小説・昭和の女帝#23Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】「昭和の女帝」真木レイ子は、政界の黒幕といわれていた父から禁じられていた酒に手を出した。19歳の日本人女性が、商社の戦後賠償ビジネスのために、海外の有力者に「貢ぎ物」にされるのを見て、やり切れなくなったためだった。禁断の飲酒が、眠っていた彼女の欲望を呼び覚ました。(『小説・昭和の女帝』#23)

CIAと協力し、原子力の負のイメージを払拭

 レイ子にとって酒は、いまは亡き父、真木甚八から申し渡された禁忌だった。正確には、「お前が酒を飲んでいいのは、粕谷といるときだけだ」と甚八から言われたのだが、30歳も年が離れたパートナーである粕谷英雄と二人でグラスを傾ける気にはどうしてもなれないのだった。

 彼女はその禁を破り、再び飲み始めた。彼女の中の、何かが崩れた。

 アルコールは、新橋のバーで働いていた時代や、真木邸で暮らすようになったときの胸の高鳴り、肉体的な喜びに溺れていたころを思い出させた。酔いは、いまからでもそういう時代に戻れるのではないかという期待を芽生えさせた。

 永田町で働き始めてから付き合いの会食は多かったが、アルコールは飲まなかった。6歳のころから仕込まれた小唄などを披露してお茶を飲んでいると、自然と酔ったような楽しい気分になれる。禁酒は苦ではなかった。

 一方で、数々の酒席を経験していくと、甚八がなぜレイ子に禁酒を強いたのかよく分かった。政治家には「英雄、色を好む」などと言い訳をしながら、女にだらしがない者が多かった。女を同じ人間と思わないような振る舞いをする者もいた。

 また、永田町は嫉妬の世界でもあるので、党幹部から重用されているレイ子を生意気だと思うと、酒を無理に勧めて、あわよくば手籠めにしてやろうとする輩もいた。そのような下衆な男たちに弱みを握られるわけにはいかない。彼女が政界で地位を築くためには、アルコールは不要どころか害悪だった。

 しかし、そういった張り詰めた考えも、酒を飲み始めて雲散霧消した。何せ、彼女はすでに押しも押されもせぬ副総理秘書官であり、その次には自民党幹事長の秘書のポストも見えていた。

 占領期以来、アメリカとの関係が続いていることも彼女に箔を付けていた。

 CIAが関わった1955年の原子力基本法の成立、日米原子力協定の調印に、レイ子は密かに貢献した。原子力のイメージアップのための広報活動を任されたのだ。庶民に原子力の有用性を訴えるテレビ番組を放送したり、原子力の平和利用をアピールするイベントを行ったりした。米軍による水素爆弾実験で第五福竜丸が被爆した事件で、原子力はおろか、アメリカに対する感情もかつてないほど悪化していた。彼女はそのマイナスの感情を逆手に取って、百貨店で開いた「だれにでもわかる原子力展」の会場に第五福竜丸の船体を展示する離れ業をやってみせた。怖いもの見たさで長蛇の列ができた。そうして集めた来場者に、原子力発電は原水爆と異なり、暮らしに役立つ技術だということを訴えたのだ。彼女の働きぶりに、アメリカは大いに満足したようだった。日本の「原子力の父」といえば、原子力委員会の初代委員長に就任した正力松太郎だが、レイ子は知る人ぞ知る「原子力の母」だった。

 つまり、41歳になったレイ子は自立した女性として実力を付けており、昔のように、男にだまされるのを警戒してガードを上げ続けている必要はなくなっていた。「鳥籠を抜け出し、若いころにできなかった経験をいまからでもしてみたい」という気持ちが芽生え、日増しに強くなっていた。