2月17日、契約を締結している水道公社で、僕たちにとって重要な報告会があった。水道公社の幹部に対して、現時点での水道配管の状況予測ソフトウェアの開発に関する進捗報告を行なったのだ。
水道公社に進捗報告、手応えあり
ソフトを作っている吉川君、副社長のラースさんと僕で、事前に何度も打ち合わせを行い、現時点で僕たちのソフトウェアができることとできないこと、彼ら水道公社のデータから何が言えるのか、またそれはどうして彼らが現在使っている手法よりも優れていると言えるのかについて、資料を作成し、準備を進めていった。
結果は上々。まだまだ粗削りではあるものの、アメリカの水道配管の老朽化問題に一石を投じることになるであろう僕たちのソフトウェア、その根底にある物の考え方、話の切り口や議論の方向性のようなものに、どうやら幹部も納得してくれたようだった。
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ところで、僕たちのソフトウェアには、いわゆる人工知能のアルゴリズムを使っているのだが、このあいだ吉川君とサンノゼオフィス近くのスタバでコーヒーを飲みながら、この「人工知能」(AI:Artificial Intelligence)という響きには、なんだか人知を超えた万能感があるところが納得いかないということで、大いに意見が一致した。
今のところ、手法としてはその大半を占める機械学習(Machine Learning)という言葉を使ったほうが、僕たちにとってはイメージしやすいし、もっと言えば、その機械(Machine)というのも、要はコンピューター(Computer)のことを言っているのであって、また、学習(Learning)と言っているのも、要はパターン認識(Pattern recognition)のことを言っているのだ。だから素直に、「コンピューターによるパターン認識」(Computational Pattern Recognition)とか言ったほうが、その実用性が伝わりやすいように思う。
つまりは、巷で言われている「人工知能」というものは、要はコンピューターがしらみつぶしに全てのデータにアクセスして、場合分けしたり、前後左右の順番を入れ替えたりしながら、考えられる全てのパターンを調べていった上で、最終的に最も上手くいった道に進むという、なんとも地味だが、しかし一方ではパワフルな世界なのであり、何十年もかけてコンピューターの計算能力が向上したために、それが手軽になったということなのだ。
2月20日の週は、精力的にソフトウェア製品のマーケティング責任者を採用するための面接をこなした。僕たちのチームはまだ7人しかいないので、「IQが高い」とか「経験が長い」ということだけで、人を採用することはできない。チームメンバーとの相性というか、チーム全体の雰囲気のようなものに、しっかりと合致する人を雇わなければ、そもそも業務フローだとか、マニュアルだとかがほぼ皆無であるベンチャーという世界にあって、仕事を最速で進めることはできないからだ。
性別不問、同志採用は「全員ランチ」で
最近僕たちが行っている人材採用の方法は、こんな感じだ。まずは、僕たちが出した広告に対して興味があると連絡をくれた人たち、そしてヘッドハンターから紹介された人たちの職務経歴書に端から目を通していき、候補になりそうな人を見つけたら、ラースさんに電話面接をしてもらう。そこであがってきた候補の人たちには一人ずつオフィスに来てもらい、僕とラースさんの個別面接を行った上で、チーム全員でランチに出かけ、各チームメンバーと話をしてもらう。
アメリカに来てしばらく、僕もだんだんと、こうしてきちんとしたプロセスを通じて人を採用するということの良さみたいなものを実感するようになった。なにしろアメリカでは、人材採用の際に、年齢も、性別も、また国籍も聞いてはいけないと法律で決まっているのだ。もちろん、履歴書に写真を付けることを要求することも禁止だ(年齢や性別、国籍が類推できてしまうからだ)。年齢は仕事ができるかできないかに関係ない、性別も関係ない、国籍も関係ない。当然のことなのだが、こうして国全体で差別に対する徹底的な抑止を行っているのは、僕から見れば素晴らしくフェアな話だ。
正直な話、職務経歴書に書いてある名前を読んでも、男性だか女性だか分からないこともあって、男性だとばかり思い込んで面接の日にオフィスで待っていたところ、面接に女性が現れてびっくりした、なんてこともあった。
日本という国に生まれ育ち、男女同権とか言いながら、実際は女性が冷遇されている現場を、僕は過去たくさん見たように思う。男女同権に関しても、日本では、当然のことのように「ホンネとタテマエ」のようなものがまかり通っている。そういうインチキに、ある種の「嫌気」と、それが変わらないことへの「あきらめ」のようなものを持っていた僕の中にも、この「男性だと思っていたら、女性が現れてびっくりした」という経験から、男性バイアスのようなものが結局透けて見えているのではないかと思ったら、どうにも嫌な気持ちになった。
ところで、アメリカの差別や偏見に対する取り組みが、非常に上手く描けているアニメ作品として、ディズニーの『ズートピア』(2016年)はオススメだ。僕ももう2回見た。
アメリカのカルチャーに関する話が出たついでに、一つ今月印象に残ったことを挙げるとすれば、アメリカを代表する大富豪で、投資家でもあるウォーレン・バフェットが、2月25日、自身が率いる投資会社バークシャー・ハザウェイの年次総会に先だって、株主に対して送った書面についてだろう。
彼は言った。
「この国が始まった240年前から、アメリカは人々の創意工夫、市場システム、才能と野心に溢れた移民、そして法制度の整備によって、過去例をみないほどの豊かさを手に入れてきた」
「過去何度も言ってきたが、この先も私はこう言うだろう。今日アメリカで生まれた子供たちは、歴史上でもっとも幸運だ」
バフェットも、掃除のおばちゃんも
サンフランシスコ・ベイエリアに移住してきて、実際に仕事をして思うことがある。確かにアメリカには、今でもチャンスが溢れている。もしかしてシリコンバレーだけかも知れない。カリフォルニア州北部だけかも知れない。アメリカの色んなところ、シカゴやニューヨーク、シアトルにも出張したが、実際に住んだことがあるのはここだけだから、かなりバランスが悪い意見かも知れない。
しかし、このウォーレン・バフェットの言葉は、間違っていないと思う。この国には、希望が満ち満ちていて、才能ある人間が、これでもかというくらい、チャンスを求めて今日もこの地に流入してくる。それは、今日も明日も事実だろうと思う。あらゆる社会のシステムが、ものすごくよく考えられていて、何事に関してもフェアになるように、きちんと法整備がされている。今日も色んなところで、「何がフェアなのか?」ということを求めて、様々な訴訟が巻き起こっていて、それは大変ではあるが悪いことだけでもなくて、それは毎日毎日、人々が権利の上に眠ることなく、前進を続けようとしている証拠でもある。
法整備だけではない。人々の物の考え方が、才能ある人たちに対する眼差しが、何というか本当にフェアなのだ。人の足を引っ張っている暇なんてない。そんな時間があれば、目の前に広がるチャンスを掴まえるために時間を使ったほうが良いというカルチャーがある。
もう2年近く前の話になるが、シリコンバレーに出張していた僕は、滞在先のホテルで、清掃係の妙齢の女性と立ち話をしたことがあった。…雰囲気が伝わりにくいので親しみを込めて、掃除のおばちゃんと呼ばせてもらおう。
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「これから、アメリカで仕事をしようと思っているんだ」
そう言う僕に向かって、そのおばちゃんが言った言葉が、今でも忘れられない。
「きっと上手くいくわよ。なぜなら、この国にはチャンスが溢れているから」
職業に貴賎はない。しかし、掃除のおばちゃんでも、「この国にはチャンスが溢れている」と思えるアメリカという国は、正直豊かだなと思った。
シリコンバレーで最も成功したベンチャーキャピタルの一つ、セコイア・キャピタルの伝説的な投資家マイク・モリッツも、かつてこう言っていた。
「人生の中で自分が行った選択の中で、最も重要だったと思う選択が2つある。一つはイギリスを飛び出してアメリカに移住したこと。もう一つは1980年代に、セコイア・キャピタルで職を得たことだ。なぜイギリスを飛び出しのか、って? それは、この地アメリカには、イギリスよりも遥かに多くのチャンスが転がっていると思ったからだ」
役割を演じながら、「その先」をつかまえろ
2月28日から3月1日にかけて、アメリカのチーム皆で合宿に出かけた。1月には本多君、吉川君が日本から合流してきて、2月にはマットがヒューストンから合流、所帯も少し大きくなってきたところで、一回チーム・ビルディングをやろうとラースさんと話していたのだ。
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ラースさんの親戚が持っているという別荘がサンフランシスコから北東に3時間くらい行ったところにあるLake Tahoe(タホ湖)にあるというので、そこまでラースさんの家族用バンに6人で乗っかって行こうという話になった。
長いドライブ、ラースさんは運転席で長距離運転、僕は助手席、残り4人を後ろに乗せて、えんやこら北東に向けて車を走らせる。2時間くらい走ると、日本人がやっているというハンバーガー屋さんでランチをとった。マットが悪乗りして、隣りのスーパーマーケットで、辛さ10倍増しのタバスコのような調味料を買ってきて、みんなにポテトに付けて食べろと言う。まさに体育会系部活動の合宿のノリで、タホ湖を目指した。
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合宿所(というよりも、ラースさんの親戚の家なのだが)に到着し、ちょっと辺りを散策しようと外に出ると、一面の美しい雪景色に驚いた。カリフォルニア州といえども、北に向かえば、こうして雪深い景色があるということに、ある種カリフォルニアの幅広さのようなものを感じ、僕は妙に感心してしまった。

16時近くなり、早速いくつかのビジネス上の問題点について、皆で議論するセッションを3時間ほど行った。
6人それぞれ、役割を分ける。事実関係に忠実に物を語る人、情熱先行で物を語る人、悲観的な物の考え方をする人、楽観的な物の考え方をする人、クリエイティブな物の考え方をする人、プロセスをきちんと考える人、などなど。こうして役割を分けることで、同じことを議論していても、色んな方向から非常にバランスよく、多面的に検討をすることができる。アメリカで仕事を始めてから、ラースさんとは何回か使ってきた方法論ではあったけれど、人数も増えて、面白いくらいにこれがワークしているようだった。
高倉健さんに背中を押され、星に誓う
通りに面したピザ屋さんで軽い夕食をとると、21時過ぎから、ラースさんの提案で、映画『ミスター・ベースボール』(1992年)のDVDを全員で見た。アメリカのメジャーリーグから、日本の中日ドラゴンズにトレードされたアメリカ人野球選手が、高倉健さん演じる中日ドラゴンズの監督とぶつかりながらも成長していく物語。ちょっと古いが、日本のカルチャーとアメリカのカルチャー、この違いを絶妙なタッチで描いた、素晴らしい映画だ。
日本の良いところ、アメリカの良いところ、これを合わせて一生懸命に成功をつかもうという、チームメンバー全員に対するメッセージになったと思う。僕はすっかりこの映画で高倉健さんが演じた監督が気に入ってしまって、この監督が読売ジャイアンツとの優勝争いに向かう選手たちに放った言葉「Let's Kick Ass!!([相手を]ぶっ飛ばそうぜ!)」を合宿中に連呼して、皆を笑わせた。
この「Let's Kick Ass!!」こそが、ベンチャー企業がやらなきゃいけないことなんじゃないかと、改めて思い、勝手に、今年一年の標語にすることにしてしまったのだ。
映画を見終えると、防寒着を着込み、夜空を見るために皆で外に出た。タホ湖周辺は明かりも少なく、また空気も非常に澄んでいるので、オーストラリアの空のように、空はどこまでも黒く深く、無数の星を見ることができる。
凍えそうなほどに寒い夜の道を歩いて、湖のほとりで歩みを止めてしばらく空を見上げていると、僕たちの上を流れ星が通り過ぎた。チームの皆は、この星を確認することができて、大喜びだった。皆が星に何を願ったかは知らない。しかし、何もかもが不確実なベンチャー企業という世界を懸命に生きる僕たちにとって、こうして星にお願いができるということはありがたいことだなと思った。

前回も書いたが、このチームで、前に進んでいく。Journey is the Reward(目的地に着くことが旅の目的なのではない。旅をすること、そのこと自体が、旅の本当の目的なのである)なのだ。一人ひとりが納得のいく旅路になれば良いと、思った。
先月も、色々な読者の方から応援のメッセージをいただいた。本当に嬉しい限りだ。読者の方々からの応援メッセージには、全てに目を通すようにしている。応援メッセージなどは、この記事のコメント欄に送ってもらえれば、とても嬉しい。公開・非公開の指定にかかわらず、目を通します。
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