細田守「日本のアニメーションは女性と少女の描き方に問題がある」
細田守は、スティーヴン・スピルバーグと宮崎駿――彼がしばしば比較の対象となる日本の偉大なるアニメーターだ――の映画に対して不満を抱えている。
今から3年前、素晴らしくて人間味にあふれた『未来のミライ』がアカデミー賞にノミネートされた頃、細田はハリウッドのデジタル世界の扱い方や、宮崎監督の女性の描き方にうんざりしていた。
最新作『竜とそばかすの姫』がプレミア上映されたカンヌ国際映画祭で、細田はAFP通信に対して、スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』をはじめとした多くの映画に見られるネットへのディストピア的な表現は、誰にとっても、特に女性にとっては有益なものではないと語った。
自身も幼い少女の父親である細田は、彼女たちの世代に恐怖を与えるのではなく、デジタルの命運をコントロールできるようにエンパワメントしたいと考えている。「彼らはネットとともに成長してきたのに、いつもネットがいかに悪意と危険に満ちたものであるかを教えられてきました」と彼は言う。
『竜とそばかすの姫』は、彼からの返答である。『美女と野獣』を21世紀風に再構築し、内向的な思春期の少女”鈴”のジェットコースターのような感情が壮麗に描かれていく。
鈴は「U」と呼ばれるアプリのヴァーチャル世界で、ベルというポップな歌姫に変身し、彼女自身も周りの人々も驚かせる。何億人ものフォロワーを集め、ネットの罵詈雑言やハラスメントにさらされながら、鈴はネット上のアバターを操ることで、中傷者たちや自分自身の悩みから解き放たれていく。
「人間関係は複雑で、若者にとっては辛い痛みをともなうものです。しかし私は、このヴァーチャルな世界はハードで恐ろしいだけではなくポジティヴなものにもなり得るということを描きたかった」と細田は言う。
鈴やコンピュータオタクの友人は、一般的な日本のアニメに登場する女性像とはかけ離れている。細田はこの点について、オスカー受賞者で『千と千尋の神隠し』などの名作を生み出したレジェンドである宮崎に異議を唱えているのだ。
「日本のアニメーションを見るだけで、日本の社会において若い女性たちが、いかに過小評価され、まともに扱われていないかは明瞭です」と彼は言う。
宮崎作品よりもさらに社会性を備えた作品を作るこの監督は、当時としては珍しいシングルマザーによって育てられた。2012年の名作『おおかみこどもの雨と雪』は、彼女がたった一人で子どもたちを育て上げた、その屹然とした自立心を讃えている。
「日本のアニメーションで、若い女性が聖者として扱われているのを見ると、本当に苛立つんです。それは彼女たちの現実とは無関係なのですから」と細田は悔しそうに言う。
細田は、宮崎の名前を出さずに、スタジオジブリの創業者に対しても厳しい意見を述べた。
「名前は伏せますけど、アニメーションの巨匠で、いつも若い女性をヒロインにしている方がいます。率直に言いますが、彼は男性としての自分に自信がないからそうしているのだなと思っています」
「若い女性への崇拝は、私を戸惑わせます。私はその仲間にはなりたくないのです」と彼は強調する。彼は、ヒロインたちを、美徳やイノセンスの類型としたり、「他人と同じでなくてはならない」という抑圧から解き放とうとしている。
細田と宮崎には因縁がある。
現在53歳の細田は、アカデミー賞にノミネートされた『ハウルの動く城』の監督としてジブリに招聘され、ごく自然に宮崎の後継者と見なされていた。しかし、細田は自分のスタジオを設立するために途中で降りてしまった。(訳注:実際には、スタジオ地図を設立したのは『サマーウォーズ』公開の後)
監督の好む物語とは「人間の良い面と悪い面を見せていく。そのせめぎ合いこそが、人間であることの本質です」
だから『美女と野獣』をアップデートすることにも惹かれたのだろう。
「元の伝承では、野獣こそが最も興味深いキャラクターなのです。醜くて暴力的ですが繊細で傷つきやすい内面を隠している。美女は外見が全てで中身がない。私は彼女を複雑で豊かな存在にしたかった」
その二面性は、彼の最初のヒット作『デジモンアドベンチャー』から始まったデジタルワールドへの関心にも現れている。
「私は、いつもインターネットに立ち戻っています。最初は『デジモン』で、2009年には『サマーウォーズ』で、そして今」
彼は、インターネットを諸悪の根源とみなすのは間違っていると、これまで以上に確信している。
「若者たちは、そこから離れることはできません。一緒に成長してきたのですからね。私たちはそのことを受け入れて、より善き使い方を学ばくなてはならないのです」