バルトは「写真の指向対象」はある映像や記号によって指し示されるものであり、この特徴は他のメディウムから明確に区別されるとした。なぜならば、対象が写真になるためには必ず現実に存在しなければいけないとバルトは考えたからだ。 そして、写真に写ったものが「現実のものであり過去のものであるという二重の措定」が存在するからこそ、それはかつてあったということを決して否定できないとバルトは主張した。この写真の「指向作用」こそが写真のノエマ、即ち本質であるとした。 さらに、バルトは自身が写真からある種の真実と現実を感じ取ったことによって、実際に写真に写っている対象が存在しているのかを確かめることなし