。ご指導お願いします。
江戸百景「13景下谷広小路」より
「広小路花見に向かう一行が 意気揚々と揃いの傘を」
フランス紀行「ジャン・バティスト・ピガール広場」より
「ベル・エポック香り漂わす広場には 芸術家たち愛した場所も」
日本の祭り「赤穂義士祭」より
「時を超え語り継がれる赤穂義士 人生賭けて本懐遂げる」
早速、二首出詠させて頂きたいと思います。
眩暈が完治して、紅葉の写真を撮ることを目標にしていましたが、無理な様なのでそのことで二首詠ませて頂きたいと思います。
美しい紅葉の木を見つけども 手にカメラ無く遠くに眺める
散らざるを願いし紅葉(もみじ)治癒待てず 冬、山風に散りしけるなり
よろしくお願い致します。
おはようございます。
あけび誌とコラムの掲載を有難うございます。
水曜サロンは百花繚乱のように多種多様な短歌が詠まれています。
そんな短歌に触れ私自身の歌風に新しい風が吹く様に感じられます。
今後ともよろしくお願いします。
奇しき縁 孤独を生きる たましいに また会えるはず いつの日かまた
詞書
先日奈良の紅葉を見てきました。昨年の紅葉とは違って時季がよかったのか、何処を見ても紅葉一色でした。また、いつ行っても奈良の鹿は観光客のくれるおせんべいにお腹もいっぱいなのか、おとなしくて優しい目をしていました。
☆爺婆がお団子持ちて出てきそう むかしばなしの茅葺き茶屋は
☆黄葉のもみじ明かりに茅葺きの 茶店も日ぐれて鹿もねぐらに
☆手や足の朽ちた大和の仏たち 鹿と眠れよその身横たえ
よろしくお願いします。
歴史ある「あけび」誌の中 先生の「水曜サロン」掲載祝す
よろしくお願い致します。
いつも、早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
Kenさんの掲載される「世界文化紀行」の記事と、短歌は、居ながらにして
世界の歴史や、絵画、庭園、さらに詩歌にも触れることができ、フアンの方も
楽しみにしていることと思います。私もその一人ですが・・・。
今回は「広小路花見」「ピガール広場」「義士祭」と、季節も、国も、時代も
異なるテーマを選んで詠って頂きましたが、何れもテーマのポイントを押さえて
内容の良くわかる歌になっていると思います。
特に、二首目の「ピガール広場」のハイライトは、やはりムーラン・ルージュで
カンカンダンスの発祥地として知られていますね。詠われているようにパリの
良き時代(ベル・エポック)の香り残されている広場でもありますね。
こんな視点で二首目を詠んでみましたが、いかがでしょうか。
★優雅にも芸術香る良きパリの ムーラン・ルージュの風車が回る
これからもよろしくお願いします。
早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
一首目の歌は、美しい紅葉に出会った喜びと、それを写真に撮ることが
できなかった悔しさ、そして紅葉の美しさに圧倒されたという、複雑な感情が
切なさも滲ませつつ詠まれています。また、リズム感も良く、読みやすい歌と
なっています。
なお、1句目で、「美しい紅葉」と表現されていますが、その具体的な様子が、
表現されれば、紅葉の美しさがより際立つと思いますが…、上の句に一例として少し
手を加えて見ましたが、いかがでしょうか。
★くれないに燃えたつモミジに まみえるも 手にカメラ無く遠くに眺める
二首目には、紅葉の写真撮影に期待を寄せていた西BOOさんの残念さが
溢れていますね。「冬、山風に散りしけるなり」に想いが篭もっています。
これからもよろしくお願いします。