- プロ野球選手一覧 > 戎信行
概要
OB | |
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戎信行 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県神戸市 |
生年月日 | 1969年4月30日 |
身長 体重 |
177cm 65kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1990年 ドラフト2位 |
引退 | 2004年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
育英高等学校に進学。3年時に夏の甲子園大会に出場し、1回戦で好投したものの、延長戦の末2-3で惜敗している。なお、このとき右肘は既に限界を超えており、疲労骨折した状態での登板であったという。
1990年ドラフト会議にて、オリックス・ブルーウェーブから2位指名を受け入団。同期入団には長谷川滋利・野村貴仁らがいた。
プロ入り後はプロの壁の高さにぶち当たる。入団から3年間は二軍暮らしが続き、1993年にはフレッシュオールスターゲームに出場しているが、一軍登板は無し。
4年目の1994年に一軍デビューを果たし、3試合に登板。二軍ではファーム日本選手権のMVPに選ばれている。ただ、その後も一軍に定着できず、燻り続けていた。
1998年、星野伸之・イチローとともにシアトル・マリナーズの春季キャンプに招待されたが、それでも飛躍することはできなかった。一軍登板は11試合にとどまり、防御率も6点台と結果は残せず。翌1999年は10試合に登板。
入団から9年間で一軍登板は30試合以下、勝利やセーブ数は0で防御率もパッとしない、言ってしまえば冴えない成績しか残せておらず、いつクビにされてもおかしくない選手であった。
2000年、春季キャンプ中に河村英文投手コーチから「俺についてくればタイトルを取らせてやる」と言われ奮起。これまで人の意見を殆ど聞かずにやってきた戎が、河村コーチの指導を受け、変わっていった。6月下旬、投手陣の故障者や不調の選手が相次いだことから一軍での先発登板の機会を得ると、プロ初勝利を含む5試合で3勝を挙げ7月の月間MVPに選ばれ、ブレイクを果たす。川越英隆が故障によりオールスターゲームを辞退すると、代替選手としてオールスターゲームに初出場を果たした。オールスター明けも好調を維持し、厳しい投手陣の台所事情の救う活躍を見せ、パ・リーグ最多の8完投を記録。規定投球回ちょうどの135回を投げ、8勝2敗、防御率3.27を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得。
2001年、前年の活躍から先発ローテーションの軸として期待されたが、前年ほどの安定感は見られず、5勝9敗、防御率3.68と成績を落とし、シーズン終盤には先発ローテーションから外されてしまった。
2002年、先発ローテーションから外れ、登板数も激減。シーズン途中に副島孔太とのトレードでヤクルトスワローズへ移籍。同年は両チームでの成績を合算しても7試合の登板に終わっている。
2003年、開幕ローテーション入りを果たし移籍後初勝利を挙げたが、その後は活躍できず、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。その後、入団テストを経て、近鉄バファローズに入団。
近鉄は投手事情も厳しかったが、それでも一軍登板できず1シーズン限りで戦力外通告を受け、そのまま現役を引退した。
人物・エピソード
シュートを武器に内角を厳しく突く投球で打たせて取り、結果を残した右腕。完投能力の高さも武器であった。
それまで鳴かず飛ばずであった選手が、プロ入り10年目にしてようやく花開いた苦労人として、メディアによく取り上げられていた。
2023年時点で防御率3.27での最優秀防御率獲得は、同賞のNPB歴代受賞者の中では最も高い数字である。
通算成績
投手成績
通算:9年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 80 | 10 | 3 | 15 | 16 | 1 | 0 | .484 | 342.2 | 105 | 192 | 179 | 154 | 4.04 |