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コウイチの雑想ノート https://note.com/annhuman

ロンドンで写真を学んでいる写真家見習いの雑想ノート。 ※意見や発言がコロコロ変わると思いますが悪しからず Twitter: https://twitter.com/AnnHuman101

岡崎孝一 Koichi Okazaki
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2023/01/21

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  • それはかつてあった?

    バルトは「写真の指向対象」はある映像や記号によって指し示されるものであり、この特徴は他のメディウムから明確に区別されるとした。なぜならば、対象が写真になるためには必ず現実に存在しなければいけないとバルトは考えたからだ。 そして、写真に写ったものが「現実のものであり過去のものであるという二重の措定」が存在するからこそ、それはかつてあったということを決して否定できないとバルトは主張した。この写真の「指向作用」こそが写真のノエマ、即ち本質であるとした。 さらに、バルトは自身が写真からある種の真実と現実を感じ取ったことによって、実際に写真に写っている対象が存在しているのかを確かめることなし

  • Photography(ing)

    上の記事の冒頭でも少しだけ触れたことなのだが、一般的には写真は認識の対象である。それは文字や絵と同様に何かしらの観念や概念を指し示しているということだ。林檎という文字が林檎それ自体ではないように、林檎を写した写真は林檎を指し示しているに過ぎない。この意味において、写真はあらかじめ一定の虚構性を内包していると言ってよい。 しかし、この話はある意味当たり前のことで、本当に面白いのは「だからどうするのか?」という問いの方だろう。だから、私はそういった前提があり、(人間である以上)認識そのものを打ち破ることが限りなく難しいとするならば、写真を経験することはできないだろうかと考えた。 私の言

  • イメージVS肉体

    イメージを認識する人間は、それに付随する記憶、感情、無意識を喚起され「頭の中で」リアリティを感じる。しかし、それは頭の中での認識の話に過ぎず、経験としてリアリティを持っているわけではない。 イメージは嘘つきだ!! だが、私たちは普段生活をする上ではそんなことをいちいち意識することもなく、戦場の惨状を伝える写真に怒り、推しキャラのイラストに悶え、今は亡き者を懐かしむ。イメージは人間の認識のバグに巧妙に働きかける。 私もそんなイメージと人間の関係を虚構だ、病理だと目の敵にしてきた。しかし、そんなことを批判したところで現実の社会はそんな風に回ってはいないのだ。 私が十歳頃、仙台で被災

  • 焚火の興

    焚火は火を起こすという人間にとって最も基本的で重要な行いの過程で自分の主体性を思い出せてくれる。だから、私にとって焚火のクライマックスは火を使ったり眺めたりする時間ではなく、まさに火を起こす過程にこそある。 まず、ナイフを使って薪を様々な太さに割る。そこから選んだ適当な薪を毛羽立たせるようにナイフで薄く削る。そして、ちょうどクリスマスツリーのようになったその薪を、一番下に敷き、その上に他の薪を細い順に積み、火を付ける。あとは、火の状態を見ながら適切な大きさの薪を適切な場所に配置していく。不思議なことに、この一連の行為は生き物を育てる感覚に近い。自分のやり方ひとつで火の在り様はどのよう

  • 「人、天と地の間」 モノ作りの備忘録

    これは私が「人、天と地の間(仮称)」を作ろうと思い立った時のことを思い出しながら記した備忘録である。 まず、最初期のメモを見てみると 中心なき / ユビキタス / 生 / 死 / 経済 / 人間 / 自然 / 網 / 身体 / 環境 / もの / 空 / 地 / 空間 / リバース / 半径五メートルの世界 / 連なり などど関連があるようでない言葉が羅列されていた。 なぜ、こんな言葉を書き記したのかは覚えていないが、少なくとも私は自分の作る「作品」が社会に対し、どれほどの批評性や有効性を持っているのかに疑問を持っていた。そして、今回作るモノに関しては小難しい観念的な思考や知

  • アイデンティティーのはなし

    いきなりになるが、私はアイデンティティーは存在しないと思っている。ここで私が言うアイデンティティーとは、ある個人の同一性を絶対的に定義できる「何か」のことだ。一般的にその「何か」は、名前、国籍、人種、民族、性別、ジェンダー、年齢、身体的特徴などを指す。そして、人間はそれらの要素を複合的に組み合わせながら社会的な自己というものを構築していく。しかし、それらは私が私であるということを絶対的に証明できるものでは無いのだ。なぜならば、先に挙げたような要素は非常に流動的であり、常に比較の対象としての「他」を要求する相対的なものだからだ。 では、それらの要素はどのように相対的なのだろうか。まず前

  • 制作のはなし vol.2:透明化された死

    こんにちは、岡崎です。 この「制作のはなし」では作品制作にあたっての自分の思考などを整理するためのメモを備忘録的にnoteで公開しています。 また、vol.1はこちらから読むことが出来ます。 vol.1では自分の生の実感の欠如について考えてみた。そして、その原因として自分の生活を支えているシステムの「確かさ」の無さを挙げた。 システムにおける「確かさ」の無さとは具体的にどんな事であろうか? たとえば、スーパーで豚肉を買う時にリアルな実感を持って「これは生きていた豚を殺して作られた肉だ」と考えることがあるだろうか?また、街ですれ違う無数の人々それぞれに異なる人生があり、そ

  • 制作のはなし vol.1:無自覚な生

    こんにちは、岡崎です。 この「制作のはなし」では作品制作にあたっての自分の思考などを整理するためのメモを備忘録的にnoteで公開しています。 少し突飛に聞こえるかもしれないが、僕には生の実感がない。この感覚がどのようにして生まれたのか、具体的なきっかけなど思い当たることは無いのだが。この感覚は僕の中で切実な問題として存在している。もちろん、僕だって腹が減れば食うし、眠ければ寝る、カッターで指を切れば血も出るし痛みもある。でも、そういう生理的なところとは別のところで、自分が生きているという実感が欠落しているのだ。自我が肉体には入っていなくて、いつも少し後ろから自分を観察しているよう

  • 世界から争いが無くなるには?

    高校生の時、電車の中で世界から全ての争いをなくすにはどうすればいいのか?ということをふと、考えたことがあった。 僕が導いた結論は人類全ての感情や思考を並列化して、他人の体験をまさに自分のものとして感じるとこができるならいいのでは?というものだった。その延長線上で、究極的には人と人との間の差異や隔たりをなくせばなくすほど、争いは無くなっていくだろうと思った。争いの根源は「違い」にあると思ったからだ。完全に争いのない世界ではそっくりな人間たちが思考、感情、記憶の生成を集合知的に行い、人類は一つの集団をもって一つの生命となる。そうなってくると、既存の社会の枠組みは壊れるし、そもそも人間とし

  • 予定調和の視線を批評する

    まず、本題に入る前にハッキリさせておきたいことがある。この文章は私の写真に対する暫定的な考え方を記したものだ。さらに言えば、必ずしも人に読んでもらうために書いたものでは無い。では、なぜ公開するのかというと、今取り組んでいる作品と関連して、ある程度自分の思考と距離を保ちながら考えを整理するには、この方法が良いと思われるからだ。なので、修正・加筆は自分の中でその必要が生まれたら、その都度していくつもりである。 Babbel #1Babbel #2Babbel #3Babbel #4Babbel #5Babbel #6Babbel #7Babbel #8 子供の眼 自分の中に強く焼き付

  • ロイヤル・カレッジ・オブ・アート 写真学部のアレコレ 授業編

    どうも安藤です。 自己紹介はめんどくさいので省略します(需要が出てきたらやります、たぶん)。 えー、私は今年の九月からイギリスはロンドンのRoyal College of Art(通称RCA)の写真学部に留学しています。この記事ではRCAの写真学部に在籍して分かった学部の内情を、過去の自分に宛てるつもりで雑に書いていきます。そして、今回は一週間の内にどんな授業が行われるのかを雑に(←コレ大事)説明します。 結論から言いますと、RCAの写真学部は 放任主義です!! 私の肌感覚で言うと写真学部開講の講義は週にたった2~3回、時間にすると週に大体4~6時間といった程度です(それ以外

  • 夢遊病患者 /SLEEPWALKER

    下の写真は過去二年間の間、私がスマートフォンで撮影してきた日常世界の断片である。 私が生活していて思うことは、私の生の実感をどこに求めていけばいいのかということだ。私は日常的に生きていて自らの命の実在を強く感じたことがない。時間が私の目の前をスルスルと無意味に通り過ぎて行き,それが私に夢を見ているような感覚を与える。 その原因の一つは、私自身がデジタル世界と現実世界の両方に現実と仮想を同時に見出していることにあると思う。その世界の両方ではありとあらゆるものが今までにない速さで出現、変化、消滅している。また、その二つの世界は相互に作用し合い、物事の姿を実体とは違うものにしている気がし

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