一口に「文章力」と言っても、その切り口はさまざまだ。基礎となる文法に始まり、構成力や論理性、語彙力や個々人の文体など、 “文章を書く力” はいくつもの視点から考えることができる。
文章それ自体が多彩な要素を持っているのはもちろんのこと、それが新聞であるか論文であるか、あるいはブログであるかといった「媒体」の違いによっても、必要となる “力” は変わってくる。さらには、対象となる「読者層」なども考慮されて然るべきでしょう。
さて、そういった「文章」を構成する一要素として、今回は「接続詞」に焦点を当てた本書『文章は接続詞で決まる』を読みました。筆者は、言語学者の石黒圭さん。
ぶっちゃけ、自分にとっては国語の授業で習って以来まったく深く考えることなく、ほとんど感覚的に使ってきた品詞でございます。ところが、そのように軽視されがちな印象も強い「接続詞」を紐解いてみると、類似の意味を持つ複数の表現の中にも、個々に用法の違いがあってびっくり。
「接続詞の使い分けが、いまいちわからない……」「気づいたら『そして』ばかり使っちゃってる……」などなど、接続詞を持て余し気味な人にぜひ勧めたい1冊です。
講義のように学べる、接続詞の小辞典
最初に挙げておきたい本書の魅力として、これ1冊でちょっとした「接続詞の辞典」となっているという点がある。
そもそも接続詞とは何か、役割はどのようなもので、どういった種別に分類することができるのか――という基本的な解説は当然のこと、巻末には索引まで用意してある親切設計。まるで教科書を読んでいるかのような濃い説明&例示も手伝って、手元に置いておきたくなる魅力がある。
例えば、あるひとつの接続詞について説明する際にも、それ単体の用法と使い方にとどまらず、同系統の接続詞もあわせて解説している。一見すると同じ意味を持つ接続詞でも、示す範囲が異なっていたり、文脈によってより相応しい表現があったりするからだ。
実際に、接続詞「たとえば」の項目を読んでみると、 “「たとえば」は、ジャンルを問わず、安定して出現する接続詞” であると書かれている。「例示」という、説得力の高い文章に続けることのできる「たとえば」は、あらゆる文章で使用頻度が高い。そのうえで、次のように続けている。
「たとえば」はたしかに使用頻度が高いのですが、使えない場合もいくつかあります。一つは、具体的な例が一つに限られることが明らかな場合です。「たとえば」は、いくつか例が考えられるとき、そのなかから論旨が明確になりそうなものを一つを選んで示すものだからです。具体例が一つに限られる場合は、「具体的には」を使います。
解説の後ろには具体例として、新聞・論文・小説・詩歌・エッセイなどの文章が引用されており、その場で実例を確認できるのもありがたいポイント。本書で登場する接続詞とその解説、すべてに同様の例文が用意されているので、 “辞典” というよりは “教科書” のようなわかりやすさがある。
特にこの「たとえば」は、あらゆる文章で使うことのできる便利な接続詞であるために、無意識に使いすぎてしまうきらいがある。そこで、本書では続けて、同様の表現ではあるが異なる範囲を示す「具体的には」「実際」「事実」といった接続詞もあわせて説明している。似通った接続詞の差異と用法を理解するための手助けとすると同時に、その使い分けも流れで学ぶことができる構成になっているわけだ。
説明を読み、事例を確認し、応用として同型の接続詞の解説へと展開していく流れ。本書は主にこのような構成でもって、数多の「接続詞」を紐解いていく内容となっている。
それも、接続詞を別個に扱うのでなく、それぞれの種類・用途別に区分しつつも細切れの説明にならないよう配慮された、ひとまとまりの「読み物」となっている印象。解説書でありながら、レジュメ片手に講義を聞いているような気持ちにもなる。ノートを取りながら読みたい1冊です。
「文章」だけじゃない!「話し言葉」で使われる接続詞
多種多様な接続詞は、個別に説明しようとすると、なかなかどうして難しい。ひとつひとつに解説・例文を用意すればとんでもない文量になるし、類似の接続詞を扱う際には、双方を比較・検討しなければその違いが理解しづらくなってしまうからだ。
そこで本書ではまず、接続詞を次の四種十類に分類。そのうえで、それぞれの特徴・用法を説明しつつ、同様の表現については例文を提示し、細かな差異を解説している。
- 順接の接続詞:「だから」「それなら」系
- 逆接の接続詞:「しかし」「ところが」系
- 並列の接続詞:「そして」「それに」「かつ」系
- 対比の接続詞:「一方」「または」系
- 列挙の接続詞:「第一に」「最初に」「まず」系
- 換言の接続詞:「つまり」「むしろ」系
- 例示の接続詞:「たとえば」「とくに」系
- 補足の接続詞:「なぜなら」「ただし」系
- 転換の接続詞:「さて」「では」系
- 結論の接続詞:「このように」「とにかく」系
しかし、それだけではない。四種十類に属さない特殊な接続詞として、後半では「文末の接続詞」と「話し言葉の接続詞」が取り上げられている。前者は「〜からだ」「〜だけではない」など、文末にあって次の文章とのつながりを予感させる、接続詞的な役割を持つ表現を指すものだ。
そして、後者の「話し言葉の接続詞」。書き言葉だけでなく、日常的に発話している「話し言葉」として使われる表現に焦点を当てたものであり、コミュニケーション論的な切り口で接続詞を説明した内容となっている。この章が思いのほか興味深く、おもしろく読むことができた。
接続詞という品詞は、基本的に話の流れを話し手が管理しているときに現れるものです。ですから、対話では、基本的には接続詞があまり使われません。接続詞の多用は、話の流れを話し手が独占しているような印象を与えるため、相互交渉を前提とする対話では相手にたいして失礼になることが多いからです。
しかし、一方的に話しつづける相手にたいし、そろそろ自分の話したいことを話したいと思うこともあります。そのようなときは、話題を転換させるために、「ところで」のような転換の接続詞を使って、自分の話題を切りだします。
ここでまず例示されているのは、書き言葉では転換を表す「ところで」。他にも「でも」「けど」「じゃあ」「ってか」「ようは」などが続けて挙げられている。
これらの接続詞は、 “その場の空気を転換させ、話し手が主導権を握るために欠かせないもの” である一方、ある種のリスクを伴うものでもあると筆者は書いている。その “リスク” というのが、次の4つに分けて示されているものだ。
- 話している相手の発話権を奪うことで、気持ちよく話している人の気分を害する
- 話し手の示した言い方を訂正することで、話し手の気分を逆なでする
- 無用な対立を生む
- 自己正当化
第一のリスクは、「ってか」「というか」によってもたらされるものだ。話の腰を折る表現であり、接続詞に続ける形でまったく無関係の話題や自分の主張を始めてしまえば、相手が不愉快に感じても何ら不思議ではない。
第二のリスクとしては、「つまり」「ようは」などが当てはまる。「つまり」を使って相手の話を換言・要約することは、コミュニケーションにおいてしばしば良しとされるものだが、それも内容次第。言い換えた要約が間違っていたら、元も子もない。
「でも」や「けど」が用いられる、第三のリスクはわかりやすい。それが議論や話し合いの場でないかぎり、「否定(逆接)」による話の転換は、相手に悪印象を与えかねないものだ。日常的なコミュニケーションにおいては、常に感情・共感が優先される。
最後は、「だから」や「だって」を用いることによる、自己正当化のリスク。「だから〜〜しろと言ったのに」「だって、〜〜だったから」という言い訳がましさは、自分を正当化すると同時に、相手の間違いを暗に指摘するものでもある。そりゃあ空気も険悪になるだろう。
こういったリスクを持つ接続詞は、よくよく考えてみると、どれもこれも「会話では避けるべき表現」としてしばしば指摘されてきたものでもある。「でも」を口癖にする人は良くないとか、後付けの「だから」は格好悪いとか。
要するに、「会話における問題表現」として話されてきたそれが、本書では「接続詞」という観点から語られているわけだ。これまで漠然と「良くないもの」として考え、しかしうまく説明できなかった表現が、まさかの「文章本」の中で明らかになった格好であり、目から鱗だった。
そして何よりも強く感じさせられたのが、自分が使う「言葉の推敲」の大切さ。あまりに当然すぎて、普段の自分が「何を話しているか」を意識するのは難しい。文章だろうが会話だろうが、折に触れて自分の「口癖」を点検することによってこそ、文章力ないしはコミュニケーション能力が磨かれるのではないかと感じたのでした。
論理重視の書き言葉の接続詞にたいし、話し言葉の接続詞は感性重視が特徴です。計画的な構成意識に乏しく、即興的なノリで使われがちです。そのため、その選択に慎重さを欠く場合が多く、話し手の性格や感情が無意識のうちに聞き手にダイレクトに伝わってしまいます。その一方で、書き言葉とは違って自分が使っている接続詞を目にする機会もなく、知らず知らずのうちに口癖として定着してしまっているケースも少なくありません。自分が普段どのような話し方をしているのか、一度自己点検してみることをお勧めします。