ドライ戦争とは、1980年代後半に日本のビール会社間で起こったドライビールの販売競争である。
概要
ビールの味は消費者には分からない、と大きな味覚変更を行っていなかった中で、業界で低迷していたアサヒビールが、1987年にキレのある味を売りにした「アサヒスーパードライ」を販売して大ヒットしたことを受けて、各社がアルコール度数を高めたドライビールを1988年に発売した。
パッケージもどのメーカもスーパードライが採用したメタリックなパッケージを使用して類似しやすい戦略を立てたものの、結局はアサヒビールの優位は揺るがなかった。
しかし、消費者がビールの味を見分けられることを知ったことで、各社が異なる個性を持ったビールを売り出すこととなった。それは発泡酒、第3のビールになっても受け継がれている。
アサヒビール
東日本ではあまり人気のなかったアサヒビールは、1985年にCIを導入してイメージを一新、さらに地道な調査をもとに、苦みが強くてコクのある味よりもキレを優先した味が受けると判断し、同社の生ビールの味を変更した(コクがあるのにキレがある)。この戦略は成功し、シェア拡大につながった。
さらにキレを追及するため、 アルコール度数を5%に上げて刺激を強くする(辛みを上げる)味に仕上げて、1987年に「アサヒスーパードライ」を発売した。当初は年間100万ケースを目指していたが、最終的には1350万ケースを売り上げ、大ヒットとなった。
翌年にはライバルメーカーが一斉にドライビールを出すものの、スーパードライのシェアは揺るがず(1988年で7500万ケース)、2年で他社は撤退した。
その後もヒットは続き、1996年にはトップの座を不動だったキリンビールから奪うまでに至った。
キリンビール
1988年に「キリンドライ」を発売、CMにジーン・ハックマンを起用してアグレッシブさと大人の渋味を見せる演出を行うも、最終的には4000万ケースでアサヒには及ばなかった。
主力だったキリンビールはキリンラガービールと名称を変え、味を変え、1996年には熱処理から生ビールに変更、アルコール度数も5%にしたものの、元来のファンからは不評を買い、結局従来の熱処理醸造によるクラシックラガーを出すに至っている。
ドライ戦争終了後、1990年には一番麦汁だけを使った生ビール「一番搾り」を発売。すっきりした味わいが受けて、ラガービールに代わる主力商品となっている。
サッポロビール
1988年に「サッポロドライ」、1989年にアルコールの辛さよりも爽快感を追求した「サッポロクールドライ」を発売するものの、出荷数で3位となった。
その後、もともと力を入れてきた生ビール「びん生」を「サッポロドラフト」と名称を変えて売るものの認知度が上がらず、元来のラベルに戻し「サッポロ黒ラベル」として販売、現在までの主力となっている。
同じころに、北海道限定として麦芽100%の生ビール「サッポロクラシック」が発売され、地域限定ビールの先駆けとなり、現在も北海道土産としても人気がある。
また、「冬物語」を発売して、シーズン限定のビールとして他社も追随している。
サントリー
1988年に「サントリードライ」を発売、プロボクサーのマイク・タイソンを起用して話題をさらうも、シェアを逆転するには至らなかった。翌年にはアルコール度数を5.5%に引き上げて爽快感をアピールするも焼け石に水だった。
その後、以前から発売して初年度にヒットした麦芽100%生ビール「モルツ」を本格的に売り出し「私はドライではありません」とCMで差別化を図った。
2003年には素材を厳選した「ザ・プレミアム・モルツ」を発売、モンドセレクション最高金賞受賞の売りもあってヒットを飛ばし、長年赤字だったビール事業を黒字転換させた。
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関連項目
- ビール
- アサヒ・スーパードライ
- キリン・一番搾り
- サッポロ黒ラベル
- ザ・プレミアム・モルツ