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戎信行単語

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エビスノブユキ
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戎信行えびす のぶゆき)とは、元プロ野球選手である。

概要

1972年4月24日生まれ。兵庫県神戸市出身。

育英高等学校に進学。3年時に夏の甲子園大会に出場し、1回戦で好投したものの、延長戦の末2-3で惜敗している。なお、このとき右肘は既に限界えており、疲労骨折した状態での登板であったという。

1990年ドラフト会議にて、オリックス・ブルーウェーブから2位名を受け入団。同期入団には長谷川滋利野村貴仁らがいた。

プロ入り後はプロの壁の高さにぶち当たる。入団から3年間は二軍暮らしが続き、1993年にはフレッシュオールスターゲームに出場しているが、一軍登板し。

4年1994年に一軍デビューを果たし、3試合に登板二軍ではファーム日本選手権MVPに選ばれている。ただ、その後も一軍に定着できず、燻り続けていた。

1998年星野伸之イチローとともにシアトル・マリナーズキャンプに招待されたが、それでも飛躍することはできなかった。一軍登板は11試合にとどまり、防御率も6点台と結果は残せず。翌1999年は10試合に登板

入団から9年間で一軍登板は30試合以下、勝利セーブ数は0で防御率もパッとしない、言ってしまえば冴えない成績しか残せておらず、いつクビにされてもおかしくない選手であった。

2000年キャンプ中に河村英文投手コーチから「についてくればタイトルを取らせてやる」と言われ奮起。これまで人の意見をど聞かずにやってきたが、河村コーチ導を受け、変わっていった。6月下旬、投手の故障者や不調の選手が相次いだことから一軍での先発登板の機会を得ると、プロ勝利を含む5試合で3勝を挙げ7月MVPに選ばれ、ブレイクを果たす。川越英隆が故障によりオールスターゲームを辞退すると、代替選手としてオールスターゲームに初出場を果たした。オールスター明けも好調を維持し、厳しい投手の台所事情の救う活躍を見せ、パ・リーグ最多の8完投記録。規定投球回ちょうどの135回を投げ、8勝2敗、防御率3.27を記録し、最優秀防御率タイトルを獲得。

2001年、前年の活躍から先発ローテーションの軸として期待されたが、前年ほどの安定感は見られず、5勝9敗、防御率3.68と成績を落とし、シーズン終盤には先発ローテーションから外されてしまった。

2002年先発ローテーションから外れ、登板数も減。シーズン途中に副孔太とのトレードでヤクルトスワローズへ移籍。同年は両チームでの成績を合算しても7試合の登板に終わっている。

2003年、開幕ローテーション入りを果たし移籍後初勝利を挙げたが、その後は活躍できず、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。その後、入団テストを経て、近鉄バファローズに入団。

近鉄投手事情も厳しかったが、それでも一軍登板できず1シーズン限りで戦力外通告を受け、そのまま現役を引退した。

引退後はアミューズメント施設に就職したようである。

人物・エピソード

シュート武器に内を厳しく突く投球で打たせて取り、結果を残した右腕。完投力の高さも武器であった。

それまで鳴かず飛ばずであった選手が、プロ入り10年にしてようやく開いた苦労人として、メディアによく取り上げられていた。

2023年時点で防御率3.27での最優秀防御率獲得は、同賞のNPB歴代受賞者の中では最も高い数字である。

通算成績

投手成績

通算:9年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 80 10 3 15 16 1 0 .484 342.2 105 192 179 154 4.04

獲得タイトル・表彰

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関連項目

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戎信行

1 ななしのよっしん
2024/01/28(日) 11:06:47 ID: ozMxls7Kze
懐かしい名前だ。コーチとかやっていないのかと思っていたら、会社だったんだな。
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