ドナルド・トランプ氏が勝利した米大統領選。トランプ氏のIT政策はまったく不明だが、選挙活動中は大手IT企業に対する攻撃的な言動も目立った。IT企業の多くがヒラリー・クリントン氏を支持していただけに、シリコンバレーは「トランプ大統領」の誕生に戸惑いを隠せない。

 シリコンバレーの有名人の中でトランプ氏の勝利を最も喜んでいるのは、起業家で大富豪のPeter Thiel氏(写真1)だ。米PayPalの創業者であり、現在は2004年に起業したサイバーセキュリティ企業の米Palantir Technologies会長と米Facebookの取締役を務めるThiel氏は、トランプ陣営に125万ドルを寄付しただけでなく、共和党大会で演説したり、選挙期間後半の2016年10月に米ワシントンで記者会見を開催したりして、トランプ氏への支持を訴えていた。

写真1●米PayPal創業者として知られるPeter Thiel氏
写真1●米PayPal創業者として知られるPeter Thiel氏
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 Thiel氏は記者会見で「トランプ氏の主張は米国を『普通の国』にしようというものだ。普通の国は(米国のように)貿易赤字が5000億ドルにも達したりしないし、普通の国は(米国のように)宣戦布告をしていない戦争を5つも同時に戦ったりしない」と述べ、現状の米国の政策を是正するためにトランプ氏を支持していると主張した。

 「シリコンバレーのほとんどの企業がトランプ氏から距離を置いた中で、ティール氏はシリコンバレーとトランプ氏とをつなぐ唯一のパイプになった。ティール氏であればトランプ氏に、テクノロジー関連の適切な助言ができるだろう」。Palantir Technologiesで勤務した経験もあるシリコンバレーのソフトウエアエンジニア、上杉周作氏はそう指摘する。

 トランプ氏は公約でITについてほぼ触れていないが、サイバーセキュリティやサイバー防衛に関しては「増強を図る」としている。Thiel氏はその分野の知見が豊富だ。

国防総省などにビッグデータ分析ソフトを販売

 Thiel氏が起業したPalantir Technologies(写真2)は米パロアルトに拠点を構える。PayPal出身の技術者が共同創業者に名を連ねており、PayPalで培った不正取引検出技術をサイバーセキュリティ分野に適用。ビッグデータ分析によってテロリスト組織の不審な動きなどを検出するソフトウエアを、国防総省や司法省などに販売している。

写真2●米パロアルトにある米Palantir Technologiesの本社
写真2●米パロアルトにある米Palantir Technologiesの本社
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  Palantir Technologiesは未上場だが、これまでに19億ドル(約2000億円)を資金調達し、推定企業価値が200億ドル(約2兆円)にも達する「ユニコーン」だ。

 米政府の発表資料によれば、米政府は2008年から2016年までの間にPalantir Technologiesに3億5000万ドル(約370億円)以上を支払っている。また国防総省は2016年5月にPalantir Technologiesから「All Source Information Fusion Software(様々なソースの情報を融合するソフト)」を2億2210万ドル(約235億円)で調達する契約を結んでいる。

 トランプ氏は選挙期間中、米Appleが「iPhone」の暗号解除を巡ってFBI(連邦捜査局)と対立した際に、FBIを支持してApple製品の不買運動を訴えた。またNSA(国家安全保障局)やCIA(中央情報局)による諜報活動の詳細を暴露したEdward Snowden氏に関しては、「ロシア政府はSnowden氏を米国に送還せよ」と呼びかけている。

 トランプ氏は、国民のプライバシーよりも政府による情報収集活動を重視するスタンスだ。そんなトランプ氏が大統領になれば、Palantir Technologiesが手がけるような情報分析ソフトに対する政府支出が増加する可能性がある。

 トランプ氏が大統領になることで微妙な立場に置かれるIT企業もある。前述の通りトランプ氏は、iPhoneの暗号解除に関してFBIを支持しAppleを批判した。またトランプ氏は選挙期間中、米Amazon.comに関しても「独占禁止法の制裁対象になる」とも主張している。

 Amazon.comのCEO、Jeff Bezos氏も負けずにトランプ氏を批判していた。2015年12月にBezos氏は「Twitter」でトランプ氏に「(Bezos氏が起業したロケットベンチャー)Blue Originに席を用意してあるよ」と呼びかけたほどだ(宇宙に吹っ飛ばしてやりたいとの意)。Bezos氏は大統領選挙後、声明を出していない。

 米Salesforce.comのMarc Beniof CEOは、副大統領に就任するマイク・ペンス氏と因縁がある。宗教保守派のペンス氏が州知事を務めていたインディアナ州は、2015年3月に「宗教の自由回復法」を制定した。同法は宗教的な信念に基づいて生活したりビジネスを営んだりすることを保障するもの。

 SalesforceのBeniof CEOは、同法がLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)への差別につながるとして強く批判。インディアナ州でのイベントのキャンセルや、インディアナ州に住む社員への引っ越しの補助などを主張していた。

海外留保利益の扱いが焦点に

 もっともトランプ氏の政策によって、Appleや米Alphabet(米Googleの持ち株会社)、米Microsoft、米IBMなどの巨大IT企業が、膨大な恩恵を受ける可能性もある。トランプ氏は法人税の税率を35%から15%に引き下げる公約や、多国籍企業が米国外にため込んだ「海外留保利益」を、従来よりも低い法人税率で米国内に持ち込める公約を掲げているためだ。

 トランプ氏は、企業が海外留保利益を10%の税率で米国内に持ち込めるようすると主張。現在は利益を米国に持ち込んだ時点で法人税の課税が発生するため、多くの企業が米国外に利益を貯め込んでいた。米Moody's Investors Serviceが2016年11月に発表したレポートによれば、米国企業が国外にため込んでいる現金は1兆3000億ドルにも達するという。

 AppleやAlphabet、Microsoft、IBMなどの巨大IT企業は、各社とも海外に数百億ドル単位の利益を貯め込んでいる。こうした利益を米国内に還流できるようになれば、IT企業の投資戦略にも大きな影響を与えるだろう。

 しかし法人税の大規模減税と、それとコインの裏表の関係にある再配分の縮小は、国民の経済的格差を拡大させ、社会の不安を高めかねない。シリコンバレーにほど近い米バークレーでは大統領選翌日の11月9日(米国時間)、カリフォルニア大学バークレー校の学生やバークレー市内の高校生が数千人規模の「反トランプ」デモを繰り広げた。同日の夜には、デモはサンフランシスコ市内にも広がった。社会の動揺はすでに表面化している。

 トランプ大統領がIT業界、そして社会に何をもたらすのか。しばらくの間は皆が固唾をのんで、その動向を見守るしかなさそうだ。

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